第116話(サイドt):ちょっとした不安
さてと。今日は音楽室が使えるけど、瑠衣は相馬と文化祭の打ち合わせで来れないと。完全には合わせられないけど、ひとまず私も向かわないと……って。
帰りの身支度を済ませ、ギターケースを背負った時だった。そういえば紗枝と話してなかったことに気が付いた私は、何の気もなしに窓際一番後ろの席を見る。するとそこには、なぜか机に突っ伏している紗枝の姿あった。
寝てるとかでは、たぶんないだろう。腕を枕にしている様子もなく、おでこをくっ付けて項垂れているように見える。
何してんだあいつ?
教室に設置されている壁掛けの時計を確認して、少しくらいなら話す時間があると判断する。そもそも同じバンドメンバーの日角瑠衣が今日は欠席なので、遅れたところであまり文句は言われないだろう。
彼女の方に向かい、改めて見下ろした。
本当に何があったんだと言いたいくらいの落ち込みようだった。ごくまれに見かける光景ではあるが、それでも見てしまった以上見過ごすことはできない。
「何してんの?」
声をかけると、紗枝はむくりと起き上がる。長い髪が顔にかかり、さながら貞子のような風体だ。
彼女は体ごと隣に立つ私の方に向けると、そっと抱き着いてきた。
ウザい気配を察知。
こういう時の紗枝は非常に面倒くさい。原因は十中八九あいつのことだとは思うが、おそらくはそれだけじゃないだろう。
「何があったん?」
諦めて尋ねると、「う~~……」と項垂れた声を漏らした。
「はいはいもう聞きますから。私、部活も行きたいんですよ」
正直な話、内容が見えているのでできるだけ完結に進めたい私は、ひとまず乱れた紗枝の髪を手すきで整えながら雑に聞き出す。すると紗枝は「寺氏はいい女だね」とちょっとずれた返事をした。
「はぁ? 何言ってんのあんた?」
「それに比べて私は……わかってるけど……わかってるんだけどな~」
「マジで話見えないから。というかいい加減離れろ。それとパッと話しなさい」
「うん……」
やけに素直なのが気持ち悪い。それだけ精神的にきているということなのか?
「それで? 何があったの?」
「うん……あのね――」
それからある程度、私が来る少し前に行われた攻防についての話を聞いた。瑠衣が水面下で動いていることを知っている私は、牽制の仕方が大人げなくて若干引いている。権力を行使するのは必要な手ではあるけど、あからさまにやりおったなあいつ。
ただ話を聞いている分では、怒る部分はあっても嘆く部分はないように感じるのだが、何を思ってこいつはこんなに落ち込んでいたんだ?
「別にただの打ち合わせでしょ? 相馬が瑠衣のことを友達と言っている以上は、信じてあげないと」
なんでこんな、カップルでもないはずのこいつに、関係がこじれたカップルに助言するようなことを言ってるんだろう。
言っている自分に疑問しか浮かばないが、それ以外に言うことはない。相馬が嘘を言っているならまた話は変わるが、あいつがそんなことする人間でないのは、この半年間で知っている。
あいつが友達だと言うならば、あいつにとっては友達だ。ただ向こうは、そう思ってないけどね。
「打ち合わせなのはわかってるの、すっごくよくわかってるの。でも二人っきりってなってるし、日角さん可愛いし、二人とも仲いいし……」
言いながらどんどん言葉に力がなくなっていく。
「つまり不安だと」
「不安はそうだけど……」
「だけど?」
「仕事なのはわかってるのに、別に私は彼女でもないのに、どの口が言ってんのって話」
「それはもう今更だろ?」
「わかってるけど!」
人を好きになれば、恋敵に嫉妬するのは当たり前のことで、今までだってそういう場面は何度もあった。その時は今みたいに悩んでいる雰囲気はなかったけど、いちおうこいつも、心の中で思うことはあったのか。
「じゃあ紗枝は、相馬がどこの馬の骨とも知らない誰かの男になってもいいと?」
「それは! 嫌だけど……う~~~」
また机に突っ伏してしまった。
というか今更ながらに思うけど、紗枝って意外の自分に自信がないよね。こんな見た目してるのに、心の中は純情乙女だし。
「だったらまたデートにでも誘ったら?」
その言葉に紗枝は顔だけ前を向き、難しい顔をしている。
「待つだけじゃなくて、たまには攻めた方がいいんじゃない?」
「……がんばる」
ある程度まとまったところで、「じゃ、私は部活行ってくるから」と話を切り上げる。
「ごめん寺氏。引き止めちゃって」
「いいよいいよ。じゃあ、また明日」
「うん。またね」
紗枝に挨拶を済ませて、教室にを後にした。
音楽室に向かう道すがら、紗枝のことを考える。彼女は幸恵と瑠衣とは明確に違う部分がある。それを今回、改めて認識した。
私が思っている以上に浅見紗枝という人間は、恋にたいして積極的になれない。いや……好きだからこそ、肝心なところで一歩引いてしまうのかもしれない。
好きだから嫉妬するのは当たり前で、その感情に善悪はないと私は思っている。それについては、紗枝もちゃんと理解はしている。でもその感情を、相馬に押し付けたくないのだろう。前にも思ったが、紗枝は人の気持ちを尊重する。し過ぎてしまう時がある。
最初から言っていた、『相馬から告白されたい』と。自分からアプローチはかけるくせに、自分からは告白しない。どうしたって、受け手側になっている。その点、幸恵と瑠衣は違う。彼女らは自分の意志で、告白ができる人たちだ。そのうえで、相馬に選んでもらうと思っている。
そんな彼女たちが、少しずつだけど動き始めている。もう悠長に構えている時間ではないだろう。
紗枝、あんたは相馬とどうなりたい? もし今以上の関係を望むのなら、もう待つことはできないかもよ。
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