第110話:言質とったから

 学校の自販機は一階にあり、パンなどを売っている購買と、一般教室棟と当別教室棟の間の外に置かれている。

 俺たちが先ほどまでいたのは、特別教室棟の一般棟側ではない奥側の屋上前。購買はその棟の一階にあるのでわりとすぐなのだが、紗枝たちが買おうとしている紙パックの飲み物が売っているのは、外の自販機だけなのだ。

 なので少しだけ遠くなるが、一般棟側の階段を利用して降りることになる。


 特別教室棟は、基本的に授業があるときにしか利用しないところばかりなので、足音が聞こえるくらいシンとしている。さすがに一階に近づけば、購買でパン獲得戦争を繰り広げる喧騒が聞こえてくるが、さすがに屋上付近ではその音も遠く感じる。


 そういえば、紗枝と二人になるのもなんだから久しぶりな気がする。お姉の誕生日に思わせぶりなことを言われてから、なんだか話しかけずらかったからな。あのことについて聞いていいのかどうかもわからないし、かといって話しかけると思い出してしまってもやもやする。

 でも本当のところは、聞くのが少し怖いという気持ちもある。今の関係に罅をいれてしまいそうで、俺はそれが一番怖い。だからかもしれないけど、紗枝と話す時は普通にすることを意識している。そうしないと、まともに話せないような気がするからだ。


 横を歩く紗枝をチラリと見る。その視線に気づいたのか、彼女は俺を見た。小首をかしげて、何? と目で訴えてくる。

 いや別に、何かあるってわけじゃないんだけど。

 何か話さなければいけないような気がして、先ほどの塚本たちとのやり取りが頭に浮かんだ。


「塚本と寺島って、どういう仲なんだろうな」


 ただの幼馴染だと念を押されているが、明らかに塚本は寺島のことを意識しているように思える。わざわざこうして寺島のこと誘うくらいなのだから、ある程度の好意を寄せているとは思うのだが。


「私もあの二人の関係は謎なんだよね~。仲は悪くないと思うんだけど、ちょっと闇を感じるというか」

「わかる」


 触れてはいけませんと言われているような、そんな感じがするのだ。主に寺島から。しかし仲のいい紗枝でも知らないのか、思ったより面倒ごとなのかもしれないな。


「そういえば、いつもあんなとこまで行ってるんだ」


 スパっと話題を切り替えた紗枝は、興味深そうな目で俺を見る。


「塚本くんと食べてるのは知ってたけど、どこで食べてるんだろ? って気になってたんだ」

「そんな気にするほどか?」


 野郎がどこで食べようが、あまり面白い話ではないと思うのだが。


「塚本くんがいるから、女子がすごいのかと思って」

「ああ……まあ最初は付いてこられたんだよな」

「ええっ!」


 さすがの非常識さに、驚きたくなる気持ちはすごくわかる。でも現実は、たぶん紗枝が考えていることとはちょっとだけ違う。


 一年生の頃の話になるが、塚本と友達になった数日がたって、今のように特別教室棟の屋上でご飯を食べるようになったのだ。俺が関わる前の昼休みは、塚本が女子たちに囲まれて「お弁当一緒に食べよう?」と誘われたりして、たぶん渋々といった具合で一緒にご飯を食べていたんだと思う。俺もそれを横目で見ながら、自分の机でご飯を食べていた。

 ある日の昼休み、女子たちが動くよりも早くに俺の机の方にやってきた塚本は、「相馬、飯いこう!」と爽やかな笑顔で俺を教室から、有無を言わさず連れ出した。

 それを見ていた女子たちの不審がる目は今でも覚えている。当時の俺は、クラスの人間に相当嫌われていたと思うから、そんな俺に真正面から声をかけて連れ出す奴なんてまずいなかった。だというのに、それをクラスの人気者でこの学校でも類を見ないイケメンが軽々とやってのけたのだ、俺を疑るのは明白だろう。

 どうしたって日陰者は、負の感情を向けられやすい。


 だから監視のつもりでついてきたんだと思う。塚本が変なことに巻き込まれないか。危ない人間と関わっていないかを見に来たんだ。


「ストーカーじゃん」

「向こうにも思うところがあったんだよ。一年のころの俺は厄介ものだったから、危険因子だー、みたいな」

「だからって、後つけるなんて……」


 紗枝は納得していない様子だったが、向こうも心配だったんだ。


「だから来てたのはわかってたけど、俺がどうこう言うとややこしくなりそうだったし何も言わなかったんだよ。そしたら塚本がさ、その女子たちの方に行って、そういうのは余計なお世話っていうんだよ、って言ってさ」

「ええっ!」


 あの時の女子たちの怖がった表情といったら、可愛そうになるぐらいだった。普段は王子様のような柔和な笑みを浮かべる塚本が、笑っているのに怒ってる雰囲気をだすのだから、そのギャップに怯えてしまうのも無理はない。


