第105話:ひさびさの勉強会

 文化祭実行委員だとか、お姉の誕生日プレゼントの撮影会だとか、ここ最近妙に忙しくて幸恵の勉強を見る機会があまりなかった。

 といっても、ほんの1~2週間くらいしか期間は空いてない。それでもどうしてしか、久しぶりだなと思ってしまう。


 というか、二人っきりというのが、あの日以来だ。

 新島さんに仕組まれて、流れでやったデート。ちょっと問題は起こったけど、楽しかったあの出来事から、幸恵と二人だけになる機会はなかった。


 ──続きは、いずれ──


 あの意味深な言葉の真意が、結局なんだったのかはわからない。あれからの幸恵の様子はいたって普通で、いままでと変わらないように思える。逆に意識してしまってるのは俺の方で、幸恵の顔を見ては勝手に思い出され、勝手にもやもやしている。

 というか最近、幸恵のこと以外でももやもやしてること多いんだよな。


 その一端を担ってるのは、もちろん紗枝だ。あいつもあいつで妙に思わせ振りな言葉を呟いて、結局それの真意については語ってくれない。それに日角だって……何でなのかわからないが、俺にたいして思うことがあるような様子なんだよな。


 俺が知らないところで、いろんなことが進んでいるように感じる。だからといって、何ができるってわけじゃないんだけど……なんだかな~。


 どうしようもないことをウダウダと考えるのは、あまり生産的ではない。ひとまず今は、目の前のことをやるだけだろう。


 図書室の扉を開ける。室内は咳払い一つでもしたら部屋中に響渡るくらい、シンと静まり返っていた。

 放課後の時間は利用者が少ないとはいえ、勉強をしに来ている人が、ノートにペンを走らせている音が聞こえてくるものだ。けれど今日はほぼ無音。カウンターで図書委員の子が返却本のチェック作業をしている音だけが、静かに響いていた。


 入ってすぐの左側の奥。窓際付近には、借りた本を読むためのスペースが置かれており、四人掛けの机がいくつか並んでいる。そこの一番手前の壁際に、彼女は夏休みの時と同じように待っていた。

 近寄る俺の存在に気付くと、花が咲いたようにパァっと顔を明るくし、少し髪を整えて、わざわざ俺なんかのために立ち上がる。その姿が可愛らしいのだが、いざ幸恵を目の前にしてしまうと、少し緊張している自分がいた。


「ごめん、遅くなって」

「平気ですよ、それくらい。それよりも……結構かかりましたね」

「ああ……うん。相変わらずだったよ……」


 あいつもあいつで、女子につかまってなかなか出てこないしな。


 本当だったら幸恵と一緒に図書室にこれたんだが、あいにくと隣のクラスにいるイケメン、塚本誠治からノートを回収しないといけない用事があったため、幸恵にはこうして先に図書室の方に来てもらっていたのだ。

 あいつのクラスのホームルームは遅いことで有名で、3分程度に収まるであろう内容が10分くらいかかってしまう。理由としては生徒と担任の先生の相性が良くないことがあげられる。

 早く帰りたくて適当に流そうとする生徒と、挨拶を含めてしっかりとホームルームを終えたい先生。まさに水と油。けして交わることのない関係性のできあがりというわけだ。

 それに加えて塚本誠治という男は、どんな時でも女子に絡まれる。もちろん顔がイケメンで対応も紳士で、表の顔しかしらない女子にとってはまさに王子様のような存在だから、どうしてもお近づきになりたいという気持ちも理解できないわけではない。

