第216話

 ——ワアアァァ……


 気づけば、清志郎はコンテストの会場にいた。

 ステージに立ち、夢中でバイオリンを奏でていた手を休めると、彼の前方一面に見える観客から歓声と拍手が起きた。

 一人、また一人と立ち上がる客が増え、あっという間にその場にいた全員がスタンディングオベーションをした。

 何もなければ、清志郎は間違いなくこのコンテストで優勝していただろう。

 彼の最初で最後の、晴れ舞台。

 暖色の光に照らされた客席、そしてそれを浴びた清志郎は、眩しさに目を細めた。

 

 ――ああ、まるで金色きんいろの庭のようだ。


 それは光と闇の、あるいは大人と子供の……そして、清志郎にとっては夢と現実の境界線だった。

 母がいた頃の幸せな色を前に、清志郎の複雑に絡み合っていた記憶の糸が、綻んだ。

 

『清志郎』


 ふと、どこからか名を呼ばれた気がした。

 懐かしく、耳をくすぐる、甘い声だった。


「……かあ、さん……?」


 近づいて来る足音が、清志郎を現実に連れ戻す。

 視線の先には、今や届かぬ存在となり果てた、清志郎のすべてだった母がいた。


『清志郎、悪いことをしたら、罪を償わなくてはならないわ』

「……僕は、悪い子なんですか? 僕は逆らいませんでした。だって、大人の言うことを聞くのが“いい子”なんでしょう?」


 清志郎によく似た穏やかな空気を持つ母は、悲しげに目を伏せた後、慈愛に満ちた表情をした。


『あなたが取り返しのつかない、間違えたことをしてしまったら、私が一緒に地獄に落ちてあげるから』


 幸福な幻想の中、清志郎は思った。

 ——そうか。ようやく僕は母に会える、ようやく解放されるんだ。

 暗鬱だったもやが晴れ、朝日に照らされたそこには、一本の記憶の糸が輝いていた。

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