江戸城へ


「えっさ。ほいさ」

「えっさ。ほいさ」


 神田から日本橋へと続く広々とした街道を、なんの変哲もない二つの駕籠かごが進む。

 駕籠の左右側面にはすだれが下ろされており、中に乗る者の姿は見えないようになっている。


「これが駕籠か……初めて乗ったけど、やっぱり結構揺れるな……」


 今、その駕籠の中に乗るのは着流し袴姿となった奏汰かなただ。

 後方に続くもう一つの駕籠には、普段と変わらず男装に身を包んだ新九郎しんくろうが乗っている。

 

 すでに登城から謁見までの手配は、緋華ひばなを経由して完了している。

 新九郎の素性を厳重に隠すため、いおりを出た二人はまず一度北にある護国寺ごこくじへ。

 そこで幕府が用意した駕籠に乗り、隅田川すみだがわ方面にぐるりと迂回して再び駕籠を乗り換え、浅草から日本橋、そして江戸城という道のりを辿っていた。



〝上様に会って……それで吉乃よしのをどうするつもり? 吉乃の背負っている重荷を、あなたはどうするつもりなの?〟



「…………」


 日本橋を越え、もはや江戸城は目と鼻の先。

 小気味よく揺れる駕籠の中で、奏汰は先に緋華から突きつけられた問いを何度となく思い出していた。


(俺は新九郎が好きだ……でも緋華さんの言うとおり、好きって伝えて……それでどうするんだ?)


 奏汰はそう自問し、しかしすぐさま駕籠の中でぶんぶんと首を振る。


(違うだろ……俺はこれからもずっと新九郎と一緒にいたいんだ。それも、俺が新九郎の一番じゃないと嫌だって思ってる……)


 緋華が話した、姫としての新九郎に待ち受ける運命。

 奏汰とて、江戸の世の姫に現代社会のような自由な恋愛が許されなかったことは知っている。

 

 姫とは家の宝であり、同時に強力な武器でもある。

 子を産み育て、遠く離れた家系を繋げる橋渡しとなるのが姫の役目。


 しかもどうやら新九郎は、その姫の中にあっても別格の存在らしい。

 日の本中の名家から婚姻こんいんを求められ、縁談の伺いは数知れず。


 奏汰は知らぬ事だが、大名家に連なる男衆の間では、〝吉乃姫のお姿を見たことがある〟というだけで、酒の席の話題を一晩独占できるほどの人気振りなのだ。


(無理だ……新九郎が他の男のところに行くなんて、俺には〝絶対に耐えられない〟。でも俺はこの世界ではよそ者で、お姫様と釣り合うようなものなんて一つもない……俺が新九郎に好きだって伝えて、それで新九郎に嫌われるのもきついけど……もし〝そうじゃなかったら〟、……きっと色んな人に迷惑がかかったりするんだろうな……)


 渦巻く不安の中心。

 それは嫉妬と独占欲だ。

 

 江戸に落ちて今日までの二ヶ月と少し。

 自分の傍を片時も離れずに支え、日向ひなたのような笑みで励まし続けてくれた少女を、他人に奪われたくないという強烈な我欲。


 これからもずっと自分の隣にいて欲しいという、ささやかながらも決して譲れぬ願いだった。


 もし奏汰が己の力を新九郎を手に入れるためだけに使えば、それは容易に可能だっただろう。

 しかし奏汰はそれをしないからこその超勇者であり、新九郎もまた、無自覚のままに奏汰がそんな男ではないと知っているから傍にいるのだ。


(新九郎は、俺のことどう思ってるんだろう……)


 それはとても百の異世界を救った勇者とは思えない、十七才の少年としても十分に初心うぶであろう苦悩。

 

 しかしそれも無理なきこと。

 

 異世界人であること。

 根無し草であること。

 江戸の世の仕組みを全く知らぬこと。


 勇者としての日々ではむしろ〝都合が良かった〟それらの境遇が、いざ新九郎への想いを自覚し、この地に根を張ろうと考えた途端に〝重い足かせ〟に変わったのだから。


(それでも……やっぱり、俺が新九郎を好きだってことは伝えた方がいい……緋華さんの言うとおり、俺も覚悟を決めなきゃ駄目だ)


 第三者的目から見れば、奏汰に好意を伝えられた新九郎が、驚きはしても迷惑だなどと思うはずがないのは一目瞭然だろう。


 元より、勝手に城を抜け出して剣客けんかくの真似事をする新九郎である。

 幕府が奏汰との仲を許さぬとなれば、姫の身分などあっさり捨てて大陸へ……どころか、次元すら越えて奏汰の生まれた現代世界に〝どや顔で〟ついてくる可能性すら大いにあった。


