第48話:男女二人、一つ屋根の下、何も起こらない……はず

 シャワーを浴びながら、先程瀬川さんが言っていたことを思い出す。


 ──今日は私一人しかいませんから──


 まさかの事態に陥ってしまった。

 性格上、瀬川さんがあの場で嘘を付くわけもないので、確実にこの家には俺と彼女しかいないのだろう。

 しかしそれは、かなり問題がある。

 俺はこれでも男だ。彼女がどう思ってるのかなんてわからないけど、男は皆狼になりえる素質を持っている。それは例え俺でも例外ではない。

 普段は強固な理性でそういう気分にならないよう努力してるが、さすがに我慢できない時もある。


 例に漏れず浅見の話になるのだが、あいつは俺に対するガードがゆるいうえ、スキンシップが激しいのでよく胸が当たる。着痩せするからか、見た目ではあまり目立ちはしないのだが、確実な質量を持ったそれを押し付けられるのだから、男子高校生である俺の体は反応する。

 最近は感じないよう意識的することを心がているが、完璧ではないのでずっと抱きつかれてるとキャパオーバーになる。

 涙ぐましい努力ではあるが、やるだけ損、ということもないので今も継続している。


 とまあ、話した通り感じないなんてことは有り得ないのだ。相手が異性である以上、俺はしっかり意識してしまう。それは誰であっても同じことだ。

 そして今、俺はたぶん今までで一番意識しているかもしれない。


 自分一人の家に男をあげるのだ、そういう感情を相手が持っていると思っても可笑しくない。普段から俺をからかってくる浅見ならまだしも、相手が瀬川さんなので余計そう思うのもある。まあ、浅見相手でも絶対意識するとは思うけど、今はその話は置いておこう。


 ……今一度冷静になろう。


 恐らく瀬川さんのお父さんが使っているであろう、男性整髪料で髪を洗っていく。


 瀬川さんは天然だ。もしかしたら今日のこれも、本当に勉強がしたかっただけで、いつもとは気分を変えて家にしようと考えただけかもしれない。きっとそこに邪な気持ちなんて一ミリもなかっただろう。


 泡をシャワーで洗い流すと、それまで考えていた雑念もそのまま洗い流されたようだった。


 そうだよ。瀬川さんがそんなこと考える訳もないし、それだとあれじゃん、瀬川さんが俺のこと好いてるってことになるじゃん。さすがにそれはあり得ないだろう。


 ボディソープを共用なのか、一つしかなかったのでそれを使う。適当に洗って、泡を洗い流す。

 洗い終わったら、考えもすっきり纏まった。


 うん。あり得ないな。


 きっと特別な意味などなく、ただの事実としてそう言っただけなんだろう。瀬川さんらしいと言えばそれまでだが、もうちょっと意味考えて言ってほしいな。


 呆れつつ風呂を出て、体と髪を拭いて。渡されていた着物に袖を通す。着たことはないが、見た目を思い出しながら着替える。下着はさすがに変えるわけにはいかないので、同じものを履いている。

 髪を拭きつつ脱衣所を後にするが、どこに向かえばいいのかわからず一先ず玄関に戻ってきた。

 さきほど瀬川さんは、俺のバックを玄関から見て左側の通路の先に持っていったので、恐らく客間がそちらにあるのだろう。

 推測をたてそちらに向かうと、すぐに縁側に出た。雨が降っていなければ開いていたかもしれない大きなガラス窓は閉まっており、さきほどまで強く地面を打ち付けていた雨は小雨になってきている。

 歩きながら障子が開かれている室内を覗き見ていると、8畳ほどの広さの部屋に瀬川さんがいた。部屋の中央には四角形のちゃぶ台が置かれており、瀬川さんはそこで勉強をしている。ちゃぶ台の上には他にお盆があり、その上に茶菓子と急須、湯呑みが二つ置かれていた。急須の注ぎ口から湯気がたっているところを見ると、淹れたてのようだ。


