江戸の再会


「それで、奉公先ほうこうさきのあてはあるのかよ?」

「それなら、昨夜神田屋の旦那さんがいつでも来いって仰ってました! 奏汰かなたさんなら大歓迎だって!」


 新橋の武家地からほど近く。

 同心屋敷での聞き取りを終えた奏汰と新九郎しんくろうは、元から小さな体をさらに前屈みとした三白眼さんぱくがん小兵こひょうの中年男――岡っ引き三人衆の一人、元盗っ人にして訳あり者の弥兵衛やへえと共に中山道なかせんどう沿いを歩いていた。


「神田屋だぁ~? やめとけやめとけ、飯屋仕えじゃいざってときに火元から離れられねぇ。せっかく鬼とやりあえるくらい強えってのに、宝の持ち腐れになっちまう」

「そっか……しかも神田屋は天ぷらだもんな」

「なるほどー! さっすが弥兵衛さんっ!」


 岡っ引きである弥兵衛が、このように二人に同行しているのにはわけがある。

 聞き取りの後、奏汰が江戸での職を求めていることを聞いた義幸よしゆきは、奏汰の江戸での仕事の元手にと〝奉加帳ほうかちょう〟と呼ばれる寄付金名簿を己の名を記した上で奏汰に与えた。


 文政ぶんせいの江戸において、新たな商いを始めようと志す者が、奉加帳を手に商売立ち上げの出資を募ることは至極一般的であった。

 いまだ立場の定まらぬ奏汰に、幕府の役人である義幸が直接給金を与えることは難しい。

 しかし人望ある同心の名が証人となった奉加帳を用いれば、江戸になじみのない奏汰でも、より穏便に元手を集められるであろうといういきな計らいであった。


「つっても、そんな紙束かみたばひとつじゃ心許こころもとねぇ。そこでこの弥兵衛様が一肌脱ぐよう、同心様から仰せつかったってわけよ」

「助かります。本当に、なにからなにまで……」

「かーっ! そう改まるんじゃねぇやい。こっちこそ、昨日はいきなりふん縛っちまって悪かった。あんときは気が立ってたもんでなぁ」


 弥兵衛はそのぎざぎざの乱杭歯らんぐいばを隠しもせずににかりと笑い、隣を歩く奏汰の背中をぱんぱんと何度も叩いた。


「せっかく木曽同心きそどうしんお墨付きの奉加帳なんてもんがあんだ。みみっちく奉公なんざつかなくても、てめぇで店を起こしちまえばいいんじゃねぇか?」

「たとえばどんな?」

「〝水売り〟なんてどうよ? ちょうど新坊しんぼうと二人で神田上水かんだじょうすいまわりに住んでんなら、水は汲み放題だろ?」

「水売り? そうか、江戸時代だとまだ水が売れるのか」


 弥兵衛の提案に、奏汰はなるほどど頷く。


「おうよ。おめぇの上背なら、くそ重い水を運ぶにも申し分ねぇ。奉加帳の集まり次第じゃ、船を買って川沿いに水を売り回ってもいいかもしれねぇな」

「それいいですね! 僕も一度で良いので、お船に乗ってどんぶらこしてみたかったんですっ!」

「たしかに、水まで売れるなら商売の方法はいくらでもあるよな……うん、なんだか楽しくなってきた!」


 肩を並べ、ああでもないこうでもないと商売のねたを話し合う三人。

 奏汰と新九郎が住む庵の改修問題も。

 当面の暮らしを安定させるための元手も。

 そして奏汰の江戸での商売も。

 奏汰の前途には無数の問題が山積していたが、それはどれも戦いとは関係のない、日々の生活をよりよくするためのごく当たり前の苦労――。

 人里に暮らす者ならば誰しもが抱える難題の数々は、異世界で戦い通しだった奏汰の心に活力となって染み渡り、年相応の人間性を蘇らせる原動力にもなろうとしていた。


「もし僕のように用心棒をされるなら、神田上水を越えた先にある板橋宿いたばししゅくもいいかもしれません! なんといってもあそこには、血の気の多い人たちがうようよといますからねぇ……!!」

