第2話:背中突くのやめろ

 眠気を誘う五時限目の授業。本日は世界史。興味もない国外の歴史に加えて、担当の先生は教科書を読んだりするだけで全然面白みがない。だがそんな授業でも、自分でちゃんとノートに纏めないといけないから面倒だ。内申点に響くからな。

 退屈だ。退屈だが仕方ない。

 欠伸を噛み殺しながら、先生が黒板に書いているものを真面目に書き写す。まあ……話しは半分近く聞き流してるけどな。


 ノートを取りつつ、頭の中は今日はバイトだったな~……とか。今週のマガ○ンは面白かったな~……とか。授業に関係ないことを考える。


 あ~駄目だ。集中力完全に切れてる。いかんいかん。いったん頭をリセットして、授業モードに切り替えないっ!

 突然背中に痛みが走る。最近暑くなってきたせいで、インナーとワイシャツのみの簡素な防壁ゆえ、何か先が固く尖っている物が背中を刺すと予想以上に痛い。うっかり声をあげそうになったが、寸でのところで喉に留まってくれて助かった。授業中に変な声あげたら、先生に注意を受ける。


 俺は眉間に皺を寄せながら、肩越しに後ろを見た。

 俺の後ろの席。運良くも窓際最後尾を引き当てた強運の持ち主。そして事あるごとに俺にちょっかいをかけてくる女子、浅見紗枝あさみさえ

 どことなくギャルっぽい雰囲気を思わせる、長めで癖のある明るめの髪。加えてパーソナルスペースが近く、コミュ力も高い。俺としては少し苦手なタイプだ。


 そんな彼女は、手に持ったシャーペンを器用に回しながら、退屈そうに授業を聞いていた。

 俺の視線に気づくと、一瞬目を合わせるが、特に何か言う訳でもなくまた黒板を見る。


 恐らくさっき背中に感じたのは、あいつが今持っているシャーペンのペン先だろう。あれが背中に刺さったのだ。あれは地味に痛いから嫌なんだよ。ただまあ、一回程度なら許してやろう。お陰様で眠気も飛んだからな。


 前を向いて、今度は真面目に教科書を追いつつ授業を受ける。世界史に全く興味はないが、次のテストのためにノートは真剣に纏めたいとは思っている。

 話を聞きながら、時折挟む補足部分をかみ砕いて纏める。ああいう何気ない一言が、意外にも役に立つときがあるからっ!


 また背中を刺された。今度はツン、とかではなく、ズブッ……といった感じだった。刺すと言うより押し込むと言った方が表現として正しい。めっちゃ痛い。


 背中の刺された部分を擦りつつ、イラつきを息を吐き出すことで抑えながら、また後ろを見た。

 彼女はペンを回しながら、悠々と窓の外を眺めていた。その憮然とした態度に更なるイラ立ちを覚える。


 席が近いことが刺される原因であると解釈した俺は、いったん椅子を机に寄せて、後ろとの距離を取った。お腹の方の空間がなくなり、机と接するほど近くなるが、あいつにまた刺されるよかだいぶましだ。

 距離を開けたことで、間接的に『刺すなよ? やめろよ?』と無言で訴える。これで止めてくれればいいが。たぶんないな。


 背中に注意を割きつつ、授業を真面目に受ける。

 教科書を追いながら、なんでこんなに世界史には興味がわかないんだ……と、心の中で溜め息を吐いた。先生方には申し訳ないが、こんなものが将来どう役にたったのか、実体験を踏まえた上で教えて頂きたい。


 それから数分。授業も後10分少々といった具合になる。

 椅子を引いた効果は思いのほか出ているようだ。あれからシャーペンによる奇襲がなくなった。

 よかったと思う反面、少しの肩すかし感をくらう。あいつの事だから、絶対諦めずにもう一度刺して来て、また何食わぬ顔でどこぞを見ているんだろうと思っていたから。

 まあないに越したことはないな。後10分。気合入れてっ!


 ガタンと机が動く。密接し過ぎたせいで、ちょっと動くと机に当たって揺れてしまう。


「相馬君? 大丈夫?」先生が音に気付き、心配してくれる。

「大丈夫です。足動かしたら机に当たっちゃって。はははっ……」

「ずっと座りっぱなしだものね。でも後少しだから、もうちょっと付き合ってね」

「は~い」


 気を抜いた俺が悪いのか、それともこれを狙ってやったのか。とにかく、油断したところを的確に刺された。おかげでいらん注目を浴びた。

 先生が黒板に向き直り、今日の纏めに入る。俺は肩越しに後ろを向き、彼女を見た。


 彼女は得意気にニヤケながら俺を見つめ、ペンを器用にくるくる回している。


 こいつ……。


 目で訴える俺に、彼女はペンを回すのを止め、トントンと自分の広げているノートを突く。目線をそこに向けるが、授業の内容だけで他に何かが書かれている訳ではない。


 何が言いたいんだ?


 察することのできなかった俺に、彼女はペン先を俺に向け、そして次に自分のノートに向ける。その仕草が、『こっちに来い』と言っているようで、俺は先生がまだ黒板に向いていることを確認してから、渋りつつも椅子を後ろに下げた。

 ほとんど彼女の机と接触するくらいまで下げると、ようやく彼女は口を開く。


「離れてたら寂しいじゃん」


 小声で、周りには聞こえないような大きさ。俺も前を向きながら、肩越しに彼女と話す。


「お前がシャーペンで背中突くから、離れざるおえなかったんだろ。自業自得だ。あと寂しいってなんだよ、彼女か」

「彼女じゃないよ?」

「知ってるよ。ほんの冗――」

「今はね」


 肩甲骨の間を突かれる。今度は痛いとかではなく、くすぐったい。一瞬ビクリと体が跳ねた。


「お前……」


 後ろを振り向くと、彼女は自分の唇に人差し指を当てて、静かにしなさい。とジェスチャーをする。授業中は静かにするのがマナーの一つ。お前が言うなとは思うが、言っていることは正しい。釈然とはしないが、素直に前を向く。


 ……というか。さっきのはあいつなりの冗談でいいんだよな?


『今わね』


 その言葉が頭の中を巡った。きっとあれは、俺のことをからかうために言ったに違いない。こいつのことだ、そう言って俺が悩むところを見て楽しむ腹積もりなんだ。だとしたら、あいつの策略に乗ってはいけない。むしろ、何も聞いてませんが? 何ですか? くらい胆が据わっているほうがいい。そう……だから気にしてはいけない。

 しかし人間。気にしない方がいいと思うことほど、気にしてしまうようできている。頭の中ではいまだ論争を繰り広げ、ああだこうだと喧しい。でもあれが冗談でなかった時のことを考えると、どうしても意識してしまった。情けないことに、女子に好意を持たれると、舞い上がってしまうのが男の性なのだ。

 結局この後の10分休みで恥を見ることになるとも知らず、彼女のその一言に少しだけの可能性を期待した俺を、どうか笑ってやってくれ。

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