 しかし、恋の当事者である奏汰にそれはわからない。


 故郷から離れたこの地において、奏汰は初めて恋を自覚した。

 奏汰は胸で荒れ狂う新九郎への想いを必死になだめ、狭く薄暗い駕籠の中で、踏み出す勇気を奮い立たせようとしていたのだった――。


 ――――――

 ――――

 ――


「着きました……念のため人払いはしておりますが、くれぐれも人目にはお気を付け下さいませ。〝徳乃とくの様〟、つるぎ様」

「わかってますって!」

「ここまで運んでくれて、ありがとうございました」


 総じて見れば、一刻二時間ほどの駕籠の旅。

 板橋から駕籠に揺られ、ぐるりと江戸北町を回った奏汰と新九郎は江戸城東の〝平川門ひらかわもん〟から城の敷地内へ。

 そのまま大奥御殿おおおくごてんの外れに設けられた離れ近くまで進み、厳重に人払いが成された耳目じもくの影となる位置で駕籠から下ろされた。


「すごいな……ここが江戸城か……」

「僕も戻ってくるのは久しぶりです。当たり前ですけど、なんにも変わってませんね……」


 手入れの行き届いた城内には粒揃いの砂利粒じゃりつぶが敷かれ、視線を上に向ければ、江戸城の四方を見張る高見櫓たかみやぐらがそびえ立つ。

 大層立派な杉や松の木からはせみの鳴き声がひっきりなしに響き渡り、奏汰と新九郎の頭上に涼やかな木陰を広げていた。


「やあやあやあ、ごきげんようお客人! 遠路はるばる、ようこそいらっしゃった! 神田なんて目と鼻の先に住んでいるのに、わざわざ遠回りさせてしまって申し訳なかったね」

「あなたは?」

上代かみしろさんっ! お久しぶりですっ!」


 やってきた二人をまず出迎えたのは、夏だというのにおごそかな装束しょうぞくを重ね着し、きりの眼鏡をかけた優男――幕府三大奉行筆頭、寺社奉行じしゃぶぎょう上代夕弦かみしろゆうげんだった。


「おやおや? そちらのお美しい方は〝私のことをご存じ〟なんですか? 私と貴方様はお互いに〝さっぱり知らずの初顔合わせ〟……の方が、お互い好都合なのでは? ねぇ、徳乃様?」

「はわっ! そ、そうでした……」

「にゃっははは! もとより、城内の者に気取られぬために〝そのような格好〟でお戻りになられたのでしょう? 今はそういうことで押し通しましょう、そうしましょう! ささ、どうぞこちらへっ!」

  

 夕弦はそう言うと、手に持った扇子をぴしゃりと閉じて奏汰と新九郎に道を示す。

 大奥の屋敷を左手に、三人は人気のない木々の間をゆっくりと進んだ。


「ところで、つるぎ様はそちらの君で間違いありませんか?」

「はい。俺が剣奏汰つるぎかなたです」

「なるほどなるほど……噂にたがわぬ益荒男ますらおっぷり。長谷部はせべ様が一目で気に入ったのも、よーくわかるってもんです」


 さほど距離があるわけでもない離れへの道。

 夕弦は歩きながら奏汰へと視線を向けると、閉じた扇子を眉の上に当て、値踏みするようにまじまじと見つめた。


「それで、俺になにか?」

「にゅふふ……そう固くなりなさいますな。私はちゃーんと君にも感謝しているんですよ。なんと言ってもあの山王祭さんのうまつり……もし君が〝顕現けんげんした真皇しんおうを打ち破っていなければ〟……江戸なんて滅亡間違い無しの地獄絵図……だったでしょう? そうでしょー?」

「っ!?」

「え……!?」


 瞬間。奏汰は夕弦の言葉に即座に反応し、新九郎もまた一拍遅れて〝その意味〟に気付く。


 しかし当の夕弦はそれ以上はなにも言わず、意味深に瞳を細めるのみ。

 目指す離れもちょうど目の前となり、夕弦との会話は打ち切りとなる。


「さあさあ! どうぞお入り下さいませ。目当てのお方は、この中で首をながーくしてお待ちです。わかっているとは思いますが、くれぐれもご無礼のないように!」


 あっけに取られる二人の眼前。

 夕弦は再び開いた扇子で口元を隠すと、まるで舞いでも舞うかのような優雅な所作で、奏汰と新九郎に離れへの入室を促した――。

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