第10話:いなきゃいないで変だな

 朝。ホームルームを終えて、一時限目の教科の教材を準備してから、振り返り後ろを見る。

 そこには、いつも俺をおちょくっている彼女の姿はなく、誰もいない机だけが置かれていた。


 本日、浅見紗枝は風邪で病欠。俺の後ろは一日中無人となる。普段はあいつに取られる時間がまるっとなくなると思うと、ちょっとした解放感があった。

 さすがに手放しに喜ぶほど人として終わってる訳ではないが、久しぶりにゆっくりと授業が受けれると思うと、清々しい気分だ。今日は気合いをいれて取り組もう。


 授業を告げる鐘が鳴る。

 俺は心の中で、よし! と気合いを入れて、ペンケースからシャーペンを取り出した。


 ~~~


 一時限目が終わっての10分休み。俺は一息ついて、かなり綺麗に纏めたノートを見て満足げに頷いた。

 あいつにちょっかいをかけられないと、ここまで綺麗に纏めることができるのか。普段どれだけあいつに構ってるのか、それをまざまざと見せつけられた気分だぜ。

 先の教材を片付け、二時限目の授業の支度をしていると、ふと後ろ髪引かれる思いになるのに気づいた。

 なんてことはない。考えたのはあいつのことだった。


「……」


 しかし瞬時に頭を横に振って、気持ちを無理矢理切り替えていく。


 授業を告げる鐘が鳴る。二時限目が始まった。


 ~~~


 それからの授業も、普段よりもきちんと聞くことができた。それもこれもあいつが休んだお陰と言えるだろう。

 古典の授業も、現国の授業も、数学も、化学も、今の日本史も。全部をまともに受けることができた。普段なら考えられない現象だ。


 あいつは必ず、どこかでちょっかいをかけてくる。俺の考えなんてお構い無しで、俺が取り乱したり困ったりする姿を見て遊んで、授業を妨害してくる。

 毎日毎日、飽きもせずにからかってきて、楽しそうに笑って、俺はそれに何も言えずに呆れて。


 ふと気がついて、ノートを取る手が止まった。

 いつの間にか、この環境に慣れている自分がいる。

 日常的になってきた彼女のちょっかいは、あるとないとでこうも違う。もちろん俺としては、なくても全然支障はないし、むしろ勉強をする姿としては今の方が好ましいだろう。

 けれど、あるとないとでは違うものなんだ。

 ちょっとの違和感、普段あるものがない喪失感。


「いつから俺は、こんなにあいつの事を考えるようになったんだろうな」


 自分としては意外だった。なくても困るものではないと思っていたから。けれど実際にそうなってみないことには、わからないこともあるということか。

 頭を掻く。なんで俺がと思って、肩越しに後ろを見た。空席の机にため息が溢れる。若干の苛立ちを覚えつつも前を向き、今日最後の授業も真面目に取り組んだ。


 ~~~


 翌日。学校に登校すると、すでに浅見は自分の席に座って、自分のルーズリーフと他人のノートを広げて内容を書き写していた。休んでたところを埋めているんだろう。


「おはよう」


 声をかけると顔を上げる。まだ完全に風邪が治っていないのか、マスクをしていた。


「おはよう」


 笑って挨拶を返される。それを見て、なんとなく気持ちが軽くなるのを感じた。

 鞄を机に置いて、椅子の向きを横にして座り彼女の方を見る。


「風邪は大丈夫なのか?」

「何? 心配してくれるの?」

「そりゃするだろ。一般的な感性だと思うが?」

「うん。そういう返しは期待してなかった」


 じゃあどういう返しをご所望だったんだよ。


「昨日の夜には治った。けど念のためにマスクだけはしてる」

「マスクって、耳の裏が痛くなるから好きじゃないんだよな」

「その気持ちはわかるな」

「でもしないとな」

「そうだね。……相馬はさ」

「ん?」

「私がいなくて寂しかった?」

「……寝言は寝て言え」


 冗談であることは明白だが、その小悪魔的微笑は、わかっていても来るものがある。

 顔を見られたくなかったので顔を背けると、「拗ねないでよ~」と脇腹をつついて来た。くすぐったくて腰を反る。


「止めろよ」

「相馬が寂しかったって認めるまでやる」


 ふっふっふっ。と意地の悪い笑みを浮かべ、人差し指を立てて、机越しにジリジリと近づいてくる。


「あーもう。寂しかった、寂しかったですよ。これでいいのか?」

「愛がないよね。もっと愛を込めて!」


 なんで俺がそこまでのことをしないといけないのか。けれど、昨日のことを思い出すと、あながち寂しいという思いも間違いではない。

 しかしそれは普段とは違うからこその違和感であり、きっと同じように親しい人が休みなら、同じような寂しさを覚えても可笑しくはない。


「たく……寂しかったよ」

「……うん」

「喧しい友達がいないのは、静かで落ち着かなかったしな」

「……ふ~ん」


 浅見は、誠に遺憾であると言いたげな声と目付きをして俺を見る。


「なんだよ?」

「……」


 無言のままに脇腹を突かれた。


「ちょ! 止めろよお前!」

「……」


 手のひらでガードするも、浅見は黙ったまま突く手を止めない。何かが浅見の怒りを買ったのは理解できたが、それが何なのかがわからない。もしかして愛か? あいつの言う通り愛が足りなかったのか!? でもあれ以上込められる愛なんて、俺にはないぞ!?


 浅見は更に追い詰めると言わんばかりに立ち上がり、通路側の退路を塞いで無言で脇腹を狙い続ける。

 何がなんだかわからず、俺は笑いを堪えながら、始業の鐘がなるその瞬間まで、浅見にいいように遊ばれたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る