第165話:その顔はズルい

 一通りの接客術の説明を終えて、窓際の方に避難する。接客を担当する生徒は各々で他の生徒たちをお客さんに見立てて練習を始め、教室内はまた賑やかな空気に包まれた。

 日角はメインステージの方で仕事が残っているからと、ひと段落ついたところで離脱。口惜しそうにしていたが、あいつはあいつで当日はメインステージの方でほぼ張り付き状態だから、接客の練習は特に必要はないはずなんだけどな。まあこの楽しい空間を共有できないっていうのは、少し寂しい気持ちがあるのかもしれない。


 窓を背もたれに、ようやく一息。仕事をしたわけではないのに、仕事をした以上に妙な疲れを感じていた。不特定多数の誰かに接客するならまだしも、やっぱり同級生の前で自分の仕事してる様子を見せるのは、少なからず緊張するものなんだな。

 たいして動かしてもないはずなのに、背中に張りを感じて大きく体を伸ばす。自分が案外、気を張っていたことに気が付いて、苦笑いを浮かべた。


 とはいえ、ここでもうやることはないし。いいところで俺もサブステージの方を覗きに行くか。

 俺の場合、頼れる軽音楽部の先輩たちが率先して動いてくれてるおかげで、大した仕事量もなく楽をさせてもらっている。

 本当に柳先輩には頭が上がらない。たった一つ歳が上というだけなのに、全てのステータスが俺を余裕で上回っているのが、本当にすごい。何度も俺っているんですかね? と思ったかわからない。ただあの人が「本当にスケジュール管理してくれるのマジ助かる!」って言ってくれるおかげで、やる意義が少しだけ見出せる。

 そんなすごい先輩が「今日はこっちは任せなさい」と言ってくれているんだから、甘えさせてもらわないとな。


 少しの時間、接客の練習をしている様子をボーっと見渡していると、紗枝と目が合った。ちょうどよく人がはけたようで、彼女のいる席には練習のための相手がいなかった。

 紗枝はちょいちょいと手招きするので、その誘いに素直に乗ることにする。


 俺が歩み寄ると、彼女は俺の前に立って「いらっしゃいませ。1名様ですか?」と、特に打ち合わせをすることもなく、ファミレスのウエイトレスさんがよくするような感じで、ちゃんと人数を確認してくる。


 なんか様になってるな。


「1人です」

「では、こちらのお席へどうぞ」


 通された席にそのまま座り、テーブルに置かれたメニューに視線を落とす。小道具班が丁寧に作ったメニュー表を見て、どれを頼もうかと考えていると、ふと思い出したことがあった。


「ご注文がお決まりになりましたら、お声掛けください」

「ああ、店員さん。おすすめってなんかある?」

「えっ? おすすめですか?」


 明らかに驚いた様子の紗枝。これは俺がバイトを始めた当初、来店した叔母様方に言われて困った質問だ。「ケーキはどれがおすすめなの?」と聞かれて、店長を呼び出した記憶がある。

 いじわるってわけではないけれど、せっかくの練習なんだから、こういう客も来ることを想定してやっておく方がいいだろう。


 紗枝は少し戸惑いつつも「こちらの三色団子なんかは、お茶によく合っておすすめですよ」とちゃんと提案をしてくれた。もうそれだけで当初の俺よりもできている。すげぇなこいつ。


「じゃあそれにしようかな」

「では、三色団子とお茶お一つでよろしいでしょうか?」

「お願いします」

「かしこまりました」


 メニューを受け取り、紗枝は一礼してその場を離れる。一通りの流れを終えてから、彼女は勢いよく振り返った。その顔は不満そうだった。


「いじわる」

「いじわるじゃないよ。そういうお客さんも来るかもしれないでしょ?」

「でもいじわるだよ。何も言ってくれなかったし」

「事前に言ってたら練習にならないかなと思って」

「事前に準備するから練習なんでしょ!」


 ごもっともで。


 拗ねてしまった紗枝は、唇を尖らせてそっぽを向いた。これも紗枝のことを思ってだとか、俺の頭の中ではいろんな言い訳が浮かんではいたが、ひとまず謝ろう。


「ごめんごめん。悪気はなかったんだよ」

「ふ~ん」


 これは信用してないな……。


「俺も昔、こういうことがあって、ちゃんと対応してあげられなかったから。しっかり対応した紗枝はすげぇよ。俺なんかより全然偉い」


 素直に褒めると、彼女はチラリとこちらを向く、けれどまだ疑いが晴れてないのか視線が痛い。


「本当だから」

「ふ~ん……まあ、じゃあその言葉にめんじましょう」


 良かった。機嫌なおったか。


「でもいじわるした罰」


 紗枝は俺の前に立つと、軽く指をはじいて俺の額を小突いた。ふいにデコピンをされて、眉間に皺が寄る。たいして痛くはなかったものの、ピリピリとした感覚が額に残った。


「これで許したげる」


 お茶目に笑う彼女に、ぎゅっと心臓を掴まれたように感じた。照れくさくなって視線を外すと、彼女はそれを逃さまいと俺の視界に入ってくる。

 どこか勝ち誇ったような笑顔に無性に反発したくなったが、俺が動くよりも先に紗枝が他から呼び出されてしまい、彼女は「は~い」とそそくさとその場を後にした。

 取り残されたてしまった俺は、やり場のない気持ちを抱えたまま、机に突っ伏すのだった。

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