第98話:乙女心の問題です

 部屋の外に出て、姉についていきながら少しばかり廊下を歩く。これからどこに連れていかれるのだろうか、と一抹の不安を抱くも、黙って姉の後を追っていく。

 たぶん、どこに行くのか尋ねれば答えてくれるとは思う。けれど、聞いたところでどうしようもないのもまた事実だ。

 たとえ俺や紗枝がそこに行きたくないと思っていても、そしてそれを口に出したとしても、姉が自分の考えを変えるなんてことは絶対にない。たとえ誰かと対立することがあっても、自分に決定的な非がなければ考えを曲げることはしないのだ。

 我が強く好戦的。他人に嫌われようともどうでもいいと思えるのが、相馬日花という人間だ。


 だからと言って遠巻きに見るようなことはしない。たとえ乱暴で横暴な人だとしても、血を分けた家族だ。怖いことはあっても、恐れる必要は全くない。


「何枚撮るんだ?」


 なので普通に気になったことを尋ねてみる。どこに行くのかはもう諦めるとして、どれくらい撮らなければならないかだけは知っておきたい。

 俺と紗枝のツーショットなのは、先ほど郡堂さんからも聞かされていた。しかしそれを何枚撮るのかは聞かされていない。

 姉は特にこちらを振り返ることなく「ひとまず2枚は欲しいかな」と返す。


 思っていたよりも少ないな。


 もう少し多く枚数を要求されるのかと覚悟していたので、少しばかり拍子抜けしてしまう。


「手をつないで歩いているとこと、椅子に座って談笑してるところ。その2枚さえあればなんとかなるから。それにどうせ、カップルっぽい雰囲気さえあればいいし」


 あっさりと要求してくるが、サッとできるとは到底思えない。俺たちは素人でモデルではない。そもそもカップルっぽいことも今一つ理解できてないっていうのに、手を繋いだり談笑する? どういうことを求めているのかさっぱりわからん。

 ハードルが低いのか高いのか……。

 俺と紗枝は確かに仲がいいが、それは結局のところ友達として仲がいいだけだ。確かに何度か名ばかりのデートをやったことはあるけれど、カップルとしてのデートは一度だってしたことがない。まあ、付き合ってるわけでもないから当たり前っちゃ当たり前だけど。


「二人なら余裕でしょ?」

「どんな信頼だよ」


 なぜかはわからなかったが、姉は自信満々に話す。いったい俺たちの何を知って、そんだけのことを言っているのか。


「やっぱり付き合ってるんじゃ……?」


 そんな姉の様子からか、後ろを歩いていた郡堂さんがそうつぶやく。

 いやいや。会った時にも言いましたけど、俺たちはそういう関係ではないですし、俺と恋仲なんて思われたら紗枝だって迷惑がかかるでしょう。


「違いますよ」


 なのでサッと否定した。しかし郡堂さんは疑っているようで、目を細めて俺を見る。

 なんですか? 嘘を言っているように見えますか? 俺はこれでも正直者で生きてきた人間なんで、嘘とかすごく嫌いなんですけど。紗枝からもなんとか言ってくれないか?


 すがるように視線を隣に移すと、しかめっ面をした紗枝がそこにいた。怒っている……というよりも、拗ねているようにも見える。とりあえず、機嫌が悪いということだけは伺えた。

 何についてそうなっているのかわからないが、視線が俺のほうを向いていることから、きっと俺が何かをしたのだろうと理解した。しかし、思い当たる節がない。


「何?」


 端的に、明確な理由を尋ねる。けれども紗枝は「別に」とそっぽを向いてしまった。


 女心と秋の空。女性の心は秋の空のように変わりやすく移り気である。とはよくいったものだが。男からすれば、女心は山の空だ。常に変化していく山の空を読むことは非常に複雑である。しかしそれを俺たちは受け入れていかなければならない。だってそれは、避けられないものだから。

 理不尽だと思うし、なんで男だけとも思うが、これは仕方がないことである。


「弟くんは、もう少し乙女の気持ちを理解したほうがいいね」

「あいにくと、乙女なんて近くにいなかったもので」


 郡堂さんのアドバイスに冗談を織り交ぜて切り返すが、前を歩く姉はその言葉を聞いていたようで、「あんだとおめぇ」と昭和風ヤンキーの勢いで詰め寄ってくる。お前はいつの時代の人間だ。


「しっかりと乙女じゃろうがい」

「乙女という言葉の意味を辞書で引きなおしてから出直してください。あんたは女であって乙女ではない」


 いったいなんの線引きかは、自分でもよくわからない。けれど姉のことを表現するなら、まず乙女というワードは完全に除外できる。だって乙女じゃないからな。むしろ時々おっさんになるからな。


「乙女ってのはもっとこう、おしとやかで清楚な人のことを指すのでは思いますが?」

「でたよ。男のそういうところがキモイんだよね」

「キモイとか言うなよ。男子は結局そういう女性が好きなんだよ」


 偏見だとは思うけれど。


「どう思う、浅見ちゃん?」


 姉の問いかけに、「優もそういう人が好きなんだ」と冷ややかな言葉が返ってくる。

 なんですかこれ? 俺は一般的なことを言ったつもりだったが、いつの間にか俺個人の性癖みたいなことになってる。


「別にそういうことじゃないだろうがよ。一般的な乙女の定義を言ったにすぎん」

「つまり私は乙女じゃないってことでしょ?」


 確かに、俺の言った定義では生娘のような、おしとやかで清楚な人が乙女ということになる。その点、紗枝はわりかし活発的で、ベクトルとしては逆に向いている気もする。

 これは、地雷を踏みぬいたか。


「それはあれだよ……あれだ」


 うまい切り返しができずにどもっていると、紗枝の機嫌が悪くなっていく。何かを言わなければならないのは理解しているが、中途半端な言葉では焼け石に水だろう。正解だ。正解を引き当てなければならない。否定をしつつ、それでいて相手を褒めるに言葉を。


「紗枝は乙女とか関係なく普通に美人でかわいいだろ」


 空気が、一瞬凍った気がした。

 テンパりすぎて、自分の口からまさかこんな言葉が出るなんて想像していなかった。言っていること自体に誤りはもちろんないが、かといっていきなりこんなことを言うのは、ただの気持ち悪いやつだ。

 やってしまった……これはやってしまった。時間が巻き戻れるなら、いますぐ乙女だどうのこうのってところからやり直したい。

 おそるおそる紗枝の表情をみると、顔を真っ赤にして固まっている。


「いっ! 行きましょう! 日花さん!」


 絞り出すようそう言って、姉の腕をつかんで引っ張る。

 いったいどんな罵倒が返ってくるのだろうかと身構えていたが、予想の斜め上の反応に、取り残された俺は前を歩く二人の見つめながら、ただ唖然としている。


「まあ、これも乙女心の問題だよ。がんばれ」


 そんな俺の肩を優しく叩き、先を行く郡堂さん。結局、何がどうしてどうなったのか……わけもわからないままに、俺は三人の後を追いかけるのだった。

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