「でもそれのおかげで、ご飯時の塚本には決して関わらないようにするっていうことが、女子たちの間で暗黙の了解になったんだ」

「あの塚本くんでもそんなこと言うんだね」


 イメージと違い過ぎるものだから、紗枝もすごく驚いている。


「あの時は俺もびっくりしたけど、塚本も聖人君子じゃないんだって、その時によくわかった」


 だからこそこうして、友達として一緒にいられるんだと思う。


「まあ、いいやつんなんだよ。あいつは」

「ふ~ん。信頼してるんだ」

「友達だからな」


 何気ない会話しながら、階段を下りていく。話をしていたら、いつの間にか自分の中にあったややこしい感情とかがどっか行って、自然な雰囲気でいられるようになっている。

 いや、違うか。単純に、紗枝とこうして話しているのが楽しいんだ。だから余計なこと考えずに、普段通りでいられる。まあそれでも時折、パッと思い出しちゃうんだけど、今はそこまで考えていない。


 問題の先送りは俺の得意分野、なんてわけじゃないけど。最近は先送りにしていることが多すぎて、本当に得意分野になってしまいそうで怖いな。


「あっ、そういえばさ、すぐ――」


 そんないたって普通の雰囲気を楽しんでいたときだった。隣を歩いてた紗枝の姿が、一瞬消えたかのように見えた。

 話しかけざまに階段を踏み外した彼女は、重力に引っ張られるままに体が宙に投げ出されそうになる。その様子を、まるでソローモーションを見ているような感覚で見つめる。


「――!」


 考えるよりも先に、咄嗟に彼女の腰に腕を回し、そのまましゃがみこむんだ。抱き寄せるような体制になったが、なんとか階段の下に落ちることは避けられた。けれども余りの出来事に動悸が収まらなかった。


「あぶねぇ……」


 寿命縮まる。


 紗枝も言葉がでないのか、静かにしていた。


「紗枝、大丈夫か?」


 すっぽりと腕の中に納まった紗枝は、どこか放心状態で「ごめ……大丈夫」と返事をする。

 ひとまず階段に腰を落ち着けて、一息つく。けどまだ手が震えているし、足もどこか力が入らない。大きく深呼吸をして、紗枝を見る。


「紗枝?」


 俺の声に反応して顔をこちらにむける。少しの間俺の顔をジッと見てから、「びっくりした~」とひきつった笑みを浮かべていた。


「びっくりしたのはこっちだよ。心臓飛び出るかと思ったわ」

「ごめん。ごめんね。まさか踏み外すと思わなくて。あ~……びっくりした~」


 ようやく落ち着いたのか、安心しきったように息を吐く紗枝。改めて俺の方を見て「助けてくれてありがとう」と笑顔を見せる。


「怪我がなくてよかった」

「うん。優のおかげ」


 お互い顔を見合わせて、クスリと笑う。


「安心したら、喉渇いてきたな」

「うん。口パッサパサ」


 立ち上がって、また階段を下りていく。


「また踏み外すなよ?」

「ちゃんと下みながらいきま~す」


 ひねくれた子供のような返答に、呆れつつも頬がほころんだ。


「あっ、そういえば。さっき、何か言おうとしてなかったか?」

「ん? あ~……お昼、突然お邪魔しちゃったけど、迷惑じゃなかったかなって。ちょっと気になって」

「普段授業中にちょっかいかけてくるくせに」

「それとこれとはちょっと違うの」


 何の違いがあるのかわからなかったが、普段から有無を言わさずなんでも先に決めてしまうイメージがあったから、しおらしい紗枝が新鮮に映る。けれど、こいつもこいつで俺のことを気にしてくれていたのは、普通に嬉しかった。


「迷惑なんてことないだろ。俺とお前の仲なんだし」


 もし本当に迷惑だったら、今こうしてお前と一緒に飲み物を買いに行ってたりなんてしてない。それに屋上手前で会った時に、もっと嫌な顔をしていたに違いない。だからそんなことで心配しなくていいんだけどな。

 後期になってから、紗枝はどこか遠慮してる部分がある。授業中の時もそうだが、放課後もあまり絡んでこなくなった。こっちもいろいろと忙しいから、気を使ってくれているのかもしれない。


「だからまあ……来たきゃいつでもいいんじゃないか? 塚本だって、別に怒らないだろ」

「じゃあ……」


 ちょうど階段の踊り場に降り立つ。彼女はそこで足を止めて、俺を見上げた。


「また来ていい?」

「……」


 真剣に問いただす彼女の瞳に、自然と背筋を正している自分がいる。


「あたりまえだろ」


 その答えを聞いて、彼女は嬉しそうにほほ笑む。


「言質とったからね!」


 そのまま上機嫌に、階段を下りていく。俺はその後ろ姿を見ながら「とる必要あったのかよ」とぼやき、後を追うのだった。

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