第113話(サイドn):なぜ忘れていたのか
店内はいつものようにガランとしていた。夕方のこの時間帯はお客さんもおらず、お店にいるのも店長のみということもあって、「いらっしゃいませ」とすぐにお出迎えしてくれる人もいない。
「店長~」
バックヤードの方に呼びかけると、のっそりとした足取りで、鋭い目つきのおじさんが顔を出した。
「おう、新嶋。ん? 隣にいるのは……新しいバイト希望者か?」
「違いますよ」
どういった思考回路でその答えにいきつくのか甚だ疑問だが、いつものジョークと受け取り適当に流す。
「瀬川さん。この目つきのいかついおじさんがうちの店長です」
「ど~も。ジョ◯ー・デップに似てるって言われてます」
「は……はぁ……」
店長のダルがらみに対応しきれていない瀬川さんは、戸惑った様子で私を見た。正直、この人のことは基本無視していいと思うので「気にしないでください。こういう人なんです」と、瀬川さんにも無視するように促す。
「店長、私の友達の瀬川さんです。今日は店長のコーヒーが飲みたいとわざわざ来てくれました」
完結に経緯を説明すると、店長は目の色を変えてカウンター越しに瀬川さんに手を差し出す。
「ようこそ、お越しくださって光栄です」
「あっ、はい。楽しみにしてきました……」
引き気味に握手をする瀬川さん。
「少々お待ちを、いま最高の一杯を淹れて差し上げます」
今更取り繕ってももはや無駄だと思うが、本人的にはまだ挽回できると思っているのか、いそいそとコーヒー豆の準備に取り掛かった。ただ、当たり前だが仕事はできる人なので、一回スイッチが入れば後は大丈夫だろう。
「個性的な方ですね」
こっそりと耳打ちで話す瀬川さん。その気持ちはすごくよくわかります。私もファーストコンタクトは、とても印象に残っている。
「変人なだけですよ」
ただ少しの間、仕事を共にすると見えてくることもある。最初は面白い人と思っていることでも、長時間同じ空間にいると面倒くさいと思ってしまう。実は店長はそういうタイプの厄介さんなのだ。
触れなければ全然問題はないと思う。けれど仕事の関係上、付き合いというどうしても必要になってくるので、面倒だとは思っても話さないといけない時もある。そう思うと、自分で友達を選別できる学校という環境は、自分の気持ちを出せる分まだましなのかとも思ってしまう。
「じゃあ私は着替えてきますので、瀬川さんは座って待っていてください」
「はい。じゃあ、失礼して」
「鞄は横の椅子とかに置いていいですよ」
「はい、わかりました」
バックヤードに引っ込み、手早くエプロンを付け戻ってくる。その間にコーヒーのいい香りがたち、気持ちを落ち着かせてくれる。
いい匂い。
コーヒーの匂いは好きだ。というか、コーヒーに限らず紅茶とか緑茶とかの、ふんわりと香りが立ち上るものは基本的にどれも好き。その中でも、コーヒーの匂いは別格だと、個人的に思っている。
このバイトを始めて一番よかった点は、漫画資料うんぬんよりもこのコーヒーの香りかもしれない。ただ気持ち的には、働くよりもこの匂いを嗅ぎながら、店の端で漫画を描いていたいっていうのが本音だ。
「新嶋さん、店員さんみたいですね」
「いや、店員なんです」
エプロン姿で戻ってくると、瀬川さんが素なのかネタなのか判断のしにくいボケで出迎えてくれた。まあ多分、彼女のことなんで素なんだろうと思うけど。
私はカウンターの椅子に座る瀬川さんの隣に腰を落ち着けた。すると彼女はジッと私の方を見る。
「どうかしました?」
「あっ、いえ。お仕事は大丈夫なんですか?」
明らかに休んでいる状況に不信感を持ったのだろう。優しい瀬川さんは店長に聞こえないように小声で気にかけてくれるが、そこまで配慮してくれなくても大丈夫なのだ。
「お客さんがいないときは、わりとこうして休んでるんですよ。なんだったらキッチンでケーキの試食なんかをしたりしてます」
このバイトを始めてよかった点のもう一つは、無料で甘いものが食べれることだろう。これは私にとっては普通に嬉しいことだ。
ケーキという言葉に瀬川さんは「おいしいんですか?」と食い気味に聞いてきた。それに対し、聞き耳を立てていた店長が「食べるかい?」と進めてくる。
「いいんですか?」
「わざわざ来てもらったのに、コーヒーだけはさすがに寂しいからね。おじさんからのサービス」
顔を決めてくれてるところ悪いが、はっきり言ってたいしてかっこよくもないので止めてほしい。見てるこっちがキツイ。
さすがの瀬川さんもなんて言ったものか困ったようで「ありがとうございます」とお礼は言うも苦笑いだった。
まあ、言動にキツイところはあれど、コーヒーを淹れる腕だけは確かなので目を瞑ろう。店長は慣れた手つきでもろもろの準備を終えると、真っ白なカップにコーヒーを注いでいく。
「こちら、当店自慢のブレンドコーヒーになります」
「すごくいい匂いですね」
「自慢ですから」
ほかに言うことはないのだろうか?
「チョコレートロールケーキが余ってるんだけど、それでいい?」
「はい。チョコレートなら食べれます」
「じゃあ、ちょっと待っててね」
大の男がウキウキになりながらケーキの取りに行く姿は少々痛々しいが、それだけコーヒーを飲みに来てくれたことが嬉しかったのだろう。感情に素直な人で、私とは大違いだ。
瀬川さんは、コーヒーの香りを十分に楽しんでから口を付ける。
「美味しい」
「瀬川さんは、ブラック行けるんですね」
「そうですね。砂糖とかを入れるときはあるんですけど、ほとんどブラックですね。新嶋さんは何かいれるんですか?」
「いいえ。私も基本はブラックです。たまにミルクは入れますけど」
「あ~、ミルクを入れてもおいしいですよね」
店長がケーキを仕分けている間、そんな他愛もない会話をして楽しんでいると、チリンチリンとお店のドアに取り付けているベルが鳴り、入店を知らせてくれる。
「いらっしゃいま――」
いつものように、お客様を出迎えるため席を立った時だった。私はその来訪者に、心の中でしまったと思う。
「あれ? なんで幸恵がここに?」
「……優くん!?」
迂闊だった。そういえば今日、相馬さんもシフトの日だった。
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