第49話:確かめたかったことがあるんです

 ちょっした休憩を挟んでから、すぐに勉強に取りかかった。

 自分から誘ったからか、瀬川さんは普段よりも意欲的に勉強に取り組んでくれる。教える側としても熱が入るというものだ。重点的に苦手科目、まあほとんどの教科が苦手なんだけど、その中でも特に苦手な数学を潰すことができた。

 いつもこれくらい集中してやってくれると、こちらとしても教え甲斐があるのだが。瀬川さんは勉強が嫌いなので、黙って手を動かすということができない。

 教えられているから弁えている部分も勿論あるのだが、それ以上に口がよく動く。それが勉強に関する質問なら俺も何も言わないが、あまり関係ない好物の話しや、休み日は何をしているのかとか、そういったプライベート寄りの話しをする。

 なので必ず一回は注意する場面があるのだが、今日はそれがなかった。


 瀬川さんも本気で勉強に取り組んでくれるようになったか……なんだか感慨深いな。


 教え子が成長する姿に感動を覚えた。親心というのは、恐らくこういうことを言うのかもしれない。


 一通りの勉強を終えて、今は再テストのためにテスト問題を解いて貰っている。

 テストがいつあるのかは聞いてないが、平均点以上を上回れば問題ないので、反復して覚え、解けなかったところを直した方が早い。

 今までに国語と社会、理科は平均点以上を取っているので、後は数学と英語だけ。今はその内の一つである数学を解いて貰っている。


「……終わりました」

「はい。お疲れさま」


 大きく息を吐いて、身体の力を抜く瀬川さん。テストは集中力を使うからか、どうしても体が強張ってしまう。その気持ちはよくわかる。

 答案用紙代わりのルーズリーフを受け取り、答えと照らし合わせながら「手ごたえは?」と訊ねる。


「いけると思います!」


 自信満々な返答に、俄然答え合わせが楽しみになった。




「うん。合格」

「本当ですか!」


 採点を終え、無事平均点以上の成績を叩き出した。この様子なら、追試も問題ないだろう。


「数学は結局反復練習だから、やればやるだけできるようになる。でもこの感じなら、後は復習程度に済ませて問題はないかな」

「本当ですか? なんだか忘れそうで怖いです……」

「でもこれ以上テストの問題はやらないほうがいいよ」

「どうしてですか?」

「これは再試だからいいけど、本来テストは何が出るかわからないじゃない。答えだけを覚えると、計算とかすっ飛ばして答え書けちゃうから実力が付きにくいんだよ。だから復習もテスト問題じゃないものを解くようにして、公式の使い方を練習するようにするんだ。そうすれば今後、数学はグッと簡単になる」

「なるほど。では、問題集の問題を解くようにします」

「うん。その方がいい」


 一息ついたところで、キュ~とお腹が鳴る音がする。可愛らしいその音は、俺の向かいに座る瀬川さんから聞こえてきた。顔を上げてみると、真っ赤な顔でお腹を押さえている瀬川さんの姿が。

 彼女は泣きそうな顔で俺を見る。目で『聴こえましたよね?』と訴えかけるので、頭をフル回転させて「……頭使うとお腹空くからね」とフォローを入れた。

 茶菓子は置いてあるけれど、実は彼女は最初以外に食べていない。そもそも勉強の途中食べることをしないのか、一切手を付けなかった。自宅ということでもてなす側だから遠慮もあるのだろうが、もしかしたら俺と同じであまりお菓子を食べる方ではないのかもしれない。採点の間もジッと俺の事を待ってくれていたので、可能性はある。

