第35話:修学旅行は続きます③

 ガチャリと、中にいるであろう浅見の有無を問わず、寺島は部屋の扉を開ける。


「寺氏。遅かった……って」


 出迎えてくれた浅見は、寺島の後ろにいる俺を見て固まった。だがすぐに頬を赤くして後ずさる。


「何で相馬がいるの!?」

「うるさい。それと相馬、さっさと入って。先生に見られたらことだから」

「ああ」


 寺島に促され先に部屋に入ると、そのままガチャリと扉が閉まった。


「「えっ?」」


 同時に、室内にいる俺と浅見は扉を見つめる。


「まさかあいつ」


 恐らくは空気を読んで二人っきりにしてくれたんだろう。こういう気遣いがサラッとできるのが、寺島の凄い所だ。俺だったら一度入ってから出るからな。

 心の中で感謝の言葉を述べ、浅見に向き直る。

 彼女は困ったような表情で、どこか居づらそうに手遊びをしている。本来ならばこんな気まずいことはないはずなのに……調子が狂うよ。


「えっと……一先ず、お邪魔します」

「……うん」


 会話が止まる。面と向かって話さないといけないと思っていながらも、いざ目の前にすると言葉が出ないほど緊張してしまう。

 というか、ここ一応女子の部屋なんだよな。なんていうか、俺達の部屋とは違う甘ったるい匂いが漂ってる。風呂上りだからか? だからって、ほんの数分しかいないはずなのになんでここまで変わって来るんだよ。


「取り敢えず座ったら? こっち私のベットだから……」

「いや、別に長いするつもりはなくて」

「そう? ……それともお菓子食べる? って……あんま食べないんだっけ」

「そうだな……」


 お互い気を使い過ぎているからか、完全にから回ってる。特に顕著なのは浅見のほうだった。普段だったらしないような気遣いに、テンパってるということがしっかりと理解できた。それと同時に、昨日のことからなんとか話を逸らしたいという思いも。


「浅見、昨日のことなんだが」

「……うん」


 流したいという思いは、俺の中にもある。たいしたことではないと目を逸らして、時間が解決してくれるのを待つのも、策と言えば一つの策だ。

 でもそうすると、仲直りまでの時間は、今みたいによそよそしくなってしまう。それは嫌だ。


「昨日は本当に――」


 ――コンコン――


 扉がノックされる。外には寺島がいるはずだけど、ノックをするには明らかに早すぎる。だとすると別の人間、同じクラスの人ということになるが。俺は壁掛けの時計を確認して、その可能性も排除した。

 時刻は22時過ぎ。就寝時間は過ぎている。考えられる可能性は一つ。先生が見回りで来ているんだ。


「まずい」


 隠れられる場所!


 女子の部屋に男子がいるのはかなり問題になる。しかも就寝時間過ぎに、男女が一部屋にいるんだ。そういう関係でなくとも、疑われる可能性がある。

 突然のことで頭が回らない。もし中に入ってこられてこの状況を見られたら、俺達は確実に生徒指導行きだ。


「相馬」

「うおっ」


 浅見に引っ張られ、ベットの中に押し込まれる。頭まですっぽりと掛布団を被り、息を殺した。それと同時に、ガチャリと扉が開く。


「鍵空いてるし、明かりが付いてる」


 女の先生の声がする。


「あっ、先生」

「就寝時間は過ぎてますよ」

「あはは、ちょっと眠れなくて」

「寺島さんは?」


 寺島の名前が出たところで、心拍数が上がる。中に入ってまじまじと見られたら、もしかするとバレル可能性があったからだ。

 どうか、どうか入ってきませんように!


「寺氏は先に寝てます。だから電気を消そうと思って」

「なら早く消してあげなさい。明るいと眠りにくいからね」

「は~い」

「明日も早いんだから、夜更かしは駄目ですよ?」

「わかってます」

「それと戸締りはちゃんとしてください」

「はーい」


 浅見が部屋の入口にあるスイッチを押して、灯りが落とされた。布団の中はより暗闇で満ちて、もはや何も見えない。

 ガチャリと扉が閉まり、鍵がかけられる。どうやら先生はマスターキーなどを持っているんだろう。それで鍵がかかっているかどうか見ているんだ。


 先生が去ってから少しして、俺は布団から顔を出した。部屋はまだ暗い状態で、どこに浅見がいるのかわからない。


「浅見? 行ったのか?」


 小声で話しかけると、黒い影がベッドの端に腰を下ろす。浅見が座ったのだろう。ギシリと音をたてて沈み、その後に彼女の頭がちょうど俺の胸の中に納まるように倒れてきた。掛布団の衣擦れの音がする。


