日向と日陰


「よーしっ! なんだかぜんぜん〝僕の生まれ故郷じゃなさそう〟なとこに来ちゃったけど、まずは困ってる人を助けなきゃだね! そっちの君も、化け物の相手は僕に任せて早く逃げてっ!」

「俺に、逃げろだと……!?」


 それは、新九郎しんくろうが生まれる三年前――。


 皐月さつきの星空が照らす江戸の一角で、群れなす鬼に囲まれた当時十四だった家晴いえはる――徳乃新太郎とくのしんたろうと名乗っていた、一人の少年の目の前で起きたこと。


「僕の名前はエリスセナ・カリス! これでも三つの世界を救った〝日向ひなたの勇者〟なんだ! どやっ!」

「知るか……ッ! 俺の邪魔をするなら、てめぇも鬼もまとめて叩き斬る……!!」

「なにそれこわい!?」


 それが二人の出会い。

 互いの第一印象は最悪だった。


 一目で異国人とわかる浅緑せんりょくの髪を短くまとめ、髪と同色の丸く大きな瞳をきらきらと輝かせる勇者の少女――エリスセナと、とても少年とは思えぬ凶暴な殺気をまとい、手負いの狼のように寄る者全てに牙を剥く家晴。


 それはまるで水と油。

 二人の持つ精神性は、日向ひなた日陰ひかげのようにくっきりと分かれていた。


「へぇー! ここが君のお家かー。それにしても、よくこんなに汚くて狭い場所で寝れるねっ! 僕がお掃除してあげよっか?」

「うるせぇ……! さっきからなんなんだてめぇは……!? 俺についてくるんじゃねぇ!!」

「ぴええっ! そんな冷たいこと言わないでよぉ~~っ! まだこの世界に来たばっかりで、君しか頼れる人がいないんだよ~~っ! それに、こんなに可愛い僕が一人で野宿なんてしてたら、何があるかわからないじゃないかっ!!」

「知るか……! とっとと出てけ!!」

「うわーーんっ! ひどいひどいー! 鬼ー! 悪魔ーっ! 新太郎のかたつむりっ!!」

「この女……っ!!」


 当時、家晴は荒れに荒れていた。


 父である先代将軍は自ら実務をこなす精力的な統治者であり、その政策の良し悪しはともかく、臣と民からの信頼はあつかった。


 しかし政務に多忙を極めた父は後継者の育成にはさほど興味を示さず、その生涯でもうけた実子はわずか三人。

 特に男子で無事元服ぜんぷくを果たしたのは家晴のみ。

 その上、家晴は生来人と関わることや、施政者として定められた無数の決まり事を守ることが不得手だった。


 だがその一方で、家晴には〝絶人的な凶暴性と剣才〟が備わっていた。


 幼少期から数多の剣術指南役を散々に打ち倒し、時折現れる鬼など歯牙にもかけず、笑みすら浮かべて容赦なく切り刻む。

 家晴が持つその苛烈な凶暴性と剣才は、一端の剣士としては喜ぶべき物であったかもしれない。

 しかし次期将軍としては、とても賞賛されるものではなかった。


 古今東西、血と武に溺れた施政者が治める国の末路は無惨なもの。

 城中では家晴の廃嫡論はいちゃくろんまで吹き出し、幼くして城に居場所がなくなった家晴は、世を忍ぶ仮の姿で鬼を狩る日々を送っていたのだ。


「なるほどー。ここでは〝ゴブリン〟や〝ゴーレム〟のことを鬼って呼んでるんだね。でも不思議……僕が今まで戦ってきた世界なら、真っ先にその世界の神様が〝こんにちはー〟って挨拶しにきてくれたのに……」

「関係ねぇ……! 鬼も悪党も、一匹残らず俺が斬る……そうすりゃ、日の本で泣く奴だっていなくなるだろうが……!」

「そっかー……やっぱり新太郎って優しいんだね。結局、僕のこともお家に入れてくれたしさっ!」

「ち……ッ! 今だけだ……夏が終われば今度こそ追い出す……!!」

「あはは! そんなこと言って、もし僕が本当にいなくなったら寂しくて泣いちゃうくせに~!」

「て、てめぇ……!!」 


 なぜこうなったのか。

 どうしてそうなったのか。

 その理由を言葉にすることは、今の家晴にも難しい。


「どいて新太郎! その鬼は前に別の世界で戦ったことがある! 新太郎じゃきっとぼっこぼこにされちゃうから、ここは僕がやるっ!」

「ざっけんな……ッ! こいつは俺の獲物だ! てめぇはすっこんでろ!!」

「僕がっ!!」

「俺だッ!!」


 こんなことは今だけだと。

 家に入れたのも、ただの気まぐれだと。

 こんなわけのわからない〝どや女〟など、いない方が清々すると――。

 

