第64話:楽しくなかった?
新学期も始まったばかりということで、それほどこった授業もなくあっさりと放課後になった。
授業中、紗枝のことは警戒していたのだが、ちょっかいをかけて来なかったので少し拍子抜けした。あいつなら、何かすると思ったんだけどな。後よくわからないけれど、なぜか寺島が妙に俺を気遣ってきた。
授業と授業の間休みに神妙な顔で「あんまり言いたくないことは言わなくていいからね」と、不思議な発言をされた。
なんのこっちゃ? と唖然としている間に戻っていったので、一先ず頭の片隅に入れる程度に済ませ、ほっといている。
なんか厄介ごとでもあるのかもな。
寺島は顔が広いから、何かと首を突っ込みがちなのかもしれない。まあ、お節介なところが寺島のいいところでもあるんだけど、ほどほどにした方がいいような気もする。
鞄の紐を肩にかけて席を立つ。
今日はバイトがある日なので、いつもより気持ち早めに帰る。電車が遅れてバイトに遅刻なんてことになるのは、個人的にあまり好きじゃないからな。
「優」
背中から声をかけられて、一度眉をしかめてから振り返る。席で鞄の中身を整理していた紗枝が、俺を見上げていた。
しかし、やっぱり名前で呼ばれるのは慣れねぇな。まだむず痒い。
「帰る?」
「ああ、バイトあるし」
「一緒に帰ろ?」
「……」
一瞬、何か企んでいるんじゃないかと勘繰ってしまった。今日は大人しかったからというのも、たぶんあると思う。しかし夏休みをへて、そういう考えは割と無粋なんだなというのはわかっている。
大前提、俺が不利益になるようなことを、こいつはしないのだからな。
「おう、いいぞ」
「ほんと? じゃあちょっと待ってて」
急いで鞄の中身を整理し始める紗枝。スマホで時間を確認すると、乗りたいバスまでまだ時間があった。
「別に急がんでも」
「バイトなんでしょ? ……はい、お待たせ」
チャックを閉めて鞄の紐を肩にかける。
本当にそんなに急がなくても大丈夫なんだけど、俺のためにせかせかとする姿は、少しだけ可愛かった。
~~~
乗客の少ないバスに乗り込み、いつも通り後部座席の5人かけの長椅子の端に座り、その隣に紗枝が腰を掛ける。
「それでさぁ、
夏休み中にカップル増産ってのは、まあよく聞く話だ。特に男女で仲が良かったりすると、いつの間にかくっついてラブラブになってたりするんだよな。それも夏の魔力、みたいなことなんだろうか? それにしても、なんで女子ってそういう話が好きなんだろう。
「皆リア充だな~」
恋人とかカップルとか、どこか遠いもののように感じて苦笑いが漏れる。俺には縁遠い話だ。
「それを言うなら優も、もちろん私もリア充なんじゃない?」
「は?」
突然のリア充カテゴラスに、驚いて紗枝を見る。
「別に付き合ってる女子はいないぞ?」
「そうじゃなくて、リアルが充実してるなら、私たちも十分リア充じゃない?」
「ああ……」
言われて納得。確かにそれはそうだ。何も恋人関係だけがリア充とは限らない、か。
「その考えはありだな」
「でしょ? 私たちもリア充だったのだ」
誇らしげに言う彼女の横顔を見て、頬が綻ぶ。まあ確かに、ここ最近は充実してると思う。勉強もバイトも、友達関係も、去年までの俺とは雲泥の差がある。
あの頃は勉強してバイト行って、日々それの繰り返しをしながら夏休みを過ごしていた。予定はほとんど自分だけ。誰かと一緒に計画を立てるなんてこともなかった。
けれど今年はどうだ?
