第92話:後ろの彼女と今の俺
2年生の後期となると、さすがに受験を意識し始めるのか、教室の空気も少しだけ引き締まる。
昼休みあとの5限目。お昼ご飯も食べて普段なら眠くなるような時間帯だけど、前期に比べるとまじめに授業を受けている人が増えたと思う。
まあ中には今までと変わらず机に突っ伏して寝ている人もいるし、友達同士で小声で話しているような人もいる。
ああいう人たちは、大体が勉強ができない。できないからこそ、他の楽しいことを求めてしまう。
その気持ちは非常にわかる。俺も小学生の時は勉強が嫌いだったし、授業も早く終わってほしいとしか思ってなかった。けれどもどんなに望んだところで授業は早く終わらないし、勉強はせざるおえない。そうしなければ、学校は己を評価してくれないのだから。
あの人たちも、いずれは受験のために気持ちを強引に切り替えるのだろう。ただそれが、今じゃないというだけ。
まあ中には、成績も優秀で学年でも1位の学力を持っているのにも関わらず、授業中は決まってサボるようなやつもいるけどな。
後ろの席に座っている彼女、浅見紗枝のことを考える。
彼女は前期こそ毎時間のように俺に構ってアピールをしては授業の妨害をしてきたのだが、後期に入ってからは俺の推薦などの事情から、あまり授業中に手は出さなくなってきた。
それが少し……本当に少しだけ寂しいとは思っている。
最初のころは、こいつのちょっかいがウザくてウザくてたまらなかった。だからこう考えること事態に、自分では驚きを隠せない。
ただ相手が女性だったということと、学内でも屈指の美人で誰にでも分け隔てなく接しているから、友達も少なくて影も薄いような俺が反論することはできなかった。反論したら最後、その顔の広さで、イジメみたいな……そこまでいかなくても女子の間で嫌な噂が広まるんじゃないかと思っていたからな。
俺の中では女子って共感する生き物で、「あいつマジウザい。本気にするなし」みたいな流れでハブられる可能性があると思ってる。それが怖かった。
それに妨害をされると言っても、多少からかわれる程度で実害はほとんどなかった。だから無難にやり過ごして、相手が飽きるのを待っていた。
しかしそんな日が訪れることはなく、いつの間にか後ろの席と前の席の関係ではなく、友達として大切な存在になっていた。
そう思い始めたのは修学旅行だ。あの時は関係がギクシャクしてすごく困った。どうにかして仲直りしたいと思って、まさか自分が相手の部屋にまで行くとは思っても見なかった。
それから夏休み。よくわからない理由で何度か二人で出掛けた。あいつのおかげ初めて他の友達と一緒にキャンプに行けて、去年とは違って本当に楽しかった。
でも後期が始まってすぐ、なぜか距離を置かれた。理由は全然わからなかったけど、嫌われたんじゃないかと思って少し不安だった。それだけあいつと築いた関係が、俺の中で大切なんだということがわかった。
思えば、俺はこいつに関わってから、周囲への目が広がったと思う。大切な友達も増えた。気軽に連絡を取り合える相手もできた。最近では、いろんな意味で気になる人もいる。
そう考えると、あいつは俺にとっての恩人……みたいなことになるのか……。
さすがにその考えは恥ずかしいな。とはいえ、間違っているとも言いづらい。
左の肩越しから後ろを見る。そこには机に頬杖をついて、目を瞑っている紗枝の姿があった。茶色の髪が外から差し込む日差しに当たって赤茶色に輝き、一言で表すなら絵になる光景だった。
改めて見るとやっぱり美人だ。まつげは長いし、鼻筋なんかもスラッとしてるし、モデルさんみたいに整っている。
少しの間見つめていると瞼が薄く開き、まばたきをすると同時に顔をあげた。パッチリと開いた目が俺を見つめる。完全に寝ているものだと思っていたから、ビックリして咄嗟に視線を窓に移す。しかし一瞬、完全に目線が合ってしまった。
もしかして見てるのバレたか? いやバレたならたぶんウザ絡みしてくるはず。それがないということはバレてない? 何もしてこないのが逆に怖いんだが……。
恐る恐る視線を戻すと、紗枝はニヤついた笑顔を浮かべて俺を見ていた。
ああ、バレてるなこれ。
紗枝はチョイチョイと手招きするので、観念した俺は椅子を紗枝の机に当たるくらいまで下げて耳を傾ける。
「エッチ」
「っ!」
バレたことに対する仕打ちをしっかりと受けた俺は、小声で「うるせぇ」とだけ悪態をついて前に戻る。
恥ずかしくて恥ずかしくて顔が熱い。どうせならバレる前に、ちゃんと前を向くべきだった。
後悔先にたたず。見ていたという事実は残ってしまうし、紗枝にからかわれたという事実も消えない。それに見惚れてしまっていたという事実も、消えることはない。
あ~、もう!
目をつむり、眠っているように見えた紗枝の姿が頭の中でフラッシュバックする。その度に顔が熱くなってしまうから、俺はなんとか忘れようと、授業に打ち込むのだった。
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