第141話(サイドh):私に何かお話かな?

 急に景色が下がって、パッと下を見たらすぐそこには地面が迫っていた。その瞬間に、ああ……こけたんだ。と、どこか冷静に状況を分析する自分がいた。

 もう何回見たかわからない光景だったから、それだけ冷静に自分を見ることができたのかもしれない。あとはもう、大きな怪我がないことを祈りながら、地球の重力に引っ張られるだけ。

 でもその時、私の体が咄嗟に動いて、奇跡的に幸恵と地面の間に挟まることができた。何をもってそうなったのかはわからないけど、自分が自然に彼女を助けたことに、自分が驚いた。


「――っ!」


 二人三脚だったため、そんなに速度が乗っていなかったらからか、前のめりにこけたと言っても、思った以上の大事故にはならなかった。倒れた私に覆いかぶさるように幸恵が乗っかる。嫉妬するような柔らかな二つの重みを背中付近に感じながら、大きく咳き込んだ。


「えほっ! えほっ!」

「ぃた……瑠衣ちゃん! 瑠衣ちゃん大丈夫ですか!?」


 上に倒れていた幸恵は勢いよく起き上がり、激しく私を揺さぶる。そんなにしなくても大丈夫だから。


「大丈夫……ぃっ!」


 起き上がろうとして、自分の左膝に激痛が走る。顔をそちに向けると、すり剥けて膝から血が出ていた。


「瑠衣ちゃん、足……」

「このくらい大丈夫。こけたくなかったけど、こけちゃったね」

「早く保健室に!」

「あと少しだから……あと少しだから、一緒に頑張ったから」


 足は痛かった。幸恵の気持ちもわかっている。けどそれよりも、ちゃんとゴールしたかった。

 動悸は不純。二人とも相馬にただ褒めてもらいたかったがために努力をして、今日まで頑張ってきた。そんな私たちの関係だけど、一緒に努力をして、成長したことを喜んで、二人で無茶な目標も立てたんだ。

 今はもう相馬のためだけじゃない。私がただ単純に、幸恵と一緒に頑張った証が欲しい。


「大丈夫」

「……わかりました」


 たかが運動会。何をそんなに熱くなっているのかと、自分でも思う。たぶん去年までなら、少なくともこんなことは思わなかった。そもそも真剣にだって取り組まなかっただろう。

 でも変わって、真剣になればなるほど、それが美しい物なんだって思えるようになった。それも全部、あいつへの気持ちを自覚したからだ。


 立ち上がろうとして、けれども足に力が入らない。でもこれは二人三脚。足りないところはもう一人が補ってくれる。

 もうすでに私たち以外の組はゴールしてしまったが、応援の声は鳴りやまなかった。

 私は幸恵に支えられながら、ゆっくりと、確実にゴールに向かう。ゴール係の粋な計らいで、再度引かれたゴールテープを切ったのだった。


 ~~~


「はい、これで大丈夫。帰りにまた来なさい。ガーゼ代えてあげるから」

「ありがとうございます」

「全く。はしゃぐのはいいけど、怪我には気を付けなさい。せっかくの綺麗な肌に傷が残ったら大変よ」

「はい」


 保険の先生の注意を受け、頭を下げる。

 はしゃいだ結果ではなかったが、無茶をしたのは確かだったので、そこは反省する場面だろう。


 幸い先ほど怪我をしたのは私だけだったようで、幸恵は砂を被っていたが、見た目ほどひどい状態ではなかった。

 競技が終わった後に、幸恵が「私が保健室に運びます!」と言って聞かなかったが、決して歩けないわけでもなかったし、彼女もタオルなどで砂を拭ってやる必要があったので、そこはなんとか説得した。

 終わってからすぐに保健室に向かったので、応援席にいた相馬たちの方には行っていない。横目で様子を見たが、相馬も寺氏もすごく不安そうにこちらを見ていた。一応、大丈夫そうには振る舞ったけど、心配はかけただろうな。

 けれどその分、たくさん褒めてくれそうな予感もある。


 保健室を後にして、ひょこひょこと歩きながらも、浮かれている自分がいた。欲を言うなら、心配してくれた相馬が迎えに来てくれたりなんて、そんな妄想を膨らませながらグラウンドに向かう。するとその途中で、予想外の人が心配そうに私が歩いてくるを見ていた。


 ああ、そうなんだ。ここで来るか。


 彼女の手には冷たいスポーツドリンクが一本。まだ封を開けていないのか、遠目からは新品に見える。

 私が彼女に気づいて足を止めると、少し遠慮がちに彼女の方から歩み寄ってくる。


「大丈夫……だった?」

「見た通りね。普通に歩けるから心配はいらないよ」

「そっか……よかった」


 安堵したのか、彼女の表情がふにゃりと柔らかくなった。


 本当にただ私を心配してきてくれたのだろうか? いや違うだろう。私が一人になるタイミングだから、わざわざ来たに違いない。彼女は人前で暗躍できるような、そういうタイプじゃないだろうし。


「それで、私に何かお話かな? あさみん」


 彼女、浅見紗枝は一度眉をギュッと寄せると、おずおずと口を開いた。

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