闇は去り


「らっしゃいらっしゃい! この冬から歌明星うたみょうじょうは心機一転、料理自慢の女将が腕によりをかけた煮付けが自慢の食事処になって再出発だ!! よってらっしゃっしゃい見てらっしゃい!!」


 巡る季節は葉月はづきから長月ながつきの終わりへ。

 道行く人々の吐く息はすっかりと白くなり、吹きすさぶ風に誰もが着物の襟口を締める。


 ついに迎えた冬の入り口。

 

 黄昏を迎えた板橋宿いたばししゅくの中程で、褐色肌の精悍せいかんな顔立ちの青年――芸妓宿げいぎやどから食事処へと転身した〝歌明星の若旦那となった風吉かぜきち〟が、声を張り上げて客引きに精を出していた。


「おう風吉! 客引きはもういいからよ、あねさんを手伝いに行ってやんな」

「あらら。あっしとしたことが、つい気合い入れ過ぎちまったみてぇで。すんません」

「いいってことよ。板橋の辻斬りが消えたと思ったら、お次にゃ姐さんの目まで良くなっちまって……今じゃこうして、お前と一緒になって幸せそうな姐さんを毎日のように見れるんだ。俺もお前には感謝しかねぇ」

伝八でんぱちさん、感謝するのはあっしの方っすよ。いつもありがとうございます」


 寒空の下。

 横にも縦にも大きな体を揺らして感謝を述べる伝八に、風吉は目を細めて頷いた。


「ここで芸妓として生きてきた女人衆も、みんな前より生き生きしてらあ……ほれ、お前もさっさと手伝ってきな」

「じゃ、ここは任せますんで」

「おう!」


 客引きから入店を待つ人々の案内へ。

 その巨体に似合わず暖かで細やかな気遣いを欠かさない伝八に深々と頭を下げると、風吉は軽い足取りで歌明星の暖簾のれんをくぐる。


「きたきた、やっと戻って来たよ。歌明星の若旦那がさ!」

「配膳はうちらで回ってるから、風吉さんは姐さんと一緒に台所を頼みますよ!」

「あいあい、言われなくてもわかってますって」


 暖簾の先には相変わらずの煙管きせるの雲。

 しかしそこに輝く行灯あんどんの明かりは以前よりも眩しく、白化粧しろげしょうを落として忙しく配膳に回る女人たちの表情は、皆生き生きとした充実感に満ちていた。


「おう風吉! 女将さんを泣かせたらこの俺がただじゃおかねぇぞ!」

「そうだそうだっ! 俺は明里のことを、七年も前からずっと想って……!」

「馬鹿かおめぇは!? いくら想おうが、七年も黙ってりゃ取られても仕方ねぇっちゅーもんよ!!」

「わかってますって。姐さんのことは、あっしが命がけで守りますよ。あっしももうずっと、そうするって決めてここにいたんでね」

「かーっ! 言うじゃねぇかこんちくしょう!」

「頑張れよ! 俺たちも応援してっからなぁ!!」


 変わらぬものと変わるもの。

 それらが同居した歌明星の店内を抜け、裏手の台所へと進む。


 そこでは煙管から出る煙とは違う、忙しない台所仕事による湿った白煙がカルマの鼻先をかすめた。

 そしてその先では、幾人かの女中と共にたすき掛け姿で料理を作る歌明星の女将――今や彼の妻となった明里あかさとの姿があった。


「あ……風吉さん?」

「手伝いますよ」

「ふふ、助かるわ。なら、こっちの大根を田楽でんがくにしてもらってもいいかしら?」

「お安い御用ってもんで」


 手際よく調理を進める明里の浅緑せんりょくの瞳に見つめられながら、風吉は自らも羽織を脱いで裾をまくると、それほど広いわけでもない調理場で明里と並んで包丁を握った。


「外……寒かったでしょう? 二階で休んで下さってもよかったのに」

「こっちの冷や水に比べりゃ全然よ。飯屋になって早々繁盛してるのは嬉しいけど、早めに人を増やさねーと」

「はい、私ももっとがんばりますね」


 互いに目はあわせず、しかし互いのぬくもりははっきりと感じながら、自然に二人の会話は弾む。


 失っていた光を取り戻し、長らく続いた芸妓の宿命からも解放された明里の命の輝きは、かつてに増して力強さを増していた。

