神の依る辺


「クロム!? お前クロムなのか!?」

「そうだよ馬鹿ーっ! 私がここでどれだけ心細かったと思ってるんだい!? それなのに、君ときたら私を探そうともしないで平然と馴染んでいるなんてぇぇえええ!! 鬼! 悪魔! 超勇者っ!!」


 街道沿いを歩く奏汰かなたたちの前に突然現れたのは、銀髪碧眼ぎんぱつへきがんに透き通るような白い肌を持つ、見目麗しいが妙にちんちくりんな少年だった。

 少年はその手に奏汰らしき人物の活躍が書かれた瓦版かわらばんを握りしめており、奏汰の姿を見るなりその胸に飛び込んで号泣した。


「おいおい、そんなに泣くんじゃねぇって。金平糖こんぺいとう食うか?」

「この子、奏汰さんのお知り合いですか?」

「う、うん……前に少しだけ話した、俺を異世界に飛ばした神様だ。けど、どうしてそんなに小さくなってるんだ!?」

「それについては私の方が聞きたいくらいさ!! いや……心当たりならいくつかあるんだけどね? たとえばこの世界が私の管轄じゃないからとか、何度試してもこの世界の神と交信できないとか、私の力もほとんど使えなくなってるとか! あーもうめちゃくちゃだよっ!!」


 この少年の名はクロム・デイズ・ワンシックス。

 奏汰に縋り付いてわんわんと泣くこの少年こそ、奏汰を勇者として異世界に召喚し、共に百の異世界を救う激戦を潜り抜けた異界の神だったのだ。


「ええ!? じゃあこの子って、本物の神様なんですか!? 拝んだら御利益とかある感じの!?」

「あるかばか者っ!! 不敬ふけいにもほどがあるぞッッ!!」

「はわっ! す、すみませんでしたーー!!」


 クロムはその絶世の美しさを誇る顔を泣きはらしたまま、彼を神と知って思わず拝もうとした新九郎しんくろうに、噛みつくようにして叫んだ。

 本来のクロムは奏汰より上背のある、大層立派で威厳ある姿をしていたのだが、今やその見た目は六、七歳のわらべそのものだった。


「なんでぇ、ケチくせぇ神様だぜ」

「うるさいうるさいうるさーい!! 祈るならこの世界の神に祈ればいいだろう!? ああ違う、その神が見つからないから困ってるんだった……くそ、どうして私がこんな目にあわなきゃいけないんだ!?」

「ちょっと落ち着けって。一人にしたことは謝るから、そっちで何があったのか俺に話してくれないか?」

「えぐえぐ……っ! わ、わかったよ――」


 奏汰になだめられたクロムはなんとか落ち着きを取り戻すと、少しずつこの三日の間に起きた出来事を話しはじめる。


 あの夜。

 奏汰と共に謎の力の干渉を受けたクロムは、為す術も無くこの地に落ちた。

 並の人間に負けるほどではないにせよ、神としての全能の殆どを失ったクロムは右も左もわからぬ江戸でごろつきに追われ、変態に追われ、犬に追われ、猫に追われ、あてもなく彷徨さまよっていたのだという。


「もちろん、私はすぐにこの世界の神に連絡を取ろうとした……全ての世界には、必ずその世界を管理する神がいる……だからこの世界の神に事情を話せば、この異常事態もすぐに解決すると思ったんだ。だけど――」


 しかしそうはならなかった。

 クロムが何度神との交信を試みたところで、返事はおろか、神の気配すら感じることができなかったのだ。


「どういうことだ? まさか……この世界には神様がいないのか?」

「決めつけるのは早計だけどね……けど今のところ、私の力の及ぶ範囲では、この世界で神の存在を確認することはできなかった。もしどこかに神がいたとしても、そいつは〝この世界の管理を放棄している〟のかもしれない」

「マジか……」

「????」


 にわかに深刻度を増す奏汰とクロムの会話。

 だが、すでに数多の異世界を渡り歩いてきた奏汰とは違い、隣で話を聞く新九郎と弥兵衛やへえは何がなにやらという様子だ。


「まあそんなこと今は〝どうでもいい〟んだよ! とにかく私は、大変な目にあいながらも生き延びたというわけさ!!」

「いやどうでもよくないだろ!? 絶対重要だろそれ!?」

「いーや、どうでもいいね! 全異世界で私の安否以上に重要なことなんてひとっつもない!! というわけで、これからはまた君が私をしっかり守ってだね――」


 奏汰との再会で安心したクロムも、段々と彼本来の〝尊大で偉そうで無遠慮でだから友達もいないんだと他の神々から指摘される〟ような態度を取り戻していく。

 そんなクロムに奏汰はやれやれと呆れながら、どこかほっとしたような笑みを浮かべた。そして――。


「――やっと追いつきました。クロムさんったら、いきなり走り出してどうしたのですか?」

「うえ……っ!?」


 そしてその時。

 街道沿いを行き来する人々の列から外れて話し込んでいた奏汰たちに、さらに別の声がかけられたのだ。


「あう、あうあう……!」

「とても心配したのですよ? もうすぐおやつの時間ですから、そろそろ戻りましょうね」

「あなたは?」


 奏汰たちが目を向けた先。

 そこには深い藍色の着物を着こなした、青く長い髪に青い瞳を持ち、簡素な丸めがねをかけた妙齢みょうれいの女性が立っていた。


「突然申し訳ありません。その子を探していたものですから……」

「この人……もしかして、〝月海院つきみいん〟のルナさんじゃ?」

「間違いねぇ。こいつは江戸一番の〝蘭学医〟、海渡うみわたりのルナだ。けどよ、なんだってそんな女がこのがきを探してんだぁ?」


 突然現れた、一目で渡来とわかる知的な女性――新九郎と弥兵衛がルナと呼ぶ女性はそのまま奏汰の前までやってくると、実に堂に入った所作で深々と頭を下げた。


「初めまして。私はルナ・トリスティアといいます。新橋近くの町屋街で月海院という診療所を営んでいます」

「俺は剣奏汰。クロムのことを知ってるんですか?」

「はい……この子が〝猫の群れ〟に襲われているところを、私が助けました。身寄りがないということでしたので。今は私がこの子の身元を引き受けているのです」

「身元を?」

「あうあう……ま、まあそんな感じ……」


 ルナは奏汰たちに柔らかい笑みを浮かべ、奏汰に縋ったまま赤面するクロムの頭をよしよしと撫でた。

 普段であれば、そのようなことすれば即座に不敬だのなんだのと払いのけるはずのクロムも、なぜかルナのそれには抗うことなく頬を染め、されるがままになっている。


「もしかして、貴方たちはクロムさんのお友達でしょうか? それなら、これからもクロムさんと仲良くして上げて下さいね」


 そう言って、ルナはまるで日だまりのように笑う。

 彼女から感じる全てを許すがごとき圧倒的包容力と暖かさに、奏汰もクロムも……それどころか新九郎と弥兵衛ですら何も言えず、ただ『あ、はい』と頷くのであった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る