 改めて勉強している姿を見ると、邪なことを考えていた自分を殴りたくなってくる。


 瀬川さんは気配を察知して顔をあげる。俺に気がつくと、わざわざ手を止めて歩み寄って来てくれる。


「ありがとう瀬川さん。いろいろ」

「いえ、これくらい当たり前ですよ。服は乾燥機にかけてありますから」

「助かります」

「そんなそんな。それより……相馬くん、帯締めできないんですね」

「……着たことなくって。適当になってる」


 雑に結んだ帯を見て、瀬川さんはクスクスと笑った。


「難しいですよね。じゃあ、ちょっとジッとしててください」

「うん」


 すると瀬川さんは、向かい合ったまま帯と帯紐を緩める。腰の締め付けがなくなったことで、合わさっていた掛けえりが離れる。


「ちょ!」


 動揺する俺を無視して、「本来なら、中にシャツとか着るのですが、濡れてるから仕方ないですね」としっかりと上前を俺の腰まで引っ張る。そのままもう片方の上前を反対側まで寄せて、ほどいた帯紐を腰に回す。

 腹が締め付けられるくらい強めに縛られ、その上から帯を回していく。


「やっぱり、着付けできるんだね」

「着る機会が他の人よりも多いですからね。自然と一人でできるようになりました」

「着付けができるって、なんか凄いよね」

「そうですか?」

「うん。なんで凄いのかは、いまいち自分でもわからないんだけど」


 着付けと聞くと、どうしても難しいものの印象があるので、その固定概念がそう思わせているのかもしれない。あと単純に、自分ができないから、できる人のことが凄いと思ってしまうのだろう。


「覚えれば相馬くんでもできますよ」

「俺、不器用だからな。できるかな?」

「できますよ。ただ──」帯を締め終えた瀬川さんは顔を上げ「──もしできなくても、私ができるので大丈夫ですよ」


 彼女の満面の笑みに、心臓が跳ねた。


「えっと……それって……?」

「もし着物や浴衣を着るときは是非家にいらしてください。私がしっかりと着付けますので」

「ああ……そういう。ありがとう」


 やはり瀬川さんは瀬川さんだ。さっきの言葉も、別に深い意味はなかったのだろう。ただ内容が内容だっただけに、一瞬ドキリとさせられた。こんな状況だからだと思うけど、冷静になったとはいえ、やっぱりかなり意識してるみたいだ。やっぱり二人っきりってのが効いてるんだな。今一度冷静になろう。


「あっ、そうだ、瀬川さん」

「はい」


 重要なことを聞きそびれていた。


「あの……本当に親御さんいないの?」


 再確認をかねて訪ねると、瀬川さんは申し訳なさそうな顔をした。


「すみません。本当はいるはずだったんですけど、母が今日は琴を教える日だったらしく。今朝、出掛けてしまったんです」

「あっ、そうなんだ。なるほど」


 元々はお母さんがいる予定だったのか。

 最初っから二人きりという訳ではなく安心した。


「今日は私一人ですが、母にも相馬くんが来ることはお伝えしていますので、挨拶などは気にしないでください。またの機会で大丈夫ですから」

「ああ、うん。ありがとう」


 というかお母さん。娘だけしかいない家に男あげることを許したのか。どんな親だよ。心配じゃないのか?


「母も相馬くんには会いたがっていました。よろしく伝えてくれと」

「そっか。はははっ」


 そのよろしくは、はたしてどういう意味のよろしくなのだろうか。素直に娘のことをよろしく頼むなのか、それとも娘に変なことするなよ? わかってるな? の方のよろしくなのか。まあ普通に考えて後者か。

 安心してくださいお母さん。俺と瀬川さんはそもそもそんな関係じゃないです。手を出すなんてそんなこと考えません。


「そうだ。お茶淹れてたんです」


 瀬川さんは腰を下ろし、並べた湯飲みにお茶を注いでいく。三回に分けて淹れていき、味の濃さを調整してくれる。俺も彼女の前の席に腰を下ろして、湯飲みを受けとる。


「お菓子もありますから、勉強しながら食べましょう?」

「……うん」


 通常運転の瀬川さんに、自然と心が和んだ。ひとまず彼女が気にしていない以上は、俺がとよかく言うことでもない。結局二人っきりということに代わりはないけれど、まあ大丈夫だろう。どうせ勉強しかしないんだから。

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