第3話:くすぐったいから背中を指でなぞるんじゃねぇ

 毎日毎日授業授業授業で、正直気が滅入って来る。これが将来のため、大学のためと思い日々真面目に取り組んではいるが、それでも人間そんなに集中が持つわけもない。現に、意外に優等生の俺でも身に入らない時があるのだから。


 後一時限で帰れると思うと、五時限目まで保っていた集中力がぷっつりと切れた。それと得意な数学だからなのも、要因の一つかもしれない。これが現代文とか古典だったら、ここまで悠長に構えていられなかっただろう。今頃必死になってノートと睨めっこしているはずだ。


 欠伸が漏れた。


 くっそ……眠い。やってるところ、そんな面白くもねぇし。正直教科書見ればわかるレベルだし。さっさと練習問題とかやってくんねぇかな~。


 今この時間で、一体どれだけの人間がこの授業を聞いているのだろうと、黒板から視線を外して周りを見た。中には堂々と寝ている人や、一先ず受ける姿勢だけ整えてる人。友達とこそこそと喋っている人。真面目に受けているのはそこまでいそうになかった。

 授業なんだからちゃんと受けろよ。とか、大人たちは思うんだろうが。集中力なんて持って40分が限度だろう。授業時間50分なんだから、最後まで持たないっつーの。

 ペンを手の上でくるくる回しながら、一応ノートだけはちゃんと取る。あまり提出とかない先生だけど、ノートに纏めるという行為は、頭の中を整理する上では必要なことだ。例え必要なくとも、俺はやっている。


 しかし今日はきついかもしれない。纏めるために割く思考がない。ただべたっと纏めるだけになりそうだ。後で見た時に後悔しそうだけど、数学は結局反復練習だからまあいいか。

 欠伸を噛み殺してペンをノートの上に転がした。後は練習問題までボーっとすることに決めた。練習問題は真面目に解いて、今日は早く帰ろう。バイトないし。


「――っ!」


 背中を何かがなぞる。それがあまりにもくすぐったくて、逃れるために猫背になっていた背骨が伸びる。

 肩越しに後ろを覗き見てみると、俺の後ろの席に座る女子。浅見紗枝あさみさえが手を伸ばして、立てた人差し指を俺に向けていた。十中八九、こいつが俺の背中をなぞったのだろう。


「なんだよ?」


 なるべく他の人に聞こえないように、小さい声で話かける。彼女がチョイチョイと手招きするので、椅子を下げて近づく。


「背中に何書いたか当ててよ」

「はっ? 今授業中だぞ?」

「かったるそうに頬杖ついてたじゃん」

「ぐっ……」


 まあ実際、これからサボろうかと思っていたところだったので、反論ができなかった。


「練習問題やるまででいいからさ」

「……俺、背中弱いんだけど?」


 正直触られるだけでくすぐったい。それをなぞられるのだ。身を捩るだろう。


「それはなんとなくわかってる。触られるってわかってたら、思いの外平気なところあるから大丈夫だよ」

「いや……触らないで欲しいんだけど」

「いいから前向いてよ」


 相変わらず話聞かねぇ奴だな。


「嫌なんだよ。くすぐったいから」

「大丈夫大丈夫。ほら」

「ちょ……」


 強引に指先を背中に押し付けてくる。けれどもくすぐったいよりも、指に込められる力が強かったからか、指圧みたいな感覚になる。


「……わかったよ」


 実際くすぐったくなかったので、渋々了承する。暇なのは事実だし、俺は前を向いてるだけでいいなら、実害はほとんどないようなものだ。もし怒られるとしても、こいつが勝手にやったことにしよう。

 前を向いて、姿勢だけでも授業を受けてますアピールをする。


「よーし。それじゃあ……」


 どことなく楽しそうな声と共に、彼女は俺の背中というキャンパスに指を置く。俺も意識を背中に集中させて、指圧を感じながらあいつが何を書くのか考える。

 指が動いた。思いの外早いっていうか……すげぇ小刻みに動いてるんだけど。あれ? これ日本語か? だとしたら漢字……ではないよなこれ。ひらがな? でもないしカタカナか? カタカナってこんなにうねってたっけ?


 指が止まり、可愛らしく「な~んだ」訪ねてくる。しかし俺は言語そのものが理解できてないので、答えが全くわからない。


「なあ。今のは日本語か?」

「えっ? フランス語だけど」


 ……なんで?


「いやわかるわけねぇだろ? フランス語なんて習ってねぇのに。というかお前フランス語出来たのかよ」

「昨日テレビでやってたから、簡単なやつ覚えたの。ちなみに今のは、おはよう。ね」

「そうなのか……なあ浅見。やるなら俺のわかる言語で頼む。それと出来るだけゆっくり書いてくれ。早すぎてよくわからん」

「え~。もっとフランス語で遊ぼうと思ったのに。まあいいけど。じゃあ今度から日本語ね」


 また浅見の指が背中に触れる。今度はゆっくりと指が動き始める。おかげて一本一本覚えることができるが……なんだか画数多くないか?

 おそらく漢字なのはわかる。わかるのだが、あまりにも画数が多く、どこに何が書かれてるのか感覚的に追うことができなくなった。というか……たぶんこれは知らない漢字だ。

 書き終わった浅見は、また可愛らしく「な~んだ?」訪ねてくるが、こいつ俺に答えさせる気ないだろ?


「今のは漢字だよな?」

「そうだね」

「高校で覚える漢字か?」

「あっ? もしかして知らない?

「端的に言えば」


 もし知ってても、あれだけ画数あったらたぶん答えられないとは思うけど。


「仕方ないな。ちなみに今のは薔薇バラね」


 わかるか!? そもそもバラってどう書くんだよ。草冠ぐらいしかちゃんとわからないぞ。


「次はわかりやすくいくね」


 まだやるのか。早く練習問題に入らないかな……。

 そろそろ飽きてきたが、浅見はまだまだやる気のようだった。


 再度、浅見の指が背中を走る。今度は本当に簡単で、画数も少なくカタカナで二文字。さっきとの落差が凄い。むしろ簡単にすると行って、微妙に難しい読み方の難読漢字とか使ってくるのかと思ってた。


「わかった?」

「さすがにな。キクだろ?」

「せいか~い。では第二問です」


 突然問題が始まる。


「それは何かをのキクなのか、それとも花ののキクなのか。どっちだ? ヒントはさっき書いた漢字かな」


 ……いや、それもうほとんど答え言ってんじゃねぇか。

 さっきの漢字は薔薇。つまり花の名前だ。それがヒントってことは、こっちのキクは花の方の菊になるのが普通。


「花の方だろ?」

「どうして?」

「薔薇は花の名前だから」

「正解。まあ正確には、薔薇は赤い花だから、だけどね」

「……それって何か意味あんのか?」

「そこは自分で考えなよ。あっ、練習問題やるみたいだよ」


 そう言うので前を見るが、まだ先生は式の説明をしていて練習問題には行きそうになかった。紛らわすための嘘だったとわかり、肩越しに後ろを見る。浅見は真面目にノートを取っていた。これ以上は話さないアピールだ。

 勝手なやつだとは思ったが、仕方がないので椅子を戻して前を向く。


 赤いから……なんなんだ?


 結局、何故赤い薔薇だから菊だったのかわからず、所詮は俺をからかうための文句なんだろうと、深く考えることは止めたのだった。

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