第163話

 次の授業は移動教室のため、長い廊下を渡って行かなくてはならない。

 志鬼がいない今、あゆらは一人きりだったので、なるべく他の生徒たちから離れない方が安全だ。

 しかし、そんな時に限って教師に片づけを頼まれてしまい、あゆらは最後に教室を出ることになった。


 あゆらは二時間目の教科の資料を両手に抱えると、小走りに目的地に向かう。

 その移動教室へ行くには、近道がある。

 以前の経験から近道には悪い印象しかなかったあゆらだったが、彼女は今回もそちらを選んだ。

 音楽室の前を通れば、予鈴までに間に合うだろう。

 だが音楽室のすぐ隣には……清志郎専用の、バイオリンの練習部屋がある——。


 休み時間終了間近、素行のよい生徒たちは授業開始ギリギリに駆け込むようなことはしない。

 つまり、今あゆらが歩いている廊下には誰も見当たらず、静けさが漂っていた。

 

 一歩、また一歩と、踏みしめるあゆらの足音だけが響き、“その部屋”の前を通り過ぎようとした時だった。


 淡茶色のドアはあゆらが来るのを待ち構えていたかのように、僅かに口を開いていた。

 それはあゆらの洗練された横顔が垣間見えた刹那、一気に大きく開き、中から飛び出した腕は彼女の口と胴を押さえつけるがまま、力任せに飲み込んだ。

 

 あの日、あゆらの何かを大きく変えた事件が起きたその場所に、たった今、あゆら自身も捕らえられたのだ。

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