第17話:調理実習は甘い予感②

 瀬川さんに教えてもらいながら、なんとか卵の黄身と白身を分けることに成功した訳だが、これで終わりではなかった。白身はこれからメレンゲにするのらしい。しかしハンドミキサーが使えないので、自分の手で混ぜるしかないとのこと。寺島曰く、遅く混ぜるのも休むのも駄目らしいので、死ぬ気でかき混ぜないといけないそうだ。


「メレンゲ作りって、ハンドミキサー使うのが本当に楽なんですけどね」

「無いものはしょうがないよ。まあ男子なんて力仕事くらいしか手伝えないし、こういうところで役にたたないとね」


 メレンゲ以外の行程は殆ど寺島が請け負ってくれている。「自分が言い出したことだし、お菓子作るのは楽しいからね」と、嫌な顔一つせずに手を動かしている。


「さて、それじゃあやりますか」


 泡だて器を手に持ち、ボールをしっかりと掴む。


「ボールは、少し斜めにするとやりやすいですよ?」


 瀬川さんは、ボールを掴んでいた方の手をそっと持ち、俺の手と一緒にボールを斜めに傾ける。少し冷やっこく、柔らかい手のひらの感触が手の甲に伝わる。


「あっ……そうなんだ」

「あっ。すみません、私ったら」

「いや、大丈夫だよ。ありがとう」


 すぐに手を離してくれたけど、手の感触がまだ残っているせいで意識してしまう。そういば、女の人に手を握って貰ったことはなかったな。それ以上のことはすでに浅見とやっているけど。腕抱きつかれたりな。

 ……思い出すと顔が熱くなりそうだ、やめよう。


「一先ず混ぜて頂いて、砂糖は私がいれますね」

「ああ。お願いするよ」

「白っぽくボリュームができたら、砂糖をいれますので」

「よし、いっちょやるか」


 こういうところは男の見せどころというのも。とはいえ混ぜるだけの単純な作業だ。意外にもあっさりと終わりそうだな。


 ~~~


 なんて思ってたけれど、やってみるとこれがまた重労働だ。普段運動などもしないし、筋トレもしてないので、腕の筋肉は全体的に落ちてきている。混ぜるだけだろとか思ってた俺は、完全になめきっていた。ハンドミキサーを開発した人を手放しに褒めたい。本当に凄い物を作ったよ。


「あの、キツイようでしたら代わりますよ?」

「大丈夫大丈夫……」


 瀬川さんが優しさからか交代を申し出てくれるが、最初に力仕事は男の役目とかなんとか言ってしまったので、男のプライドとして交代は駄目だ。

 しかし腕は本当にパンパンだ。もう何分混ぜてる? わからない。まだ五分も経ってないかもしれない。けどすでに砂糖は三回入って全てないから、そろそろ出来上がるはずなんだが。


「もう少しですね。頑張ってください」

「おう!」


 瀬川さんに応援されると、なんだか頑張れる気がしてきた。やっぱり綺麗な人に応援されるのは嬉しいものだな。

 その時背筋にゾワリとしたものを感じて、混ぜながら顔を上げる。しかしその悪寒の正体が何かはわからなかった。俺たちの班の隣は浅見たちの班なのだが、皆調理を進めているようで、誰もこちらを見ている人はいない。


 何だったんだ……今の。


「相馬くん。少し遅れてますよ」

「ああ、ごめん」


 気を取り直してがむしゃらにかき混ぜる。


「泡がツンと立つくらいが目安です。そろそろいいかもしれませんね」


 混ぜていると、泡が泡だて器に付いてくるようになり、救い上げると本当にツンと泡が立ちあがった。これがメレンゲか。

 初めて作ったにしてはいい出来栄えなのではなかろうか。


「どうかな?」

「良い具合ですね。これなら問題ないと思います」


 瀬川さんのお墨付きを頂き、ホッと一安心。遅れて嬉しさが込み上がってくる。


「相馬、幸恵。メレンゲできた?」


 寺島が手を止めてこちらにやってきた。


「うん。いい感じだね」

「他に手伝えることがあれば」


 瀬川さんの申し出に、「後は混ぜて焼くだけだから、片付けやって貰っていいかな? 高垣に頼もうかと思ったけど、流し込みやりたいっていうから」

「わかりました」

「相馬もお願いね」

「おう」


 寺島はメレンゲのボールを持って行き、俺たちは使った調理器具をシンクの方に移して洗い物に取り掛かる。


「じゃあ相馬くんには、洗った物を拭いて貰おうかな」

「いいのか?」

「どうしてですか?」

「手荒れとか、女子って気にするものだと思ってたから」


 母親がよく、食器を洗っている時にぼやいているを聞いているので、女性は水仕事があまり好きじゃないという思い込みがあった。だから尋ねたのだが、瀬川さんは笑顔で「相馬くんはメレンゲ作りを頑張って貰いましたから、これくらいはさせてください」と、率先して洗い物を買って出てくれた。

 綺麗で尚且つ可愛らしく、さらには気遣いもできるなんて。瀬川さんは男の理想を体現したような人だな。将来この人の夫となる人が羨ましい限りだ。


「美味しくできるといいですね。ガトーショコラ」

「そうだね。瀬川さんは、甘いものは好き?」

「そうですね。でも、油断するとお腹が……」

「ああ、なるほど」


 こんな時、何て答えるのがスマートな受け答えなのかわからないが、一先ずこれ以上はセクハラになる気がしたので口を噤んだ。女性にとっては、デリケートな部分の話しだしな。男がとよかく言うものじゃない。


「相馬くんは、甘いもの好きなんですか?」

「そこまで食べないから、なんとも言えないかな。でも、嫌いじゃないよ」

「普段はお菓子とかも食べないんですか?」

「うん。家の方針だと思うんだけど、間食とかもほとんどしなくて、お菓子も父親がたまに買ってくるケーキかプリンだけなんだ」

「今どきにしては珍しいご家庭ですね」

「だよな」


 洗い物じたいはあまり多くはなく、直ぐに俺の出番が来た。瀬川さんから食器を受け取って乾いた布巾で拭いていく。拭いたものは適当なところに重ねて置いて、また次の物を受け取る。

 なんだろうな……普通に当たり前のことなんだが、こうして隣り合って洗い物をしていると、どことなく――。


「なんだか、こうしてると家族とか……夫婦みたいですね」

「……瀬川さん、さすがにそれは……」

「えっ? あっ……」


 洗い物の手を止めた瀬川さんは、自分がとんでもないことを口走ったことに気が付いたようで、顔を真っ赤にして苦笑した。

 まあ俺も同じようなこと思ってたけど。


「ごめんなさい」

「瀬川さんって、もしかして意外と天然だったり?」

「よくそう言われますけれど、正直自分ではわからなくて」

「むしろわかってた方が怖いと思うよ……」


 もし理解したうえで天然ぶっているなら、そいつは完全に小悪魔だと思う。


「このことは、私たちだけの秘密ということで」


 人差し指を自分の唇の前に持って来て、シー……っとジェスチャーをする。その行動が天然だと思うわれるところだと思うんだけど、本人はいたって真剣なんだよな。しかしあまりにも可愛かったので、俺は指摘することなく「シーだね」と同じように人差し指を自分の唇の前に持って行った。

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