紗枝に引きずられるような形でデートして、幸恵に勉強を教えるために学校に行って、バイト先では新嶋さんとたわいもない会話をして、最終的にはキャンプに行って初めての花火。今年だけで詰め込みすぎじゃないか。
思い出を振り返っていると『そうなると、俺は確実にリア充なのか』という考えに至った。
そう自覚したときに、俺に充実した時間を提供してきてくれた奴の顔を思い浮かべた。
いや……そうだな。うん、そうだ。
照れくさくなって窓の外を見る。
きっかけはどうあれ、俺が楽しいと思えたのは、なんだかんだでほとんど紗枝のおかげだった。こいつが一緒に居てくれたから、俺は俺の考え以上のことができたし、新しいことに挑戦することもできた。
「でも結局、優の趣味探しは難航しちゃってるのかな?」
「えっ? ああ……まあ……」
夏休みの元を辿れば、俺が原因の一端を担っているのは確かだろう。今考えると我ながら馬鹿げたことをと思うが、結果オーライではあったな。
ただ実際問題、趣味にできそうなことはなかった。キャンプは楽しかったけど、何度もやりたいかと言われると微妙。
「とうぶんはいいかな」
考えるのも若干忘れてたし。
「ええ……? 結構頑張ったんだけどな……」
紗枝は口をすぼめて視線を下に向けた。そしておそるおそる「楽しくなかった?」と尋ねてくる。
そんなこわごわと聞いてこなくてもいいのに。
「楽しかったよ、十分に」
その答えに、彼女は「よかった」と満面の笑みを浮かべた。
~~~
帰宅ラッシュに巻き込まれた電車の中で、お互いに向かい合いながら俺はつり革を、紗枝は俺の腕を掴んでよろけないように自分を支えている。
「お姉と連絡してるんの?」
「うん。キャンプの時に交換してから」
話題は、いつの間にか俺の姉の話になっていた。
夏休みの最後らへんに行われたキャンプでは、俺と紗枝や寺島などのいつものメンバーに加え、姉の
あの時は仕事がどうのでほとんど遊んでるそぶりは見せなかったが、何かと塚本に付きまとったりしてモデル探しをしていたっけ。
それの影響が、まさか紗枝にまで及んでいるとは。
「なんか無茶なお願いとかはされてないか?」
「今のところは特には。でも驚きだよ、大学でファッション雑誌作ってるのもそうだけど、結構クオリティ高くって」
お姉のやっている仕事というのは、大学のサークルでやる活動のことを指す。二か月に一回のペースで刊行する雑誌のようで、大学生向けの大人ファッションからちょっと特殊なファッションの特集なんかも組んでいる。そのためにファッションセンスが良く、見栄えのいいモデルを探しているのだ。
紗枝はモデル体型だしファッションセンスもいいけど、いいようにされていないか心配だ。お姉はかなり強引なところがあるからな。
ちなみに塚本の方には毎日必ず一通はオファーのメッセージが飛んでくるらしい。相談されたのでブロックしろって言ってやった。
「何かあったら言えよ? 文句言ってやるから」
「別にそこまで困ってないし……ちょっと興味はあるから」
「モデルに?」
「悪い?」
ふくれっ面で見上げてくる。
悪いわけではないのだが、紗枝がモデルをやっていろんな人の目につくのがこう……もやもやしてしまう。
言い表せない感情に「いや……」と言葉が詰まる。ただ一つ言えることがあるとすれば。
「似合うとは思う」
すでに学年では、美人な人としてかなりの有名人だしな。
「本当かな~?」
本心からの言葉だったが、紗枝は目を細めて疑いをかけてきた。
「嘘じゃねぇよ」
「じゃあちゃんと目を見て言ってよ」
「目をって……」
紗枝を見下ろすと、ぱっちりとした目が突き刺さってくる。さすがにこんな状態でさっきのような言葉を伝えられるわけもなく、結果視線をそらした。
「照れてる」
「別に照れてない」
本当はだいぶ照れてる。
「仕方ないな~。今日のところは勘弁してあげますよ」
なんでそんな上からなんだよ。ありがたいけど。
難を逃れて安堵したのもつかの間、「それよりさ」と紗枝はどこか期待を込めた目で俺を見つめる。
「私一つ気になってたことがあって」
「なんだよ?」
「バイト先に行ってみたい」
「……え?」
バイト先ってもしかしなくても……俺の、だよな?
正直バイト先というのは、プライベートな部分を知られるのが気恥ずかしいといいますか。ぶっちゃけ来てほしくないと思ってしまうが、特に断るような理由も思い浮かべることができずに、電車は俺の最寄り駅に滑りこんだ。
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