第115話:放課後二人きり

「す~ぐる」


 帰りのホームルームが終わるのと同時に、“ま~〇の”みたいに、甘えた声でどこぞの俳優のように俺の名前を呼ぶ彼女は、後ろの席なのをいいことに背中を指でなぞる。ぞわっとする感覚に仰け反ると、座っていた椅子がガタンといい音をさせた。

 しかめっ面をしながら後ろを振り向くと、浅見紗枝がニヤニヤしながら俺のことを見ていた。


「一緒に帰ろ?」

「背中くすぐる必要あったか?」


 文句を口にするが、紗枝は視線を彼方に向けてしらばっくれる。


 こいつ……。


 しかし俺も大人なので、多少のことには目を瞑ろう。というかこれくらいのことでいちいち目くじらを立てていては、こいつの友人として付き合ってはいられない。

 ただ残念なことに、今日は一緒には帰れないのだ。


「悪い紗枝。今日は日角と文化祭のこと話す日なんだ」


 それを聞いた途端、先ほどまであんなに楽しそうにしていたのに、一気に表情が凍って真顔になる。

 あまりの感情の起伏の激しさに驚きを隠せない。


「へ~……」

「あの……紗枝さん?」


 紗枝はゆっくりと、俺の隣の席で悠々と帰りの支度を済ませている日角の背中を見つめる。


「日角さんと、そう」

「ん~? あさみん呼んだ~?」


 紗枝の声に反応して、日角は手を止めて振り返った。それになぜか紗枝がビックリして引き気味になっている。


「どうかした?」

「いや、その……文化祭実行委員って忙しそうだな~って」

「忙しい忙しい。だから今日も打ち合わせしないとね~」


 そう言って日角、鞄を手に取って立ち上がる。


「というわけなので、相馬は私がもらっていくから。ごめんね」


 普段表情の変わらないこいつには珍しく、どこか勝ち誇ったような顔をしてから席を離れていく。俺も置いて行かれるわけには行かないので、「悪い、そういうことだから」と、どことなく唖然としている紗枝に一言断りを入れてから急いで鞄を背負い、日角の後を追いかけた。


 ~~~


 放課後の図書室はいつも通り人が少なく、静かで心地のよい空間が生まれている。

 近場のテーブルにいき、先に席に着く。鞄を脇に置いて、さて自分も座ろうかと思ったその時、「はい詰める~」と日角が俺の背中を押してテーブルの奥の席に追いやり、なぜか向かい合わせではなく隣り合わせで座ることになった。


 なんで?


「なんで?」


 いつもだったらやらないようなことをして来たので日角に問いかけると、「たまには気分を変えて横にしようかと」と謎理論で答えた。


 いや、意味が分からん。


「話にくいし向こう行けよ」

「いいじゃんたまには。それにこれなら一緒に見れるし、わざわざ手渡さなくてもいいから一石二鳥でしょ?」


 そう言って鞄の中からクリアファイルを取り出し、それをテーブルの上に置いた。そこにはエクセルで作ったであろう表に、大まかなスケジュールが記載されている。


「これは去年のやつ。これを元に大まかだけどタイムスケジュール組んでこ」


 他にも今回の文化祭のステージに参加する団体名が記載された紙や、無記入のスケジュール表、筆箱を取り出し中から4色ペンを取り出す。


「これ、準備してくれたのか?」

「うん。大したものじゃないけどね」

「いや、ありがとう。そういうの全然気にしてなかった」


 同じ文化祭実行委員だけど、やっぱり去年は軽音楽部としてステージを使っていただけはあって、経験が違うのだろう。頼もしい。


「相馬は初めてなんだし、これくらいは先輩がやってあげますよ」


 冗談めかしでいうものだから、俺も「頼りにしてますよ、先輩」と悪ふざけのつもりで返した。そしたらなぜか、日角が俺の顔をジッと見つめる。


「……えっ?」


 ノリでも違ったか?


「相馬に先輩って言われるのは悪くないね」

「は?」

「もっかい先輩って言ってみてくれる?」

「早く進めるぞ」

「は~い」


 これ以上は日角の悪ノリが始まってしまいそうなので、早々に話を切り返す。


 今日やることは先ほど日角が言った通り、今年のタイムスケジュールの作成だ。

 文化祭のステージの利用は基本的に申告制で、生徒会室の前に設置しているステージ参加用紙を規定のボックスに入れれば完了。逆にそこに名前がない場合は、参加できない決まりとなっている。

 用紙に記載する項目は多い。まず団体名、人数、演技時間、照明や音響の有無、ある場合は音源の提出や照明の希望演出も付け加え、小道具や大道具の有無についてや、1日目か2日目かはたまたどちらも出るのかを決め、最後にどのような内容の演技をするのかを記載する。

 俺たちはその内容を元に、まず仮のスケジュールを組み、リハーサルを通して問題点を洗い出した後に、再度リハーサルをして本番用のスケジュールを組む。前日に最終調整を行って微修正を済ませたら本番という流れだ。