 以前は美しくも儚げだったその横顔には、自らが選択した道を、自らの力で歩める喜びがありありと浮かんでいる。


 そしてそんな明里を見る風吉――カルマもまた、彼女の今とこの先の道行きを支え、共に歩む決意を固く心に決めていた――。


 ――荒川河川敷で行われた無条むじょうの分霊討伐。

 そしてそこから明らかになったこの世界の真実と、時臣ときおみの真の狙い。


 無条の闇がすでに数多の異世界を滅ぼし始めている以上、残された時は幾ばくもないだろう。

 時臣の動き次第では、今この瞬間にもすべてが終わりとなってもおかしくない状況だった。

 

「無条の闇に囚われている君の妹への力の供給は、今後は私を通して行いたまえ。また苦労して無条と繋がる必要がないように、あの闇の中に抜け道を構築してきたからね」

「ま、マジかよ……っ!? あんた……どうしてそこまで……っ!?」

「何をそう驚くことがあるんだい? 私は神……! それもただの神ではない……あまねく全ての神々の中で最も優秀で最も美しいと謳われた(自称)、クロム・デイズ・ワンシックスだよっ!? 今の君が私と奏汰かなたの敵ではないというのなら……いくらでも協力するというものさ」


 無条の闇をその目で把握したクロムの力によって、時臣から離反したカルマの唯一の懸念であったツムギの延命は維持された。


 そうしてなし崩しとは言え奏汰たちと歩むことになったカルマは、残された〝もう一つのけじめ〟をつけるべく、五年もの長きに渡って光を奪い、自らの力でその運命を大きく変えてしまった明里の想いを受け入れたのだ――。 

 

「貴方の戦いが今も続いていることは、私も承知しています……貴方の力に、私たちの行く末が委ねられているということも……」

「…………」


 かつてよりも遙かに近づいた距離。

 二人で手を取り合って家業に励みながら、明里は呟くように……しかしはっきりとした意思を込めて口を開いた。


「だから、私も貴方と一緒に戦います。私には剣を持つことはできないけれど……誰よりも大切な貴方の願いを果たすために、どこまでもお供いたします」

「ああ……俺ももう、お前を置いていったりしねぇ。ツムギも明里も……〝俺の家族〟は、俺の力で守らねーとな!」

「はい!」


 ――――――

 ――――

 ――


「――待たせたね。ようやく私の考えた推論にある程度の確証が持てた。君たちに手伝って貰ったおかげだよ」


 所は変わり、ここは奏汰と新九郎しんくろうの住む勇者屋の新家屋。

 なぜだか再び〝ちんちくりんのわらべ姿に戻ったクロム〟を前に、奏汰と新九郎は居住まいを正して畳間の上に座っていた。


「時臣さんを止めて、無条さんも止める……本当にそんな方法があるんですか?」

「失敬なっ! いい加減、君はいつになったら私の偉大さを理解するんだい!? 君も奏汰の伴侶になるつもりなら、そろそろ神である私に対する敬意を身につけて貰いたいものだよっ! ムキーーっ!!」

「はわわっ!? す、すみませんでしたーーっ!!」

「ま、まあそれはそれとして……具体的に、俺たちはどうすればいいんだ?」


 相も変わらぬ調子の新九郎とクロムのやりとりをなだめつつ、奏汰は自らの相棒である高位神にその真意を尋ねる。


「君たちにはなんとしても時臣を倒して貰いたい。残る無条の討伐は私が……というよりも、〝私たち神〟に任せたまえ」

「クロムが無条を……? 出来るのか?」

「それに〝私たち〟って、ここにいる神様はクロムさんお一人なんじゃ……?」


 先の新九郎と同様、奏汰はクロムの言葉に疑問を呈する。

 しかし今度のそれにクロムは憤慨を見せず、どこか寂しげな表情をそのわらべの顔に浮かべたのだ。


「なに……簡単な理屈だよ。時臣は勇者たちの力を犠牲にすることで無条を滅ぼそうとしている。その勇者たちが担う役目を、〝私たち神に変える〟……ただ、それだけのことさ」


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