 しかしそう思っていたはずの二人の暮らしはやがて一月、二月、三月……半年、一年と、どこまでも長く延びていった。


「おいお前……まさか、俺の顔を忘れたわけじゃねぇだろうな……?」

「お、お前は……!? いや……〝貴方様〟はっ!? なぜここに!?」

「そのとーり! 泣く子も黙る〝鬼斬りの若様〟と、その相棒で〝江戸一番の美少女勇者〟の僕っ! 僕たちに見つかったからには、君たちの悪行もこれまで! 大人しく諦めなさーいっ!」

「お、おのれ……! 上様であればまだしも、〝出来損ないの世継ぎ〟の顔など見忘れたわ! くせ者じゃ、出会え出会えーー!!」


 共に背を預け合い、凶悪な鬼を斬り、民草を苦しめる悪党を成敗する。

 たとえ一人が二人になろうが、殺伐とした日々が変わることはない。

 そう思っていた。


「なあ、エリス……」

「んー? なになに?」

「どうしてお前はいつもにこにこと……何が楽しくてそんなに笑ってられるんだ……? ここはお前の帰りたがってる故郷じゃねぇ……お前が楽しいことなんざ、ここには一つもねぇだろうに……」

「……楽しいことならいっぱいあるよ。だって、ここには新太郎がいるもん……新太郎だって、僕と一緒にいられて嬉しいでしょ?」

「お前……」


 エリスセナは、本当によく笑う少女だった。

 家晴の人生において、これほどまでに楽しそうに生きる人間を見るのはエリスセナが初めてだった。


 その笑みはまさしく陽光そのもの。

 美しく凜と輝く浅緑の瞳には、一切の迷いも陰りもない。


 ただ前だけを。


 ただ未来だけを見据えているかのような彼女の姿と言葉に、家晴は次第に惹かれ、癒やされていった。


「おう、お二人さんっ! 今日も仲が良いねぇ!」

「まったくだね! 祝言には必ず呼んでおくれよ!」

「あはは! その時は絶対呼ぶからねっ!」

「まだそんなつもりはねぇ……」

「えへへ……じゃあいつにするの?」

「そんときは、俺から言う……」


 気付けば、家晴は笑うことが増えていた。


 常に抜き身の刃のようだった家晴の威圧はすっかりなりを潜め、町を歩けば大勢の人々が二人に笑みを向けた。


 もはや慰みに鬼を斬り、剣と血に塗れていた家晴は彼方に過ぎ去った。

 日向のように輝くエリスセナの明るさと暖かさが、家晴の荒んだ心を埋め、包んでいた。


「わかった……十三代将軍の大役、俺が引き受ける」


 父である先代将軍が突然亡くなり、〝後継は必ず家晴に〟という遺言を伝えられた際も、すでに家晴は、父が残してくれた思いを正面から受け止められるようになっていた。


「エリス……俺と夫婦めおとになってくれ……人付き合いもまともに出来ねぇ俺だ……これからもお前には苦労をかけるだろうが……それでも俺には、お前しかいない……」

「はいっ、喜んでっ! これでやっと一緒になれるね、新太郎っ!」


 将軍となった家晴は、側室を〝一人も作らなかった〟。

 彼が伴侶としたのはエリスセナただ一人。


 出来損ないの世継ぎと揶揄され、諸藩からの評判も悪く、さらには見るからに渡来人であるエリスセナだけを寵愛ちょうあいする家晴に、当初多くの幕臣は不安を抱いた。


 しかし家晴が将軍となった直後に起きた〝江戸城への鬼の大襲撃〟を、家晴とエリスセナがほぼ二人の力のみで撃退したことをきっかけに、それらの声はぴたりと止んだ。


 家晴自身の後継問題も、早々に次期将軍は〝徳川御三家家中より実績ある者〟から選任すると定められたことで、ひとまず事なきを得たのである。そして――。


「んみゃー! んみゃー!」

「ひえー! やっと産まれたー! 見て見て新太郎、あなたと僕の赤ちゃんだよっ! すごく大変だったけど、僕でも立派に産めたよー! かわいいー!」

「ああ……ありがとうエリス……本当に、よくやってくれた……」

 

 日向の勇者と日陰の将軍。

 本来ならば、およそ出会うはずもない二人の間に産まれた新たな命。


 それこそが、後に徳乃新九郎とくのしんくろうと名乗る家晴の一人娘。

 乙女椿おとめつばき吉乃姫よしのひめであった――。

 

 

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