第202話

「俺だけでも目立つのに、虎徹まであゆらと一緒に行動させてもて大丈夫かな、また悪い噂でも」

「いいのよ……もう、お嬢様はやめるから」


 あゆらの口から出た台詞に、志鬼は一瞬耳を疑い、彼女を振り向いた。

 自身の胸辺りに位置するあゆらの横顔は、真っ直ぐに前を見据え驚くほど凛とし、美しかった。


 梅雨の名残りだろうか。

 六月の終わりを告げる小雨が夕焼けを飲み込んだ夜空からこぼれ落ちた頃、二人の前に、一台の車が停まった。


 あゆらも、志鬼も知っている。

 誰が乗っているかなど、考えなくてもわかる、磨き抜かれたリムジンだ。

 その重役席から地に降り立ったのは、少女たちの嘆きをかてに、繁栄を極めた男だ。


「こんな時間まで男と一緒とは、立派な不良娘になったようだな」


 幸蔵は苦々しい口調でタバコを咥えながら、あゆらに近づいた。

 

 あゆらは目の前に立つ男を、赤の他人と認識した。

 例え世間がどう思おうと関係ない。

 自分自身と、大切な人が親と子を切り離し、個の人格を尊重し認めてくれること。それこそが魂の解放となる。


「清志郎くんからすべて聞いた。所詮お前は籠の鳥よ、もがいたところで何も解決するまい。大人しく彼と一緒になりおいえの役に立つのだな、どうせ女にできることなど男を悦ばせるか子を生むことくらいなのだから」


 あゆらはもう、幸蔵から目を逸らすことはなかった。

 久しぶりに対面したその顔は、のっぺらぼうのように色がなく、どこか嘘のように遠かった。


 ——私は、今までこの人の何を怖がっていたのかしら?


 過去を振り返ってみれば、そこにはもう、父を恐れる自分の姿はなかった。

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