第144話
その曲を聴き耽る中、不思議そうに首を傾げている客が数人いた。
「ふむ、今この選曲とは……」
「婚約会見の席にはふさわしくないでしょうね」
「……この曲になんかあるんですか?」
志鬼はすぐ右横に立っていたロマンスグレーの老紳士と、深い皺に薄化粧をあしらえただけの品がある老婦人に問いかけた。
夫妻は一度顔を見合わせたが、すぐに志鬼に視線を戻し、言った。
「……これはヴェートーヴェンが好きな相手に贈った曲なのだけれど、当時音楽家はならず者として身分が低く、貴族の女性とは許されない恋だったの。定説はないから事実はわからないけれど、その一説を信じるとしたら……これは身分差がある愛する相手に切なく熱い思いを伝える曲なのよ」
「きみはずいぶんと……罪な男のようだ、ね?」
権力者である前に一人の人間であり、男と女だという思想の持ち主であった老夫妻は、感激のあまり身動きが取れなくなっている志鬼を優しい眼差しで見ていた。
――生まれ育った環境なんて関係ないわ。志鬼……私はこんなにも、あなたのことを——。
本当は友人として紹介などしたくなかった。
彼が私の唯一無二の恋人だと大声で堂々と言えたなら、どんなによかったか。
それが許される立場にない今、あゆらはこの音楽に、全身全霊をかけて志鬼への思いを奏でた。
岸本家と帝家の婚約パーティーは、あゆらの器量と奇策により、志鬼への告白の場と変貌を遂げた。
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