異界帰り


「ほんっとーにっ! ありがとうございました!!」

「俺の方こそ、いろいろ教えてくれて助かったよ。えーっと……徳乃とくのさん?」

「僕のことは気軽に新九郎しんくろうとお呼び下さい。なんといっても、つるぎ様は僕の命の恩人ですから!」

「わかったよ新九郎。なら、俺のことも奏汰かなたで頼む」

「はいっ、奏汰さん!」


 明けて翌日。

 嵐のような夜を戦い抜いた二人は、まだ薄暗い早朝の中山道なかせんどうを日本橋方向に歩いていた。


 奏汰の活躍で、江戸の一角を襲った鬼は全て退治された。

 当然ながら行く宛のない奏汰は、助けた縁で少年剣士の新九郎と行動を共にしていたのだ。


 夜明け前ということもあり、通りに人影はほとんどない。

 しかし耳を澄ませば、遠くからは駕籠者かごものの発する威勢の良いかけ声がいくつか聞こえてくる。


 一般的な駕籠屋が日の出前に駕籠を出すことはまずないが、武家が直接雇う駕籠者はそうもいかない。

 鬼の襲撃直後とあって、対応に追われる武家たちを慌ただしく各所に運んでいるのであろう。


「なんか……本当に江戸時代なんだな」


 現代とは全く違う、砂利粒が敷き詰められた江戸の街道は広く美しく、そこを歩く奏汰は物珍しげに辺りを見回した。

 

「奏汰さんにとっては、久しぶりの日の本ですもんね。ところで、その〝いせかい〟という国はどんなところだったんです?」

「どんなところって……とりあえず追放とかざまぁとか、悪役令嬢とか婚約破棄とかスキルとかかな。俺は戦い通しだったから、あんまり詳しくないんだけど」

「すごいですっ! 美味しいお菓子に山盛りの珍味……はわわ、想像しただけでよだれが垂れてきました!」

「なんで!? 今の俺の話聞いてた!?」


 なぜだかきらきらと目を輝かせる新九郎と、まったくかみ合わない会話に困惑する奏汰。

 とはいえ、実際のところ彼は正真正銘の〝異界帰り〟である。


 本来、文政ぶんせいから数えて約二百年あまり先の世に生きる高校生である奏汰は、異なる世の神によって強制的に異世界へと呼び出され、勇者として数多の戦場をくぐり抜けてきた。


 昨夜の英雄的救援劇も、実際は戦いを終えた奏汰の〝現代への帰還が失敗した〟ことによる、無残な墜落劇だったのだ。


「帰れたは帰れたっぽいんだけどさ。俺の生まれた時代より、ずっと昔に来ちゃったみたいなんだ。こう……うまく説明できないんだけど」

「わかりますよ! つまり奏汰さんは、僕も大好きな〝御伽文庫おとぎぶんこ〟にある、浦嶋子うらしまこってことですよね? 海の底にある竜宮から帰ってきたら、もの凄く時が経っていたっていう!」

「う、浦嶋子? もしかして浦島太郎のこと……? まいったな……こんなことなら、もうちょっと日本史勉強しとくんだった」

 

 異世界のことも。

 勇者のことも。

 自身が生まれ故郷に帰る最中であり、時のずれで帰還がかなわなかったことも。


 奏汰は新九郎にありのままを説明したのだが、〝らのべ〟だの〝あにめ〟だのの心得などない新九郎に、それらが理解出来るはずもなし。


 結果として、新九郎から見た奏汰の素性は〝神隠しに遭って南蛮送りとなった浦嶋子浦島太郎〟……といったあたりに落ち着いていた。

 冗談のような話ではあるが、これでも新九郎の理解力は相当に優れていると言えよう。


「でも日本史っていえば、江戸時代の日本って鎖国中だろ? 俺みたいなのがうろうろして大丈夫かな?」

「なにを仰いますか! 奏汰さんは江戸一番の天才美少年剣士であるこの僕の命の恩人なんですよ? そんな貴方を罪人扱いなんて、僕が絶対にさせませんって!」

「なんか頼もしいな! それって、新九郎にそういう権限があるってこと?」

「ないですっ! ふんす!」

「ないのかよ!?」

「まあまあ、そう細かいことは気にしないで。いつだって大切なのは、心の余裕です! あははははー!!」


 いかに奏汰が異世界で鍛えられた勇者といえども、まだまだ慣れぬ江戸の地と、新九郎の図抜けたお調子者っぷりには困惑しきり。


 一方の新九郎はと言えば、先と変わらずその端正可憐な横顔を薄桃に染め、まるで咲いた花のようにころころと笑っていた。


「だけど、僕にもなんとなくわかります……きっと奏汰さんは、ここに帰ってくるまでにも、ものすごく苦労されたんですよね?」

「それは……そうかも」

「僕はあなたに命を救って頂きました。そして、あの場で奏汰さんが鬼を退治してくれたお陰で、江戸に住むみんなの命も助かったんです」


 ゆっくりと昇り始めた陽光の下。

 新九郎の緑がかった美しい瞳が、上背のある奏汰をじっと見上げた。


「今ここからは、僕が奏汰さんに助けられたご恩を返す番です。これでも江戸ではいっぱしの剣客けんかくとして身を立てている身……きっと奏汰さんのお役に立って見せます!」

「新九郎……」


 そこで奏汰ははっと気付く。

 故郷に帰れず落胆していた己の心が、この知り合ったばかりの少年が見せる底抜けの明るさとほがらかさによって、すでにずいぶんと助けられていたことに。


「ありがとな、新九郎。まだ会ったばっかりなのに、そんな風に言ってくれて」

「礼には及びませんって! 僕にかかればどんな苦難も万事解決、心配ご無用! どんとこーい!!」


 奏汰の感謝に新九郎は背をそらせて胸を張り、昨夜己が死にかけたのもころりと忘れ、得意のどやをその顔に浮かべた。


「よっし! 新九郎の言うとおり、もう悩むのはやめだ。鬼のことも気になるし、ここで暮らす方法も考えていかないと」

「ふっふっふーん! でしたらさっそくこの僕にお任せあれ!」


 気を取り直して前を向いた奏汰に、すかさず新九郎が合いの手を入れた。


「実は僕の知り合いに、大層ご立派な同心様がおりまして」

「同心って、悪人を捕まえる人たちのことだっけ?」

「はい! 僕もその方には常日頃よりお世話になっていますので、きっと力になってくれると思います!」


 新九郎の出したその案に、奏汰もなるほどと頷く。


「わかった。任せるよ」

「ではご案内します! どうぞこちらへ!」


 こうして。いかにも自信ありげな様子の新九郎に案内された奏汰は、頼れる同心がいるという武家地に赴くことになったのだが。


「なんだぁてめえは!?」

「なんとも面妖なやつ! 昨夜の鬼の仲間やもしれぬぞ!」

「御用だ! 御用だ!」

「あれ?」

「うぎゃーーーー!? ぜんぜん駄目でしたぁああああ!?」


 武家地へと足を踏み入れて間もなく。

 鬼による襲撃直後で相当に殺気立っていた岡っ引きに囲まれた奏汰は、あえなく御用となってしまったのであった。


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