 だとしても、本人にも用事というものがあるのだから、時と場合は考えてほしいところだ。


「お疲れ様です」

「ありがとうございます」


 労ってもらうようなことではないけれど、こういう些細なことでも気にかけてくれると、疲れも少しは和らぐというもの。気遣いのできる人って素晴らしい。

 しかし、やはり幸恵は普段通りだ。あのことなんて、気にも止めてないように思える。

 結局、気にしてるのは俺だけなのかもな……。

 それならそれで、しっかりと気持ちを切り替えていかないといけない。

 改めて気合いを入れ直して、椅子に腰かける。


「よし! 久しぶりだけど、どこからやろうか?」

「そうですね。数学をお願いしてもいいですか?」

「ん。了解」


 鞄の中から教材を取り出し、机の上に広げる。

 こちらの準備が整ったところで幸恵の方を見ると、やる気満々といった様子でシャーペンを手に持ち、こちらを見ていた。


「じゃあ、やりますか」

「はい。お願いします」


 ~~~


「――つまり、ここで求めるxの範囲は……」

「なるほど……ようやく理解できました」


 問題が解けたことで一息つく幸恵。俺の方も、ちゃんと理解してもらえたようでホッとした。

 ふと窓の外を見てみると、すでに日は落ちて空が暗くなっていた。夏のだったらまだ夕日が沈んでいる時間帯だが、秋になり始めていくこの時期は、日が沈むのも早くなる。


「今日は、このへんにして切り上げようか。もう暗いし」


 俺の提案に、幸恵も窓の外を見て「本当ですね。あっというま~」と上半身をグッと伸ばす。すると否応なしに彼女のたわわに実った胸が強調され、慌てて視線をそらした。


「? どうかしましたか?」


 気づかれてないのは幸いだが、どうと言われてもなんと答えたらいいものか……。

 素直に『胸が……』なんて言えるわけもないので、「いや、なんでも」とお茶を濁すしかなかった。

 いかんいかん。いくら目が行くからと言って、幸恵に対して失礼だろ。男の性ではあるが、自重するところは自重しないといけない。


「……」

「……」


 だというのに、彼女は前かがみになって下から俺のことを見上げるように見つめる。机に突っ伏しているような状態なので胸が乗っかり、かつかわいい顔が近くに寄る。


「幸恵さん?」

「動かないでください」


 そう呟いた幸恵は、ゆっくりと手と顔が、俺の顔に近づいてくる。真剣な表情で見つめられ、心臓が早鐘を鳴らす。何をされるのか全くわからなかったが、それでも『何かされる』という気持ちからドギマギしてしまう。


「あの、幸恵?」

「じっとしてて……じっと……」


 声も控えめになり、どこか艶がある。聞いているだけ変な気分になる。


 ちょっと待て……それ以上近づいたら、ヤバいだろ!


 幸恵の顔が近く、さらにこのシチュエーション。想像したくなくともあることを想起させる。


 ──続きは、いずれ──


 不意に思い出すのは、あの時の記憶。いろんなことを思わせるあの言葉。これがあるせいで、もしものことをどうしても考えてしまう。

 頭の中で、さすがにそれはないだろう、と繰り返すも、思春期の男子なのだから思わざるにはいられない。自然と視線は彼女の唇に向けられ、想像をして勝手に顔を赤らめる。


 でもダメだろ。俺たちは別に付き合ってるわけでもないんだ。そりゃあカップルのフリはしたけれど、それは結局のところフリでしかない。


「幸恵! さすがこれ以上は!」


 あと少しすれば手が顔に触れる。といったところで、ペシリ! と首をはたかれた。予想だにしない事態に、目を丸くする。


「危なかったですよ優くん。蚊です」


 俺の首をはたいた方の手のひらには、蚊が無残にもつぶされていた。血を吸う前だったようで、赤くはなっていない。


「やっぱりまだ夏ですね~」なんて、人の気もしらないで呑気なことを言って、ポケットティッシュを取り出して自分の手を丁寧に拭っていく。俺ははたかれた首元を手で押さえて、あらぬ想像をした自分を最大限恥じた。


「あっ……ありがとう……」


 自分の攻めつつ、なんとかお礼の言葉だけはひねり出せた。しかし心に負った傷は重く、また自分の頭が存外お花畑なことを改めて理解した。冷静に考えれば、そんなこと起こらないことは火を見るよりも明らかなのに、俺は何を浮かれていたんだ。


 幸恵には珍しい思わせぶりな態度だったから、ありえるのかもしれないと、気が大きくなっていたのだろう。バカなやつだ、本当に。


「帰ろうか……」


 鞄の紐を肩にかけ、席を立つ。

 少なくとも今日明日は、幸恵の顔はまともに見れないだろうな。


 ~~~


 気難しい顔をして、優くんは席を立った。

 少し気になったけれど、自分の行動を振り返っても特におかしなことをしたわけではないので、ひとまずは気にしないようにする。


 久しぶりの勉強会は、集中していたせいで本当にあっという間に過ぎてしまったけれど、優くんと二人きりの時間が取れて素直に嬉しい。最近は文化祭実行委員やバイトなんかで忙しそうだったし、遊びなんかにお誘いするのは気が引けていたから、彼と一緒に過ごせたことは私にとってはかなり大きかった。


 まあ、優くんにとってはきっと、勉強の一環でしかないけれど。


 ともかく、楽しかった勉強会はいったんお開き。帰りながら、次の勉強会の日程でも決めよう。


 そんなことを考えながら、私も鞄の紐を肩にかけ、席を立つ。その時にふと、先ほど彼の首をはたいたとき、痛くなかっただろうか? と疑問に思った。

 本人としては優しく、押し当てるようにしたつもりだったが、ペシンといい音も鳴っていたし、少し痛かったかもしれない。


 もしかして、さっきの顔もそれが原因? だとしたら少し悪いことをしちゃったな。謝っておかないと……。


 彼の首をはたいた方の手のひらを見る。まだ少しだけじんわりと熱を持っていて、ちょっとむず痒い。

 キュッと手の握り、先ほどの光景を思い返す。


 顔……近かったな。


 困っているような、てんぱっているような、そんな表情を浮かべていた優くん。思い返すだけでも愛おしくて、それで……。


 私はいけない子だ。あんな状況だったのに、あのまま彼の頬に触れて、顔を近づけてしまえばよかったなんて。そのまま唇を、奪ってしまえばよかったなんて……本当に私は。


「いけない子だな」


 胸元に手を置いて、邪な気持ちを押しやっていく。

 あと少しで図書室の扉に手をかける彼の背中が視界の隅に移り、急ぎ足で追いかけた。

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