 瀬川さんは顔を手で覆ってちゃぶ台に突っ伏した。


「お……お見苦しいところを……」

「いや、お腹が空けば誰でも鳴るから」


 それに可愛らしい音だったし、そこまで恥ずかしがることじゃないと思う。


「それに」


 時計を確認する。すでに16時を過ぎている。俺は来たのが13時前なので、かれこれ2時間以上は勉強していることになる。


「3時のおやつは過ぎてるし。休憩にしよう」

「……はい」


 ちゃぶ台の上を片付け、瀬川さんはお茶を淹れ直してくると台所に。俺は茶菓子として置かれたぬれ煎餅を食べる。

 障子を少しだけ開け、隙間から縁側の奥の窓の外を見る。すでに雨は上がっており、雲の隙間から青空が見えていた。

 やはり天気予報はあてにならないな。今日は一日中曇りだって言ってのに。

 まあ俺としては、晴れていようが曇っていようが、帰れれば問題ないのでどちらでも構わない。雨さえ降っていなければどうでもいい。


 台所の方から瀬川さんが戻ってくる。しかしお盆の上には急須の他に何か白い物体が乗っかっていた。


「お待たせしました」


 瀬川さんが持って来たのは、小皿に乗った大福だった。


「いただき物なんですが。もしよかったら」

「ありがとう」

「ちなみにこし餡なんですけど、平気ですか?」

「うん。こし餡は好きだけど……どうして?」

「うちの親はつぶ餡派で、好みのことに関してはうるさくて。なんていうのでしょう……派閥ですかね?」

「あ~……」


 古来よりあるきのこたけのこ戦争しかり、つぶ餡こし餡戦争しかり。人は譲れないものがあると衝突する。でもたかだか食べ物のことで喧嘩が起こるのは、平和な証拠だろう。


「瀬川さんはどっちが好きなの?」

「私もこし餡が好きです。相馬くんと同じですね」


 嬉しそうに微笑む瀬川さんに、少々顔が熱くなる。うん、可愛い笑顔だ。

 それから少しの間、まったりとした時間を過ごした。お互いの会話に相槌を打つ程度の、そんな当たり障りのない時間。その中で「そういえば……」と、ふと瀬川さんが呟き、俺の顔を見る。


「二人っきり……でしたね」


 ……えっ? 今更?


 俺が風呂場でもんもんと考えさせられた問題を、今更になって持ち出された。気づくタイミングが可笑しいというかなんというか。


「瀬川さん、自分で今日は一人しかいないって言ってたよね?」

「そうなんですが、私たちしかいないんだな~と改めてその……意識してしまって」


 照れたように俯く瀬川さん。


「まあ、男と二人っきりってのは、意識しないのも可笑しな話しでしょ」


 女子は身の危険とかも考えないといけないし。むしろ意識されない方が危ない。でもよかった、一応男として見てはくれているのか。


「そうですかね?」

「そうじゃないの?」

「そう……なんでしょうか」


 どうも自信なさげだ。別にこんなことで一々悩む必要はないと思うだが、彼女の中で何かが引っかかっているのかもしれない。


「相馬くん」

「ん?」

「手を出してください」

「手?」

「手です」


 言われた通り片手を差し出すと、彼女はなんの躊躇もなく両手で包み込むように握る。

 あまりに突然のことに「せっ! 瀬川さん!?」と取り乱した。

 彼女を見ると、何かを確かめるように伏し目がちに握った手を見つめる。全く状況が読み込めず、疑問だけが生まれた。


 いったい、何をしてるんだ?


 彼女は顔を上げると、俺と視線が合った。すると頬を赤らめ、慌てた様子で「ありがとうございました」と手を押し返された。


「あの……何が?」


 理由を知りたくて訊ねた。瀬川さんは俺の視線から逃れるように、普段なら真っ直ぐ人の目を見て話すはずが、その時だけは視線を逸らした。


「確かめたかったことがあるんです」

「確かめたかったこと?」


 なんのことだ?


「それは、今のでわかったの?」

「……はい」


 小さく頷く瀬川さんに、俺はまた疑問で頭がいっぱいになった。

 あの行為に一体どんな意味があったのか、自分の手を見つめて考えてみるけれど、結局なんの回答も得られなかった。

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