勇者でもなく 神でもなく


 一閃。


 江戸の夜空にかかるは、奏汰かなた新九郎しんくろうの想いによって顕現した虹の橋。

 そして駆け上る虹のたもと。

 荒川沿いのすすきヶ原では、愛刀もろともその鋼の肉体を下段から斬り上げられ、僅かにたたらを踏む時臣ときおみの姿があった。


「やっ……た!?」

「ああ……! 俺たちの剣は、ちゃんと届いてる!!」

「…………」


 眩いばかりの閃光が収まった先。

 鮮血を流し、砕かれた刀の柄を持つ時臣の姿に、しかし奏汰と新九郎は互いの身をかばい合うようにして油断無く構えた。


「……見事だ。それが、俺とは異なるお前たちの選んだ道というわけか」

「そうだ……! 俺はここに来るまで、何があっても自分の力で戦ってきた。そうすれば、誰も傷つかなくて済むと思ってたから……!」


 不気味なほどの静寂。

 肌寒い秋風が過ぎゆくすすきヶ原に、時臣と奏汰の声が交錯する。


「けど違った……俺は怖がってたんだ。誰かを好きになること、好きになった誰かが傷つくのが怖かったんだ……」


 かつて……奏汰は両親を失った自分の苦しみを、他の誰にも味合わせたくないと願い、勇者となって戦った。

 そのためにたった一人、ただ神であるクロムだけを共にして数多の異世界で世を破滅させる存在と戦った。


 そうすれば、傷つくのは自分だけで良いと。

 痛みを味わうのは、自分だけで済むと。

 茨の道を進む者が自分一人だけであれば、〝奏汰自身も他人の痛みを味合わずに済む〟と……そう信じていた。だが――。


「でも、俺はここで新九郎に会ってわかったんだ! 俺はもう目を逸らさない。大切な人の痛みも、苦しみも……全部一緒に背負って生きる!!」

「もちろん僕だって、ずっと奏汰さんと一緒にいますっ!! 奏汰さんが悲しいときは一緒に泣いて……奏汰さんが苦しいときは、僕も一緒に苦しいよーって言うんですっ!! それが……それが僕の願いですっ!」


 だが、奏汰の〝それ〟はある種の逃避でもあった。

 己を常によそ者とし、誰とも深く関わらず。

 意思なき機械のように、最短距離で世の滅びを打ち砕いてきた。


 しかし、江戸に落ちて奏汰は変わった。


 新九郎との日々で生来の優しさと強さを取り戻し、百の異世界を救っていた頃よりも、遙かに強い覚悟を持ってこの大地に根を張ると決意したのだ。


「力を合わせて……か。そこまで勇者の力を極めたお前だ。この地の惨状を見て力が足りぬとなれば、更なる高みに己を押し上げる道も選べたであろうが……〝そうはせぬ〟と決めたのだな」

「退いてくれ、時臣さん! あんたが神様を恨む事情はわかる……けどクロムは他の神様とは違うんだ!! 俺と一緒にいたときも、ずっと勇者の仕組みを終わらせるために頑張ってた……ここに落ちたのだって、最後まで俺と一緒にいようとしてくれたからなんだよ!!」

「フッ……勇者を終わらせようとする神か。そのようなことを口にするとは、たしかにその者は他の神とは違うのやもしれんな……」


 奏汰との問答に、時臣は実に穏やかな声色で応じた。

 時臣はゆっくりと傷ついた己が胸元を押さえ、頭部まで達した新九郎の一撃によって、身につけていた黒漆塗くろうるしぬりの面が音もなく落ちる。そして――。


「だが……〝やはり足りぬ〟」

「っ!!」

「奏汰さんっ!」


 刹那。その独眼の素顔を晒した時臣の身から、それまでとは全く異なる膨大な圧力が放たれる。

 その力は奏汰と新九郎を押し飛ばし、周囲のすすきをことごとくなぎ倒すと、さらには天上に輝く月と星の光すら湾曲させた。


 空間が歪み、大地が歪み、視界が歪む。

 

 直接的な破壊こそ起きていないものの、奏汰と新九郎は目の前に顕現したこの現象が、時臣の持つ筆舌しがたい不可視の力によるものだということを一瞬で悟る。


「足りぬのだ、超勇者……お前たちのその意気、そして志は実に見事。平時であれば、俺も両手もろてを挙げてお前たちにこの世の行く末を託したであろう。だがな――!!」


 それは、明確に〝勇者の虹を上回る〟圧倒的力だった。

 それを見た奏汰は即座に新九郎の前に出ると、剣神リーンリーンとなって死力を尽くす決意を固めた。しかし――!


『グ……ググ、グ……!! お……かぁ……! オ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』

「はわわ……っ!? な、なんですかこの声!?」

無条むじょう!?」


 その時。眼前で圧倒的力を解放した時臣に呼応するかのように、離れた場所に位置するクロムと明里のいる台座の方向から咆哮が轟く。


 それは無条。


 こちらもそれまでのものとは全く違う。

 マヨイガで見た闇よりも遙かに無秩序で混沌とした、全く制御されていない荒れ狂う闇がその場に現れようとしていた。


「お前に〝あれ〟を救えるか? お前のいう協力とやらで、〝あれ〟を殺せるか?」

「無条を……救う?」

「で、でもでもっ! 救うのに殺すってどういうことですかっ!?」


 だが今の二人に、それ以上考えている余裕はない。


 眼前には勇者の虹すら上回る力を解放した時臣。

 そして後方では、今にもこの世界そのものを飲み込まんとする無条の闇が解き放たれているのだ。


「なぜ俺があのわらべを好きにさせ、〝無条には手を出すな〟とカルマに言い含めていたかわかるか……? 下手に奴を刺激すれば、必ずこうなると知っていたからだ。それで幾人の命が犠牲になろうと、なにもかも消え去るよりは遙かに良いとわからぬお前ではあるまい?」

「くっ……! だったらどうして俺たちと力を合わせない!? あんたも無条を倒そうとしてるなら、目的は俺たちと同じじゃないのか!?」


 現れた二つの至極の力。

 双方の力に押し潰されそうになりながらも、奏汰は必死に新九郎を抱き守りながら時臣に叫ぶ。


「否!! 勇者の力で奴は殺せぬ。たとえ神であろうと奴は殺せぬ! 奴を殺し、この無窮むきゅうの地獄から〝あの迷い子を救う〟のは神でも勇者でもない……この〝龍石時臣りゅうごくときおみのみ〟よ!!」

 

 拒絶。

 奏汰の問いに対し、時臣の返答は明確な拒絶だった。


「お前ほどの力があれば、その娘一人を連れて別の異世界に逃れることもできよう……愛する者と共に生きながらえたいと願うのであれば、これ以上俺の邪魔をするな……剣奏汰つるぎかなた!!」

「なんだって……!?」


 そしてそれと同時。混乱と驚愕に戸惑う二人の前に立つ時臣は、なんと二人をその場に残し、目にも止まらぬ加速で無条の闇めがけて飛翔したのだ。


「み、見逃してくれた……?」

「違う……! 時臣さんは〝無条を止めに行った〟んだ!! 俺たちも行くぞ、新九郎!!」 

「ひゃいっ!!」


 風雲急を告げる闇との対峙。


 無条の闇めがけて飛んだ時臣を追い、奏汰と新九郎もまた決死の思いを胸に仲間たちの元に走った――。


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