第212話

 清志郎は現場を見たその足でリビングに戻ると、大切にしていたバイオリンで飼い猫を殴り殺した。


 清志郎の記憶は、ここで途絶えた。


 現実に、自分の身に、何が起きているのか理解するのを拒絶し、脳が意識に蓋をした。

 

 ――忘れてしまえばいい、嫌なことは。


 清志郎は忘れたふりをした。

 この頃から、徐々に清志郎の中に二つの人格が現れるようになる。

 知らずに蓄積されてゆく暗い淀みを発散するかのように、清志郎は動物を殺した。

 ある時は急に冷静に返り、自分はなんてむごいことをしたのだろうかと嘆くこともあれば、次の瞬間にはすっかり忘れ、また同じことを繰り返した。

 虫も殺さぬ潔癖な自分と、何もかも破壊してしまいたい衝動を抑えられない自分。

 不規則に顔を出す両者が混ざり合い、清志郎は常に夢の中にいるような、ぼんやりとした意識にあった。

 まるで地に足がついていないような、自分を見失った虚脱感だけがあった。


 皐月は失踪者として扱われ、離婚が成立したのち、鏡志郎は今の妻と再婚した。

 清志郎の記憶障害はますますひどくなり、実の母を探す時もあれば、そこにいるかのように話しかける時も出て来た。


 中学に上がると、清志郎の周りには常に女生徒がいた。


「あたし、清志郎くんが好きなの」


 頬を赤らめながらそう告げる数々の彼女たちに、清志郎はこう思った。


 ――この子たちは、一体僕の何を好きだと言っているんだろう?


 清志郎には必死な女生徒たちが、ひどく滑稽に見えた。

 動物を切り刻むのにも飽きてきた頃、清志郎は標的を、この少女たちに切り替えた。

 人間に危害を加えたら、何か感じるかもしれないと思った。

 清志郎は心に響く何かを、探していた。

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