第10話

「もしかしたら、帝くんが倒れたりしたのかしら……?」


 そう思ったあゆらは心配になり、音楽室を出ると廊下を足早に進み、清志郎の練習部屋の前に立ち止まった。

 無断で開けるのは失礼だと思い、ノックをしようと右手を胸の高さまで上げた時、そのドアに薄い隙間ができていることに気がついた。

 そして、あゆらはただなんとなく、ささいな好奇心で、3センチほどのドアの隙間から中を覗き込んでしまう。


 ————この行動が、今後のあゆらの人生を大きく左右させる。


 まず目に入ったのは奥にある楽譜と、それに寄り添うように置かれたバイオリン。

 演奏部屋らしい殺風景な室内……あゆらがそう思った次の瞬間、彼女の視界に飛び込んで来たのは、一人の少女の姿だった。


 ドンッ……と、先程聞いたのと同じ音が鳴ると同時に、三つ編みの少女がかけていた丸い縁のメガネが冷たい床に落ちた。

 あゆらは思わず息を止め、目を見開いた。


 ――み……美鈴——?


 音楽室で聞いた音は、美鈴が突き飛ばされ、壁にぶつかった音だった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、もう、もう、許して、ください」


 消え入りそうな赦しを乞う声。

 僅かな隙間から見える、床に跪き、涙する美鈴の姿。

 ひたひたと、彼女に近づく気配、伸びる腕。

 その左手に握られた銀色の小ぶりな刃物は、窓から射し込む夕日を受け光りを帯びていた。

 美鈴が胸ぐらを掴まれ、メスを頬に当てられるとともに、明らかになる加害者の容姿。

 帝清志郎の歪んだ笑みが、あゆらの視界を占領した。

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