「なーにが用心棒だ、また調子の良いこと言いやがって。おめぇがやってるのは、せいぜい酔っぱらい同士の喧嘩の仲裁だろうに」

「ぎくっ!」


 弾む話の最中。得意となって口にした新九郎の話を、弥兵衛はすぐさま鼻で笑い飛ばした。


「喧嘩の仲裁は駄目なの?」

「駄目ってわけじゃねぇが、そんなもんは用心棒の仕事じゃねぇよ。だいたい、まじもんの刀騒ぎや裏交渉に、誰がこんなきゅうり侍を連れてけるかってんだ」


 元盗っ人である弥兵衛は、今も江戸の裏事情に精通している。

 当然、用心棒のような危険な仕事は彼の目と耳の最も得意とする界隈。

 新九郎が普段どのような活躍をしているかも、弥兵衛の耳にはしっかりと届いていたらしい。

 

「そんなもんだからよ、こいつはいっつも金欠で同心様に助けてください~って……」

「ひゃわーー!! ちょ……そ、それ以上はだめですよ弥兵衛さん! 僕が奏汰さんの前で必死に築き上げてきた、華麗な天才美少年剣士という〝粋でいなせな姿〟が露と消えちゃいますーーっ!!」

「ど……どうだろうな。今もあんまり、俺は新九郎のことをそういう風には思ってないというか……どっちかっていうと、猫とかレッサーパンダとかそういう……」


 弥兵衛によるまさかの暴露にうろたえる新九郎。

 実際のところ、新九郎が日の本屈指の剣の使い手であることを知る者はほとんどいない。

 新九郎が天道回神流てんどうかいしんりゅうの剣を人前でそうそう使わないということもあり、昨晩戦った影鬼衆えいきしゅうですら、新九郎を口だけの青二才と侮っていたほどである。

 

「まあつまりよ。おめぇと同じで、こっちのきゅうり侍もろくに仕事なんざしてねぇのさ。この際、二人で水売りもいいかもな。かっかっか!」

「二人でか……それもいいかもな。新九郎はどう思う?」

「え!? そ、そうですね……正直に言うと、なんだか考えるだけでとっても楽しそうというか……!! むしろ望むところ――」

瓦版かわらばん~~! 瓦版だよぉ~~!』


 だがその時である。

 街道沿いに歩く三人の耳に、威勢の良い〝読売よみうり:瓦版売り〟のかけ声が響いた。


『さあさあ、これなるは今より二晩前の鬼騒動。神田町に現れたる雲霞の如き鬼の群れを、見るに勇ましき紅着物のかぶき者が撃退せしめたるときた! その者の上背、塀よりも高き七尺七寸約2m30cm! 花火のごとし火の玉を手に、次々と鬼の頭蓋ずがいを砕き――!』


 編笠あみがさによって顔を隠した読売が、朗々高々ろうろうたかだかと瓦版に記された内容を読み上げる。

 読売は足を止めずに次々と瓦版を人々に売りさばいては、風のように三人の前を過ぎ去っていった。


「今の話に出てたかぶき者って……もしかして奏汰さんのことじゃありませんか!?」

「そうなの?」

「一昨日の襲撃にゃ、お上の検分が入ってたからな。二晩経って、ようやく読売に瓦版の許しがでたんだろうぜ」


 一時唖然とした後。新九郎はどこぞの誰かが投げ捨てた瓦版にひょいと手を伸ばした。しかし――。


「――み、見つけた。ようやく見つけたよ!!」

「え?」

「あれ?」


 読売が去って行った方向の逆。

 ちょうど奏汰たちの背後から、幼い〝わらべの声〟が聞こえてきたのだ。


「えぐ、えぐえぐ……っ! うわあああああああん! 奏汰ああああああああっ! 会いたかったよおおおおおおおおっ!!」

「だ、誰だよ!? いや……もしかしてお前、クロムか!?」


 その声に振り向いた先。


 奏汰たちがその声の主をみとめるよりも早く、銀髪碧眼ぎんぱつへきがんにちんちくりんな〝四つ身の着物〟を着た幼い少年が、奏汰の胸に泣きながら飛び込んできたのであった――。


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