日陰者の将軍


「入りますっ!」

「……おう……」


 江戸城奥の小さな離れ。


 寺社奉行じしゃぶぎょうである上代夕弦かみしろゆうげんの案内によって通された先で二人を待っていたのは、板張りの壁に背をもたれ、畳の上に片膝をついて座る、まげも結わっていない着流し姿の男だった。


「父上っ! 吉乃よしの、ただいま戻りましたっ!!」

「元気そうだな……」

「はいっ! 吉乃は今日も元気ですっ!!」

(この人が、新九郎しんくろうのお父さん……)


 そう。目の前で気怠げに座るこの青年こそ、新九郎の父にして全ての武士もののふ頭領とうりょう――徳川家晴とくがわいえはる


 離れに入り、戸締まりをした上ではつらつと挨拶を始めた新九郎に、家晴はぼんやりとした瞳を向けて応じる。

 そしてのそのそと壁際から離れると、四つん這いとなって部屋の隅に積まれた木箱や包みをいくつか手に取り、新九郎と奏汰かなたの前にひょいと置いた。


「……?」

「父上、これはなんですか?」

「〝餅と団子〟……それと……なんだったか。まあ……どれも吉乃の好物のはずだ……好きに食え」

「わぁ……! ありがとうございます、父上!!」


 まだ互いの挨拶すら満足に終わらぬこの状況。

 奏汰は完全に第一声を発する機を逸して困惑していたが、家晴から渡された木箱を新九郎が手に取るのを見ると、意を決して頭を下げた。


「初めまして、将軍様。剣奏汰つるぎかなたと言います。しんくろ……吉乃さんとは、神田町で勇者屋という店を一緒、に……」

「…………」

「…………」


 沈黙。


 覚悟を決めて口を開いた奏汰を待っていたのは、針のむしろもかくやという、あまりにも痛すぎる家晴からの鋭い眼差しと沈黙だった。

 

 無数の異世界を渡り歩き、平時であればたとえ相手が神であろうと物怖じしない奏汰だが、今のこの状況は、これまで彼が体験したいかなる戦場や拝謁の場とも異なっていた。


「ひゃー! このおまんじゅうって、もしかして日本橋の〝江戸極屋えどきわみや〟さんのですかっ!? 一度食べてみたかったんですっ!!」


 しかしそんな二人をよそに、奏汰の隣では新九郎がいそいそと木箱の紐を解き、現れた極上の菓子類に感嘆の声を上げている。

 だが当然ながら、今の奏汰に新九郎の喜びの声はまったく届いていない。


「…………」

「う……っ」


 やはり、自分の作法がまずかったのか?

 それとも、緋華ひばなと同じく愛娘まなむすめに近づく男として敵視されているのか?

 もしや緋華の言葉通り、怒りに燃えて斬りかかってくるのでは?


(……き、気まずすぎる。好きな子のお父さんに挨拶するのって、こんなにエグいのか……!?)

 

 押し寄せる様々な不安。

 それも全ては、奏汰が新九郎への恋心を自覚したがゆえ。


 少しでも新九郎の父である家晴に良い印象を与えたい。

 二人の仲を認めて貰いたいという我欲が、奏汰に緊張を強いている。


 これがもしただの友人としての挨拶であれば、奏汰がこのような有り様となることもなかっただろう。


「……知ってる」

「え?」

「お前のことは緋華から聞いてる……吉乃と暮らしてるらしいな……?」


 永遠にも感じられた沈黙の先。

 ぽつりと呟いた家晴は、ただでさえ鋭い眼光をさらに尖らせて奏汰に向けた。


「そうなんです父上っ! 奏汰さんは、僕が鬼にやられそうになっているところを助けてくれたんです。それからはずっと、神田上水かんだじょうすい横の僕の家で寝食を共にしておりましてっ!」

「ほう……二人で寝てるのか……?」

「はいっ!!」

「ちょっ!? え、えーっと……寝てるっていっても、別に同じ布団で寝てるわけじゃなくて……けど吉乃さんには、本当にお世話になってて……」


 果たして、それは大好きな父への信頼か。

 それともいつもの無自覚か。

 満面の笑みで奏汰との同棲を認める新九郎と、びっしょりと冷や汗をかいて俯く奏汰。


 対極の反応を見せる二人をしばらくじっと見つめると、やがて家晴は新九郎が開いた木箱からまんじゅうを一つ手に取り、自分の口にひょいと放り込んだ。


「もぐ……もぐ……どうした、お前も食え……」

「えっ? あ、はい……」


 困惑。


 それまでの張り詰めた空気から一変。

 突如として家晴自身の手で差し出された白いまんじゅうを、奏汰は目を丸くしておずおずと受け取る。


「じゃあ僕もっ。いただきまーすっ!」

「おう……あとはお前らで食っていいぞ……」

「あ、ありがとうございます……」

 

