第170話

 そして次の瞬間、自分たちを傍観している清志郎が不敵な笑みを浮かべていることに気づく。

 ——手をこまねいている。

 待っているのだ、志鬼が罠にかかるのを。


「待って、志鬼! 手を出してはダメよ! 相手の思う壺だわ!」


 あゆらの言う通り、清志郎に抵抗する気などさらさらない。挑発して志鬼に暴力を振るわせ、自分が怪我をして彼を務所送りにするという算段だ。


「志鬼! 話を聞い——!?」


 志鬼を止めようと、あゆらは咄嗟にその骨張った首に抱きついた。

 しかし、華奢なあゆらの体重などなんの意味もなく、志鬼は彼女を首にぶら下げたまま立ち上がり足を進めた。

 志鬼の目には清志郎しか映っていない。

 あゆらの声などまったく耳に入っていなかった。


 清志郎が笑っている。

 さも愉しげに、さあ来いと言わんばかりに。

 あゆらは許せなかった。

 志鬼の思いを利用する清志郎が。

 そしてその純粋を踏み躙らせてたまるものかと思った。


「志鬼————!」


 あゆらは渾身の力を込め、自分の身体を引き上げると、勢いのまま志鬼に口づけた。


 今度は、志鬼と清志郎の時が止まった。

 それと同時に、清志郎の元に向かっていた志鬼の歩みも止んだ。


 静まり返った空気を感じ取ったあゆらは、安堵のため息とともにぶつけていた唇をそっと離した。


「……少しは落ち着いたかしら?」


 照れ隠しにツンとした口調で言ってみせるあゆらに、フリーズしていた志鬼はようやく状況を飲み込んだ。


「…………ハヒ」


 あゆらからの口づけに一気に目が覚めた志鬼は、声を裏返し赤面していた。

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