第37話:夏休みは普通に補習なんです

 さて、大方の目的も果たしたし、そろそろ帰るか。


 浅見と連絡先を交換という、今期最大の一大イベントをこなした俺は、上機嫌で鞄を肩にかける。

 するとどことなく、黒板の方から視線を感じた。

 身震いをするような寒気がその視線にはあった。だが同時に助けを求めているような、そんな雰囲気も感じ取れる。


 なんだ?


 気になって視線の方を向いてみると、瀬川さんが泣きそうな顔で俺を見ていた。

 彼女から『帰るんですか? 助けてくれないんですか?』そんな心の声が聞こえるような、アンニョイなオーラを肌で感じた。


「おっ……」


 言葉が詰まる。というか、俺なにかしたっけ?

 特に瀬川さんになにかした記憶がないので、今頭の中は疑問符でいっぱいだ。だが俺を見ている以上、俺に関わってくることは確かなので、恐る恐る近づく。


「瀬川さん、どうかした?」

「……相馬くん」


 もうすでに涙声だ。


「だずげでぐだざい!」


 美人が台無しとは、まさにこのこと。


「何があったの?」


 瀬川さんは自前のハンカチで涙を拭いながら、ぽつぽつと事の経緯を話してくれた。

 なんでも、夏休みの補習が結構えげつないものになっているらしく。それに加えて夏休みの課題まであるから、このままだと自分は毎日勉強漬けになってしまう。とのこと。


「ただでさえ私バカだから、補習と課題をやるのも結構大変なのに、それに加えて期末テストの再テストもあるんです! そしてそれができないと、また再テストなんです! こんなんじゃ私の夏休みが勉強で埋まっちゃいますよ!」


 瀬川さんは、勉強が不得意なせいで成績があまり宜しくない。というかこのままだと留年もあり得る話しになってしまうので、実は結構ヤバイ。

 先生方も自分の学年で留年者を出したくないからか、譲歩という形で解決案を提示してくれているんだろうけど、生徒側からみたらただの地獄だよな。


「なるほどね。でも瀬川さん。こないだちゃんと勉強するって言ってたじゃん」


 修学旅行に行く前の話しになるが、瀬川さんは自らの勉強不足に危機を覚え、それを解消するために俺に勉強を教わるという約束をした。ただあの後すぐに修学旅行に行ったため、勉強会自体はあの一回しかしていないが。

 だがその時瀬川さんは、勉強にたいして前向きな姿勢を示していた。それがなぜこうして、子供が駄々をこねるみたいに泣きわめいているのだろうか。


「もちろん。勉強はちゃんとするつもりです。課題だって、一応やる気はあります。でもやっぱり、苦手意識といいますか……家で一人で机に向かっていると、どうしても捗らないといいますか……意識が散漫になってしまって、うまく集中できないんです。ただでさえ頭が悪いから効率がよくないのに、加えて集中できてないなんて……」

「それ、わかってるなら気を付ければいいだけじゃ」

「そうなんですけど!」

「はい」


 急に強く言い返されたので、萎縮してしまった。


「……理由もわかってはいるんです。家にいるときはどうしても琴のことを考えてしまうから」

「なるほど……」

「だから外でなら集中できるかと言われたら、別にそんなことはなかったんです」

「……」

「むしろ一人で勉強していると、サボってしまって……」

「あ~……それで?」

「それで……どうすればいいかなと」


 なるほど。まあ俺も経験があるからわからなくないけど。


 勉強とは、本来面倒なことだ。それこそ普段やってこなかった人が、突然毎日勉強を始めると、自分を抑制してしまいストレスが溜まる。すると本能的になのか知らんが、突如として止めてしまいたいという思いが出てくるのだ。

 そこを越えてしまえば習慣付ける事ができるのだが、そこを越えるのは並大抵の忍耐力では突破できない。

 小学生の時の俺が、まさにそれだった。


 親の教育のせいで、ほぼ毎日のように勉強をしていた。熱心な親だといえば聞こえはいいが、子供からすれば意味もわからず苦しいことをさせられているだけに過ぎない。

 それにまだ小学生だ。勉強よりも外で友達と遊んだり、我が儘言ったりしたい年頃だ。

 けれど俺には、そんな時間はなかった。そのストレスからか、一時勉強を拒絶したのだ。


 思い出すだけ苦い記憶になるが、けれどあの事件があったからこそ、俺は勉強を習慣付けることには成功した。やることは苦ではなくなった。する意味については、まったくわからなかったがな。


 瀬川さんの症状は、その時の俺に近い。勉強の何が楽しいのか、必要だとわかっていても手が進まない。だって勉強は、面白いものではないから。


「どうもできないかな」


 はっきりとそう言うと、瀬川さんは驚いた顔をする。


「それについてはどうもできない。だって瀬川さん、勉強好きじゃないし」

「そう……ですけど。相馬さんは普段からお勉強なさってますし、何か続けられるコツでもあれば」

「ないよそんなの。勉強嫌いな人に、無理矢理やらせたって意味ないのと一緒。一人で出来ないならやらない方がいい」

「そんな……」

「だから二人にするんだ」


 俯きかけた瀬川さんは、顔をあげて俺を見る。


「そもそも勉強教えてあげる約束なんだから、一人で全部やらなくたっていいでしょ? 瀬川さんが一人での勉強が難しいっていうなら、俺はそれをサポートするよ」

「相馬くん……」


 雲が晴れたように、瀬川さんの表情が明るくなる。


「ただまあ、夏休みが勉強漬けになるのには、変わりないかもね」

「えっ? それはどうして?」

「だって瀬川さん、赤点三つでしょ? でもって再テストなんだから、最低でも平均点以上は目指さないと不味いだろうし、そうとう頑張らないとね」


 瀬川さんが固まった。

 結局現実はそうそう変わらない。俺という協力者を得たところで、待っているのは地獄のみ。

 けれど、少しでも早く彼女が地獄から抜け出せるように、俺も気合いいれますから。


「まあ、一緒に頑張ろうか」

「……はい」


 意気消沈の瀬川さん。可哀想ではあるが自業自得なので、その気持ちをしっかりと噛み締めて、明日からも頑張ってください。

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