後ろの女子がちょっかいをかけてくるのですが

滝皐(牛飼)

第1話:てめぇ話しかけんな

 窓際の列、後ろから二番目の比較的良い物件が俺の席だ。できればその後ろになりたかったものだが、こればかりは運なので致し方ない。

 暖かな日差しにまどろみながらも、俺は真剣に黒板を書き写していた。というのも、今の時間、古典の授業は成績があまりよくないのだ。特に古典分野に関してはてんで駄目で、まだ漢詩の方がわかりやすいレベルだ。その漢詩も、読解になると途端に駄目になるけどな。

 そのせいで前期中間の成績は悲惨なものだったので、期末で出来るだけ挽回をしたいのだ。


 なので古典の授業は、いつも真面目に聞いている。もちろん適当に流したい気持ちもなくはないが、こればかりは成績のためなので妥協はできない。


「ねぇ」

「……」

相馬そうま

「…………」

「ねぇってば、相馬」


 後ろから、小さな声で呼び掛けられる。後ろの席には女子が座っている。運よくも窓際最後尾を獲得している強者だ。彼女の名前は浅見紗枝あさみさえ。目立った面識はないし、特に中学から知り合いだった訳でもない。加えて、明るく癖のある髪と、少しつり上がった目が、どことなくギャルっぽい雰囲気を醸し出していて、俺としては少し苦手な部類だ。

 俺から話しかけることはめったにないが、けれど授業中にこうして話しかけてくる。

 しかし俺は集中したいので無視した。冷たい奴と思ってくれて構わない、本気で古典をやっておかないとヤバイんだよ。


「相馬は目玉焼きにはソース? 醤油?」


 しかしめげずに話しかけてくる。

 無視だ無視。こいつに関わってたら授業が疎かになる。


「聞いてるのかよ~。ツンツン」


 シャーペンか何か、とにかく先が固い何かで背中をつつかれる。近頃暑くなってきたので、タンクトップのインナーにワイシャツだけの防御力の低い格好なので、ペン先が背中に刺さって地味に痛い。


「相馬って醤油って感じだよね。でもメンチカツとかには何もかけない派でしょ?」


 エスパー!

 いや……何でわかんだこいつ。確かに俺は目玉焼きは醤油派。しかし揚げ物、特にメンチカツはそのまま食べたい派の人間だ。ソースのあの感じも嫌いではないが、やっぱり素が一番いい。


「でもエビフライとかにはちゃんとタルタルソースかけるんだよ。私はかけないけど」


 やはりエスパーか!

 エビフライはタルタルソースありきだと思っている節がある。アジフライとかもそうだ。タルタルソースめっちゃ美味しい。

 というか、本当になんでこいつこんなに俺のこと知ってるんだよ。もやはエスパーよりストーカーの域じゃねぇか。

 寒気を覚えて、身震いした。


「食の好み分かれると、付き合うとき大変そうだよね」


 別に好みが違くても、関係ないだろ? 好きなもの食べればいいんじゃ……まあ結婚後のことを考えると必要かもな。食の好みが分かれると二つ分作らないといけないから、意外にも面倒なのか……って、話聞いてる場合じゃない。ちゃんと授業聞かなきゃ。

 いつのまにか少し進んでいるので、急いで黒板を書き写す。


「相馬ってエッチ激しそうだよね」

「ブッ!」


 突然のことに吹き出した。幸いにも周りは聞こえてなかったようで安心した。

 てか話が一気に飛びすぎだろ! 飯の話からどうしてそうなった!? 付き合うからか? 付き合うから連想したのか? というか、したことねぇから、んなのわからねぇだろ! 年齢=彼女いない歴(童貞)なんだよこっちは!


「普段優しいくせに、こういうところでSっけ出してくるタイプでしょ? いや、むしろ誘い受け? う~ん……どっちも捨てがたいね」


 どっちの考えも捨ててしまえこのエロ女。


「私はちょっと強引なくらいが好きかな~」


 ……そうなんだ。見た目な印象も合間って、Sなのかと思ってたけど。意外にも押しに弱いのか?

 ちょっと攻められる姿を想像してしまう。衣服がはだけて……下着とかが見えちゃったりして……実は白の清純派だとなおいいな。


 ……駄目だ駄目だ! 何を考えてるんだ俺は! 不謹慎だ! そこに直れ童貞!

 というか、授業ちゃんと聞けてない。いかんいかん。こいつのペースに流されるな、集中!


「相馬は結局、押し倒す派? 押し倒される派? どっちですか~?」


 めげずにツンツンとペンで背中を指してくる。地味に痛いし、集中できないしイライラする。

 ルーズリーフの一部を千切って、そこにペンで書きなぐる。内容は、『そもそもしたことねぇから知らん! 後話しかけんな集中できねぇ!』だ。それを後ろに差し出した。


 指先が触れて、手に持っていた紙がなくなる。引き戻そうとしたが、そのまま手を握られた。ギョッとして後ろを覗き込むと、俺の書きなぐった紙を、何食わぬ顔で読んでいる。


「おい……」


 なるべく周りに聞こえないように、小声で話しかける。彼女は顔をあげると小悪魔的な笑みを浮かべた。それに魅せられて、少し頬が赤くなる。

 手を引かれ、上半身が背もたれを越え、彼女の机に近づく。彼女も身を乗りだし、顔を近づかせる。俺の頬に彼女の吐息がかかるほど近づくと、耳元で「なら、しよっか?」と、わざと息を多目に使って囁きかける。

 ゾワリと、くすぐったさに背筋に鳥肌がたち、頬や首回り、耳が熱くなるのを感じる。


 彼女は手を離して微笑んで見せ、腰を下ろす。俺は固まったまま、彼女を見ていた。

 心臓が早鐘を鳴らして煩い。血が一気に頭に登ったみたいにクラクラする。口の中が勝手に乾く。

 今の一言は、別に本気の意味で言った訳ではないのがわかってる。こいつは俺をからかった。ただそれだけで、それ以上のことなんて無いのは重々承知だ。

 でも俺は、こうしてまたこいつにしてやられた。彼女の色香と、少しの期待によって、俺と言う一人の男が惚れたのだ。期待したところで無駄だと知っていながら。


「お前……」

「相馬~。前向け~」


 古典の先生の気だるい声が教室に響き渡る。

 俺はサッと体を前に向けた。


「いくら彼女が可愛いからって授業中は自重しなさい」

「ちがっ! 彼女じゃないですよ!」

「だとしても、後ろ向いたのは頂けないぞ? それと笑ってるあずま。早弁は止めような?」


 ドッ! と笑いが教室を包んだ。東はなんかしら先生に抗議をしているようだったが、俺はそれどころではなかった。

 まだ心臓が煩い。深呼吸しても、興奮冷めやらないのか、激しく鼓動を打っていた。


 東の件が終わり、俺のことはなんとなく流れて、授業はそのまま進んでいった。

 それから浅見のちょっかいはなくなって、授業に集中できると思っていた。だがふとした時に、耳から伝わる温度が再発して、彼女の声を思い出して、結局授業はちゃんと聞けなかった。


 くそ。なんでこんなやつが後ろになったんだ。


 心の中で愚痴を溢すも、けして嫌いになれない自分がいることに、俺はこの時まだ気づかなかった。

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