 去年は何も考えずにただ眺めていたが、やることを目の当たりにすると及び腰になってしまう。去年の文化祭実行委員や、軽音楽部の面々がこんなことやっていたのだと思うと頭があがらない。素人目で見ても考えることが多くて、自分なんかに務まるのだろうか? と不安になってしまう。


 参加用紙を一枚一枚確認しながら、そこが何をする団体で何が必要なのかを1日目用と2日目用、両日用に振り分けていく。基本的にはどちらかの日になるのだが、中には両日参加する団体もちらほら見られる。

 というか今更に思ったのが、思っていたより枚数が多い。


「去年もこんな量だったのか?」


 全部を入れるとなるとそれなりの時間になると思うんだが、はたしてそんなステージが成立するのか?


 日角は振り分けていた手を止めて、「さぁ? 私は去年はリハーサルからしか参加してないから、そこらへんはよくわからないな」と答えた。

 そういえば、普通に色々聞いてはいるけど、日角も軽音楽部で知ってるってだけで去年は文化祭実行委員じゃなかったな。


「ただ柳先輩から、あまりにも多いようだったらオーディションはするし、サブステージもあるからいい感じに振り分けてって」

「中庭のなんちゃってステージか」

「だからまずは日ごとに分けて、団体の人数やすることの規模とか、音響を使いたいとかでメインかサブに分けるようにしようと思ってる。ひとまずはそこまでお願い」

「了解」


 方針を決めた俺たちは、その後は無言のまま黙々と用紙を振り分けていった。そこから1日目の参加団体を確認し、日角に言われた通りにメインにするかサブにするかを大まかにだか仕分けていく。


 しかしこの作業、思っていたよりも肩がこる。どうして書類仕事って肩がこるんだろうな。

 首を回して少しでも凝りを解そうとしていたら、隣から「ふぅ……」と一息ついた声が漏れた。日角も疲れがたまった様で、自分の肩を揉んでいた。


「ちょっと休憩~」


 そしてなぜか、俺との距離を詰めて寄りかかってくる。

 突然のことに驚いたがどくわけにもいかず、日角を見る。


「何してんだよ?」

「まあまあ、ちょっとした充電ですよ」

「わざわざ俺に寄りかかる必要ある?」

「ないかもね~」


 そう言いつつも、日角はどくつもりはないようだった。

 彼女の重みや服越しからも感じる肌の柔らかさ、ふんわりと香る甘い匂いに鼓動が早くなる。というか本当に、何してんだよこいつ。


 今日の日角はやたら近い。

 彼女は紗枝とは違って、それなりの距離感を保った付き合いをしている。だから突然隣に座ってきたり、こう寄りかかったりするやつではない。何かあったのか?


 彼女と密着していることに緊張しつつも、ガラにもないことをする日角が心配になる。


 聞いていいのか? でも話したくない可能性も……いや、結局聞かないと何もわからないか。


「なんかあったのか?」

「えっ?」

「今日はやたら近いから、なんかあったのかと思って」

「……心配してくれてるんだ」


 そうはっきり言葉にされると気恥ずかしいが、尋ねてしまった以上、そう思われても仕方がない。けれど友達を心配することは、何もへんなことじゃないだろう。


「普通だ」

「……ふ~ん」


 すると日角は体を離し、俺を見る。


「急速充電完了です」


 結局、俺の質問にはちゃんと答えてはくれなかったが、また作業に戻ったところをみると大丈夫なのかもしれない。とはいえ心配ではあるので「なんかあれば頼っていいからな」とだけ気持ちを伝え、俺も作業に戻る。


 ~~~


 本当のことを言えば、さっきの行為はただ私がそうしたかったらやっただけで、相馬が考えているようなことは何一つない。

 私のわがままで彼を困らせてしまったことは申し訳ないが、それでも私のことを本気で心配してくれたことは嬉しかった。


 隣で作業を進める相馬の横顔をチラリと見る。真剣に参加用紙の内容を確認する姿に、自分の鼓動が高鳴っていくのを感じる。


 けれどな~……そうじゃないんだけどな~。


 自分が想定していたシチュエーションにはなかなか進まない。本当はただ、私の好意を少し感じてほしかっただけだった。だからガラにもないことをしたんだけど、それがいけなかったか。


 思っていたよりも彼と私の間には距離があることを感じて、勝手に落ち込む。けれど嘆いている暇はない。相手は強敵。職権乱用でもなんでも使って、私たちの距離をゼロにしないとね。それまでは……まだこの距離で。


 隣にいる彼の空気を感じながら、私も作業に戻るのだった。

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