「あ……さみ?」


 押し倒されたような形になり、視線を下に向けると「……相馬」と消え入りそうな声で名前を呼び、ぽつぽつと話始めた。


「相馬は、優しいね」

「……え?」

「さっき何を言おうとしてくれたのか、わかってる。私のために、謝ってくれようとしたんでしょ?」

「……ああ。お前、昨日怒ってたし、その後なんだかよそよそしかったから。ちゃんと謝ろうと思って」

「うん。ほんと、私が勝手に勘違いして、勝手に怒っただけなのに。本当は、私の方が謝らないといけないのに」


 どういうことなのかわからないが、文脈から察するに、どうやら昨日のは本当に俺の勘違いだったようだ。新嶋さんが言った通り、浅見は何も怒ってなかった。ならなんで――。


「なんで、避けるようなこと……」

「それは……ちょっと恥ずかしいから言えない」

「恥ずかしいことなのか?」

「うん。だからこれは、墓場まで持ってく」


 凄い決意だ。


「相馬。避けててごめんね。許して欲しいな……」


 衣擦れの音と共に掛布団が少し手繰られる。


 あまりにも弱々しい彼女に、意外と思うと同時に、ホッとしている自分がいた。

 彼女も彼女で、俺との関係をちゃんと修復したいと考えていたことが、今は何よりも嬉しいことで、安心することだった。


 安堵から溜め息が漏れ、俺は片手を布団の中から出して、彼女の頭を撫でてやった。


「っ!」

「許すよ。そもそも、俺も別に怒っちゃいねぇしな」

「本当? こいつ変な奴だな。とか思ってない?」

「お前が変なのはいつもだろう」

「……酷い。そんな風に思ってたんだ」

「意味もなくちょっかいかけて、自分勝手に弄り倒して、これで変だって思わない方が可笑しい」

「……」

「けど……それが別に、嫌な訳じゃないから」


 恥ずかしいことを言っている自覚はある。けれども雰囲気に飲まれているからか、口が勝手に言葉を発していた。

 俺の名誉のために言っておくが、けしてMとかではないからな? 弄られるのが好きとかじゃないから。ただこいつにちょっかいかけられるのを、容認してるだけだからな。


「ふ~ん。相馬。私のこと好き過ぎじゃない?」

「お前だって人のこと言えねぇだろうが」


 こいつがこうやって悩んでくれたってことは、俺と同じように俺のことを思ってくれている何よりの証拠だろう。


「私は前から言ってるじゃん。好きだって」

「はいはい……」

「信用してないな?」

「お前はいつも冗談が過ぎるからな」


 何が本当で何が本当じゃないのかわからない。それなのに好きとか言われても、疑ってしまう。今回みたいにわかりやすく意識してくれれば、認識もしやすいんだけどな。


「……あはは。バレてるんだ」

「当たり前だ。これでもほぼ毎日、お前に構ってやってるんだからな」

「好きでやってるんでしょ?」

「嫌いじゃないって言っただけだろ」

「……そうだったね」


 彼女が上体を起こすので、俺も体を起こす。


「相馬」

「ん?」

「ありがとう」

「……おう」


 ようやく、問題が全て解決できた。思えば妙なすれ違いから起こったことだったけど、拗れて面倒になって、ずるずる引っ張ってこんなことになってしまった。結局なにが問題で距離ができたのはわからずじまいだが、素直に気持ちを話したことで少し楽になったのは確かだ。やっぱり何事も、正直が一番ってことなのかね。


「さて、俺はそろそろ」


 塚本も待っていることだし、いい加減戻らないといけない。掛布団を剥いで立ち上がろうとすると、「相馬」と呼ばれたので隣に座る浅見を見る。

 すると、振り向きざまに頬に指が刺さった。


「……お前」

「ふふっ」


 暗がりでわからなかったが、明らかに笑っているだろう。仲が戻ったことで調子が出て来たのか、普段通りの浅見だった。


「たく」


 呆れつつ、頬に突き立てられた指を退かそうと彼女の手を掴むと、逆に掴み直された。スルリと指の間に指を這わせ、いつの間にか恋人繋ぎになっている。


「おい、いい加減に――」


 彼女はこちら側に少し腰を寄せてくると、そのまま俺の頬に唇を触れさせる。唇の柔らかく少し湿った感触が頬に伝わる。何が起きたか理解するより早く、「これは一応、迷惑料ということで」と言って手を離し彼女は離れていく。


 頬に手を触れて、ようやくキスされたのだと認識したとき、顔がカーッと熱くなるのを感じる。


「おっ、おま! お前!」

「他意はないからね! お詫びだから!」


 俺とは真逆の方を向きつつ、そう言い切る浅見。


「いや! だからって!」

「静かに。他の人、きちゃうから……」

「……」


 他意はないとか、お詫びだからとか言われても、少なからず思っているやつにこんなことされて、意識しない訳ねぇだろうが!

 消化しきれない自分の感情をどこにぶつければいいのかわからず、俺は新幹線の時のように静かに身悶えるのだった。

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