第9話:髪型一つで変わるもんだな

 最近、俺の後ろにいる人間のせいで感覚が麻痺っているが、学生の本分は勉強である。

 それは皆等しく同じであり、変わらない事実でもある。それが俺でも、俺の後ろにいる彼女でも。


 なので俺は、今日は真面目に勉学に勤しんでいた。いや……もちろん普段からも真面目に勉強はしてるけど、後ろからのちょっかいに構っていると、その限りではなくなってしまう。

 まあ、ちょっかいをかけてくるタイミングも良すぎるんだよな。丁度集中力が切れ始めたところに、救いの手と言わんばかりに差し出されるものだから、ついつい手を取ってしまう。

 それがいけないことなのはわかってる。そろそろ本気で気持ちを切り替えていかなと、期末試験に間に合わなくなるな。


 気持ちも新たに机に向かう。しかしそんな俺の考えなど関係なく、真後ろのやつは背中をツンツンと指で突いて来る。

 しかし無視だ、俺は今日からちゃんと真面目に勉強をしないといけない。悪いが構ってる暇はない。


 だがそんなことで彼女が諦める訳もなく、何度も何度も背中を突いて来る。

 強情に無視を決め込んでいると、今度はリズミカルに背中を突く。なぜか天国と地獄だった。的確にこの状況を表す題名に、若干イラつきを覚えた。

 お前は天国でもこっちは地獄って? 誰が上手いことを言えといった。


 我慢も限界だったため、椅子を後ろに下げて肩越しから彼女を見る。

 俺の後ろの席に座る彼女。窓際の列最後尾を引き当てた強運を持ち、運動神経もよくルックスもいい。凡そ欠点らしい欠点が、このサボり癖以外見当たらない彼女。浅見紗枝は俺の顔を見て手をヒラヒラと振ってきた。


「なんだよ?」小声で話す。

「ねぇ。相馬ってどんな髪型が好きなの?」浅見も小声でどうでもいい話題を提供してきた。その話、今しないといけないことでしょうか?


「悪いんだけど、俺は今日からちゃんと勉強することに決めてるの。お前の趣味に付き合う暇はない。わかったらお前もちゃんと勉強しろ。期末落とすぞ」


 ただでさえよくサボってるんだから、これから気合い入れて勉強しないといけないだろう。まあこれだけサボるってことは、勉強はたいして好きでもないだろうし、成績もよくないだろうな。


「私一応、中間学年三位だけど?」


 はっ?


「……またまた。ご冗談を」

「信じなくてもいいけど……じゃあ期末の時は見ててよ」

「嘘だってことがすぐにバレるぞ?」

「だから本当だって。それより相馬。相馬は私にして欲しい髪型とかある?」


 なんでお前限定なんだよ。というツッコミは一旦脇に置いておく。そもそも俺は、お前に構ってる暇はないとさっきから言ってる。


 なので、「なんでもいいよ」と投げ槍に返して前を向く。


「ポニーテールって、やっぱり男子は好きなの? こないだの体育のとき、結構相馬チラチラ見てたよね」


 バレてるのかい。

 確かにこないだの体育の時は、普段とは違う活発な姿を見せられてついつい目が行ってしまったが、別にお前のポニテを意識してたわけじゃないぞ? どちらかと言えば意外にも揺れる胸……待て待て俺、それは男として正解かもしれないがはっきり言って最低だぞ!?


「それとも、寺氏みたいな、お下げがいいの?」


 寺氏とは、クラスの女子の一人である、寺島真紀てらしままきの渾名である。女子男子ともに寺氏呼びなので、関わりがなくとも誰なのかはわかった。

 寺島は俺の席のちょうど反対側におり、セミロングの髪をよくお下げにしている。

 チラリと、向かい側にいる彼女を横目に見ると、シャーペンのノック部分を顎に当てて、眠そうな目で黒板を見ていた。髪型はいつも通りお下げ。少しくせっ毛なこともあり、毛先がピョンと跳ね返っているのがなんとも可愛らしい。

 うむ、あれはいいぞ。いい髪型だ。特にあのピョンがいい。あのピョンがあるのとないのとでは大違いだ。


 勝手に一人で納得して心の中で頷いてると、「私もお下げにしようかな……」と後ろから小声で聞こえた。


 浅見の……お下げ姿か……。


 想像してみる。普段はギャルっぽい彼女だけど、お下げにすることでどことなく幼さを残しつつ包容力のある佇まいを両立させ、更には元来の癖のある髪が、ゆるいウェーブを生み出しゆるふわ系女子としての素質も加わる。

 まてよ……こいつ完璧じゃないか?


 俺の想像する完璧なゆるふわ女子がそこにいた。性格面は置いておくにしても、ビジュアル面はもはや完全無欠と言っても差し支えないのではないか?

 肩越しに後ろを向く。彼女は得意気に笑うと「お下げがいいの?」とからかってくるが、俺はそれに反応はせずに彼女を見続けた。


 俺の脳内では、彼女を完全にお下げ姿を具現させていた。服装は制服で構わないが、だぼっとしたセーターがいいな。より可愛らしさが増して……いい!


「相馬……」


 俺がジロジロ見てるのが恥ずかしかったのか、浅見は髪の毛を弄びながら視線をそらしている。その様子に、俺は焦って前を向いた。


「……すまん」

「何考えてたのさ?」

「いや……その……」


 お前でちょっと如何わしい妄想してました。とはさすがに言えなかった。しかし何かしらの言い訳はしないといけないので、「お下げはありだと思うぞ」とだけ告げて、逃げるように黒板に向かう。


「ふ~ん……相馬はお下げの私を妄想して、発情してたんだ」

「バカ。そんなんじゃねぇよ」


 全くその通りです、すみませんでした。


「ねぇ、相馬」

「なんだよ? まだ何か?」


 後ろを振り向くと、浅見は自分の手で髪を掴んで、見事な疑似お下げを見せてくれた。


「こんな感じ?」

「……」

「? お~い」

「……ありがとうございます」

「……さすがに、ちょっと引くわ」


 珍しく本気で気持ち悪いという顔をされたので、気持ちとして「すまない」と謝り前を向く。

 さすがに自分でも気持ちが悪いとは思うが、しかし俺があの時あの瞬間に、彼女のお下げ姿を網膜に焼き付けたことだけは、絶対に知られてはいけない。今以上に引かれるのは、目に見えているからな。

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