 鋭く睨み付けたかと思えば、次の瞬間には何事もなかったかのようにまんじゅうを勧めてくる。

 家晴が持つ独特の雰囲気と対話の調子は、奏汰を大いに困惑させた。


二月ふたつきか……」

「え?」

「吉乃がお前と暮らして、もう二月になるんだろう……? だが、俺のところに帰ってきた吉乃は何も変わってねぇ……それどころか、前よりも〝いい顔で笑う〟ようになった……」


 満面の笑みでまんじゅうを頬張る新九郎を見つめ、家晴はふっと表情を緩める。


「おい、吉乃……」

「はむはむ……なんでしょう、父上?」

「お前、こいつと暮らしてみてどうだ……? 楽しいか……? 幸せか……?」

「はい! それまでも僕はずっと楽しかったですけど……奏汰さんと出会ってからは、もっともっと楽しくなりましたっ! 吉乃は、とっても幸せですっ!!」

「新九郎……っ」

「ふっ……そうか……」


 家晴の言葉に、新九郎は一切の淀みなくそう答えた。

 新九郎のあまりにも素直な答えに、隣に座る奏汰は息苦しさを覚えるほどの喜びと嬉しさを覚え、家晴は柔らかく微笑む。


「なら、〝それでいい〟……お前ら二人は、そのままでいろ」

「そのままでって……」

「そのままはそのままだ……俺は吉乃が幸せなら、それでいい……」

「ち、父上……っ!」


 奏汰は、それまで張り詰めていた空気がほどけるのを感じた。

 それとも、それは奏汰自身の緊張が弛緩しかんしたゆえだっただろうか。


 父の言葉に大喜びする新九郎と、言葉少なに彼女の幸せを願う家晴。

 その二人の姿は、姫や将軍といった肩書きなど関係のない、互いを想い合う親子の姿そのものだった。


(そっか……そうだよな。将軍様って言っても、やっぱりお父さんはお父さんなんだ……)


 そしてここまでのやりとりで、奏汰はなぜ家晴が江戸の町で〝日陰者の将軍〟と呼ばれていたのかを察する。

 

 家晴自身は全く表舞台に立たず、実務政務は完全に家臣団任せ。

 民への言葉も紋切り型の内容ばかりで、家晴個人の考えや思想というものが感じられることは一切ない。


 奏汰がここで直に触れた家晴の人物像は、たしかに江戸の人々から聞く将軍の振る舞いと一致するものだった。


「で……用はこれで終わりか? お前らの仲のことなら、俺はとうに〝認めてた〟んだがな……」

「い、いえっ! 父上へのお話しは、また別にありまして……」

「なんだ……?」

「母上のことです……! どうか、父上も心してお聞き下さいっ!!」


 そう切り出した新九郎は、ありのままを家晴に伝えた。


 奏汰と出会い、共に鬼退治を始めるようになったこと。

 その過程で異世界や勇者のことを知り、刃を交えたこと。

 そしてその戦いの最中に母の声が聞こえたことと、母がまだ生きて、深い闇の中に囚われている可能性のことを――。

 

「生きてる、だと……? あいつが、まだ生きてるかもしれないのか……?」

「そうです父上……! もしそうなら、僕はどんなことをしても母上をお助けしたいと思っていますっ!! だからお願いします……母上のことを、母上について僕がまだ知らないことを、全部教えて欲しいんですっ!!」


 新九郎の語ったそれらの事実を家晴は驚愕とともに受け止め、その顔に深い後悔と寂しさ……そして一縷いちるの喜びをありありと映し出した。そして――。


「あれは、俺がまだ〝十四の頃〟だ……江戸で鬼を狩っていた俺は、空から落ちてきたあいつと……〝エリスセナ〟と出会った……あいつは俺に、〝自分はみんなを守る日向ひなたの勇者だ〟と……心底ふざけたどや顔で言いやがったんだ……」



 

 

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