神の幕引き


「勇者たちが担う役目を、〝私たち神に変える〟……ただ、それだけのことさ」


 無条むじょうの闇は神が引き受ける。


 そう奏汰かなた新九郎しんくろうの前で告げたクロムの表情は、とてもわらべのものとは思えない。どこまでも静謐せいひつな美しさに満ちていた。


「クロムさんが代わりにって……そんなことしたら、クロムさんはどうなるんですかっ!?」

「……本当に出来るのか?」

「まず先に奏汰の質問に答えるよ。結論から言えば、囚われた勇者たちと私を含めた神々の即時的な入れ替えは可能だ。なぜなら私と奏汰がそうであるように、勇者と神の力はどこにいても必ず繋がっているからね」


 時臣ときおみが千年をかけ、無条誅殺ちゅうさつのために集めた万を越える勇者たち。

 クロムはその勇者たちに代わり、彼を初めとした神が犠牲になる策を提示した。

 それを聞いた新九郎は思わず息を呑んで問い詰めるが、奏汰はクロムがそう言うであろうことを予測していたかのようだった。


「もちろん、可能とは言っても簡単ではない。いくら私でも、一人の力で数多の神々を無理矢理ここに引っ張り出すのはとても無理……だけど、それは〝ここ数日の間で事情が変わった〟。無条の闇が動き出し、他の異世界を次々と飲み込んだことで、これまでこの世界に存在していなかった〝神の力〟が現世に増加し始めているんだ」

「無条さんが動き出したせいで……? そ、それってつまり……」

「そう……〝自らが管理する異世界と一緒に無条に取り込まれ〟、砕かれた神の力さ。以前のように、この世界に神の力が存在しない状態ならこの策は使えなかった。けど今は違う……好都合なことに、今は無条の中にすら神の力が溢れている。これなら、私が呼び水となれば一気にこの世界に他の神々を集められるはずだ」


 強大な力をもつ奏汰とクロムの江戸への落下を機に、綻び始めた時臣の結界。そして、それと同時に動き始めた全てを飲み込む無条の闇。


 こうして現世にいれば、たとえ時臣が世の破滅を企てていようとも、今この時は平穏そのものに見えるだろう。


 だがしかし。


 一度現世の外側に視点を移せば、そこにはあまりにも凄惨な〝破滅的光景〟が広がっている。

 異世界そのものが丸ごと無条の闇に食い破られ、人も大地も……創造主である神すらもが跡形もなく消滅する。


 かつてエルミールが見た破滅の闇が、今この瞬間にも津波のように数多の異世界に押し寄せているのだ。


「そして次の答え……囚われた勇者たちと入れ替わり、無条を滅ぼすためにその力を使えば、当然だけど〝私たち神は死ぬ〟。綺麗さっぱり、なんの後腐れもなくね」

「…………」

「ちょ……! 待って下さいよっ!? みんなが助かっても、その代わりに他の神様が……というか、クロムさんが死んじゃうなんて!! そんなの……僕は絶対に嫌ですっ!!」


 ある意味予想通りの答えに、新九郎は即座に拒否の構えを見せる。

 しかし奏汰はじっと押し黙り、クロムは平然とした様子で新九郎を見つめた。


「ふむ……〝どうしてだい?〟」

「えっ!? ど、どうしてって……っ!」

徳乃とくの……君ももう良くわかっているはずだ。私がこの手で奏汰に背負わせた勇者という仕組みが、いかに独善的で、欺瞞ぎまんに満ちたものなのか……」

「それは……」


 クロムの声は、あまりにも静かだった。


 否……それは静かと言うよりも、自らの大罪をようやく償うことが出来ると知った咎人とがびとのような。どこか安らぎすら感じる言葉だった。


「今ここで起きていること。そして周囲の異世界で起きていること……その全ての原因は私たち神にある。私たちの浅はかな行いの前では、無条も、あの時臣という男にも……この世界で当事者として足掻いている者全て……〝誰にも罪はない〟。罪を犯したのは私たち……勇者という仕組みに胡座あぐらをかき、驕り高ぶった神にこそある」


 その純銀の瞳でまっすぐに前を向き。

 クロムはそう断言した。


「私はね……ずっと勇者という仕組みに公然と異を唱えていた。以前にも話したけど、私は〝全ての神の中で最も若い〟……私が生まれた頃にはすでに勇者は当たり前のように存在し、神々は誰も勇者を利用することに疑いを持っていなかった――」


 そこでクロムは、すでに彼の心情を理解する奏汰ではなく、奏汰が共に生きると決めた〝新九郎のため〟に自身の心情を語った。


 初めの頃は、強大な力を持つはずの神々が、遙かに力で劣る〝人間ごとき〟に救いを求めることが気に食わなかっただけだったこと。

 しかしやがてクロム自身も突如として現れた邪悪に追い詰められ、結局は奏汰という勇者を自身の力で生み出してしまったこと。


 そして友となった奏汰との触れ合いの中で、勇者という仕組みの愚かさと傲慢さに改めて気付き、奏汰と共に少しでも勇者を減らすための旅に出たことを――。


「だけど、そんなことをしても焼け石に水……私のやったことは、ただ奏汰を傷つけるだけだった。本当に、奏汰にはすまないことをしたと思っている」

「…………」

「でも今回は違う……これがうまくいけば、今度こそ私たちの手で〝勇者を終わらせられる〟。そのためなら、私は喜んでその礎になる覚悟だよ」

「でも……っ! クロムさんのお気持ちは僕にもわかりましたけど……やっぱり、そんなのって……っ!!」


 クロムの話を聞いた新九郎は、自らの胸元を押さえて悲痛な表情を浮かべる。

 あくまで一個の人である新九郎に、神であるクロムの価値観は到底計れるものではない。

 ましてや共に掛け替えのない日々を過ごし、今や大切な友人となったクロムを現世救済の犠牲にするなど、彼女にとっては到底受け入れられるものではなかった。


「奏汰さん……! 奏汰さんもそうですよねっ!? クロムさんが犠牲になって僕たちが助かるなんて……そんなのっ!」

「……だな。悪いけど、俺もクロムの考えには反対だ」

「奏汰までそんなことを言うのかい? こうしている間にも、時臣は無条もろとも全てを消し去るかもしれないんだ。この状況で、私の策以外の方法なんて――」


 縋るような新九郎の懇願に、それまでじっと黙っていた奏汰はようやくその重く閉ざされた口を開く。

 奏汰からも拒絶を受けたクロムはしかし、もはや猶予はないとばかりに固い決意の光を灯した眼光を奏汰へと向けた。だが――。


「もちろんそれはわかってる……三日だけ時間をくれないか? 三日後、クロムの案をみんなに説明する」


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