第62話:新学期の始まり

 長かった夏休みも終わり、ようやく新学期がやってきた。残暑のためにまだ夏なんじゃないかと思う9月。特に今年はまだまだ暑い日が続きそうだと、お天気お姉さんも言っていた。

 暦上は秋だけど、たぶん涼しくなるのは10月とか、早くて9月後半くらいだろう。ただ夜にはひぐらしの声が聞こえるので、もしかしたらすぐそこまで秋の足音は近づいているのかもしれない。この暑さが収まるのが待ち遠しい。


 ただ、この日向ぼっこは悪くないんだよな。


 窓際の列、後ろから二番目。その比較的良好な物件が俺の席で、前期の間はとてもお世話になった。欲を言えば一番後ろがよかったのだが、そればかりは席替えの時の運なのでどうしようもない。場所は悪くないのだから、諦めるのがいいだろう。

 後は窓際ということが、俺にとっては評価するべきポイントだ。

 太陽の光を浴びれたり、窓を開けれたり、カーテンを閉めれたり。窓際に座る人間は、その隣の列の人に比べて色々と主導権が握れるのが嬉しい。俺の場合はカーテンはせずに、朝のこの時間をただひたすらにぼーっとしながら、太陽の光を体いっぱいに浴びるのが好きだ。

 これが至福。暖かくて気持ちがいい。夏の間は日差しが強いからどうのこうのいう輩も中にはいるが、それもまた一つのだいご味だろうと思ってしまう。

 まあ、授業中は他の人のことを考慮してカーテンは閉める。光がノートとかに反射して眩しいし見にくいからな。


 とまあ、いいところを上げればこんなものだが、逆に悪いところを上げるとすれば、それは周囲の環境だろうか。

 一番の原因は、俺の後ろの席に座っている女子。窓際の列一番後ろを確保し、そしてことあるごとに俺にちょっかいをかけてはからかってくる。今となってはもはや慣れたといっても過言ではないが、夏休みに入る前は意外にも悩まされた。


「おはよう。す……すぐる


 そんな彼女、浅見紗枝は、まだ言いなれない俺の名前を照れくさそうに口にした。俺も俺で名前で呼ばれることが慣れないで、照れくさくなりながらも「おはよう」と返す。


 彼女はジッとこちらを見ながら、後ろの席に鞄を置く。何か言いたげな表情に、「なんだよ?」と投げかけると唇を尖らせた。


「優」

「……おう」

「す~ぐ~る」

「だからなんだよ……」

「……」


 不服と言わんばかりの顔をされるが、何を求めてるのかが本当にわからない。しきりに名前を呼んでくるけどいったい……名前?


「……」


 もしかして、そういう?


 彼女の意図がわかったような気がして、余計恥ずかしい気持ちなりながらも一度、彼女の顔を見る。まだツンとした態度を示しているので、迷いはしたが腹をくくることにした。


「なんだよ、紗枝さえ

「……なんでもな~い」


 機嫌が戻った紗枝は、そのまま後ろの席に着席した。ただ単に俺に名前を呼ばせて、その反応が見たかっただけか? わかんねぇな。


 名前で呼ぶ。これは夏休みの間に交わした約束で、俺と紗枝の他にもう一人、この名前で呼ぶを約束した人がいる。その人は黒板の前の方の席に座っているので、自然と視線をそちらに向けた。

 丁度席を立った彼女と視線が交わる。パァっと向日葵が咲いたような笑顔を向けながら、こちらに歩いてきた。


「おはようございます。優くん、紗枝ちゃん」

「おはよう、せ……幸恵さん」

「おはよ、幸恵」


 彼女、瀬川幸恵さんは、頬を膨らませて俺を見る。


 なんだろう、ついさっき似たようなものを見たような。


「優くん、“さん”付けはやめてください」

「えっ?」

「こないだは呼び捨てだったのに、なんで“さん”付けになるんですか?」


 そんなこと言われても、清楚という要素をこれでもかと詰め込んだお嬢様相手に、呼び捨てにするのが難しいといいますか……思い直すとやっぱりね。紗枝みたいに見た目はギャルっぽい雰囲気だと、案外気兼ねなく接することができるけどな。

 とはいえ、そう考えてしまうと贔屓しているようで俺も嫌だな。


「えっと……幸恵」


 あっ、むっちゃ恥ずかしいんですが!


 紗枝のことを呼び捨てにするよりも気恥ずかしい。やはり相手が相手だからだろう。


 呼び捨てで呼ばれたことが嬉しかったのか、満面の笑みで「はい!」と答えてくれる。その笑顔に見惚れてしまい、心臓が跳ねた。


「やっぱり距離感が近くなっていいですね」

「そうだね」


 まあ当の本人は今も俺のことは“くん”付けで呼ぶし、紗枝のことも“ちゃん”付けで呼ぶけどな。

 若干の不条理を感じつつも、口には出さなかった。別に“くん”付けで呼ばれるのが嫌ではない。


「――イッ!」


 突然背中に痛みが走る。肩甲骨と肩甲骨の間を抑えながら振り向くと、紗枝が何食わぬ顔で人差し指を立てていた。


「なんだよ?」

「別に? なんでもないけど」


 なんでもないけどで俺の背中を刺さないでくれないか?


「まあしいて言うなら……そこに背中があったから」

「あったからってお前」


 そんな理由で刺すなよ。地味に痛いんだから。


「優くんの背中は刺したくなる背中なんでしょうか?」


 冷静に分析しようとして、わけわかんないことを言っている幸恵に「それはないから」とツッコミを入れる。


「いや、刺したくなる背中だよ。幸恵も見ればわかる」

「おい」

「優くん、背中を見せてください」

「変なとこに興味持たなくていいから!」


 紗枝の冗談を真に受けた幸恵が人差し指を立てながらジリジリとこちらに詰め寄ってくる。紗枝を見ると、こちらもこちらでニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「……ああもう。好きにしてくれ」


 俺が幸恵の頼みを断り切れないことを見越してのことだったら、紗枝の方が一枚上手だったんだろう。仕方なく窓の方を向いて、紗枝と幸恵に背中を差し出す。


 それから二人に、朝のホームルームが始まるまでの間突かれたり、背中に指で文字を書いて何か当てるクイズをやったりとオモチャにされた。まあいいと言えばいいけれど……なんだかな~。

 ちょっと納得いっておらず、自然に嘆息した。

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