動き出す絆


「勇者だ、吉乃よしの……お前の母親、エリスセナは……そこにいるつるぎと同じ、異世界から来た勇者だ」

「母上が……奏汰かなたさんと同じ勇者……」

「やっぱり、新九郎しんくろうのお母さんも……」


 江戸城奥の小さな離れ。

 外から聞こえるせみの鳴き声は遠く、狭い室内にただ家晴いえはるの言葉だけが響く。

 

 奏汰たちが考えていたとおり、やはり新九郎の母であるエリスセナは、異世界からこの世界に迷い込んだ勇者だったのだ。


「吉乃が城下でお前に助けられたこと……そしてそのまま二人で暮らすようになったことも、俺はすべて緋華ひばなから聞いていた……まったく、どこまでも俺たちに似やがって……」

「父上……」


 家晴は呟き、気怠げな笑みを浮かべて新九郎をじっと見つめた。


「俺が吉乃を城下で好きにさせたのも……同じ事をしていた俺に止める理由なんざなかったからだ……まさか、そこで勇者の男と知り合ってくるところまで同じとは、さすがに思ってなかったがな……」


 言って、家晴は二人に幕府の内情を続けて聞かせた。


 すでに幕府の上流では、寺社奉行じしゃぶぎょうである神代夕弦かみしろゆうげんを中心として、〝鬼を操る勇者たち〟の存在を認知していたこと。

 しかし人が鬼の元凶と民が知れば、それは日の本内の不和と不信を招くとされ、幕府でも秘中の秘とされていること。

 

 そして今の幕府においては、天道回神流てんどうかいしんりゅうの正当伝承者である家晴と、平安の世から伝わる神術と叡智の担い手である夕弦のみが異世界人への対抗の要であること。


 かつて〝幕府側の最強戦力〟だった日向ひなたの勇者エリスセナを失った現在では、現世の崩壊を目論む勇者たちに対して、満足に対抗することができていないということを――。


「俺は結局……エリスに会ってから今まで、ずっとあいつに支えられっぱなしだった……剣鬼けんきだなんだと粋がってはいたが、勇者とかいうとんでもねぇ力があるあいつに比べれば……俺の強さなんざ、たかが知れていた……」

「っ……」

「将軍様……」

「強さだけじゃねぇ……あいつはいつだって、俺のことを先にして……あいつは俺の前で、一度しか〝故郷に帰りたい〟と言わなかった……俺は、あいつが〝いなくなった後で〟それに気付くような大馬鹿野郎だ……」


 家晴の瞳に、底すら見えぬ後悔の色が浮かぶ。

 そしてその父の姿を見た新九郎は、膝の上に乗せた拳をぎゅっと握りしめた。


 たった今家晴が発した言葉の中には、まさに今の新九郎が、奏汰と共にありたいと願う中で感じる苦しみと全く同じ気持ちが滲んでいたからだ――。


「そんなことありません……! 母上はいつも僕にお話ししてくれました……父上と出会って、母上がどれだけ幸せだったのか……僕はとってもよく知ってますっ!!」

「ああ……わかってるさ。お前の言うとおり、エリスがまだ生きてるのなら……またあいつに会えるかもしれないのなら……俺は今度こそ、あいつの力になってみせる……」


 新九郎の言葉に、それまで虚ろだった家晴の目に確かな光が灯る。


「だがさっきも言ったように、俺は城を動けねぇ……仔細は夕弦から説明させるが、ここには奴らの動きを封じる〝五つの結界の一つ〟がある……最後に城が襲われてから十年が経ったが、またいつ襲ってくるかはわからねぇからな……」

「五つの結界……静流しずるさんが言ってたやつだな……」

「でも十年前って……もしかして……母上が亡くなった……っ!?」


 瞬間。

 新九郎が思わず発したその声に、家晴は血も滲まんばかりに拳を握った。


「そうだ……俺はこの十年、あの夜を忘れたことはねぇ……! なにもせず、ただ呆けて寝てたわけでもねぇ……ッ!! いいか吉乃……今からお前に、この十年で俺が至った天道回神流てんどうかいしんりゅう終型ついけいを伝える……俺たち家族で、必ずエリスを取り戻すぞ……!」


 ――――――

 ――――

 ――


「――どうしても行くのか」

「はい……それが、静流さんの願いですから」


 深い霧に包まれたマヨイガの拝殿はいでん

 どこからか流れる雅楽ががくの音色に包まれながら、漆黒の面を着けた巨躯の男――龍石時臣りゅうごくときおみは、その場から去りゆく小柄な青年に声をかけていた。


「貴方にも聞こえたはずです……静流さんは、最後に彼らとの対話を私たちに託しました。たとえ結果として刃を交えることになろうとも、一度も対話を試みずに彼女の願いを捨て置くことは、私の勇者としての道に反します」

彼岸ひがんは最後まで我らのために戦ってくれた……そして、見事あの超勇者を打ち倒して見せたのだ。たとえ時がさかのぼろうと、彼岸の戦いは決して無駄ではなかった……日枝神社ひえじんじゃの結界は形こそ保っているが、彼岸によってつけられた傷は、〝そのまま残っている〟……」

「…………」


 地を震わせ、マヨイガそのものを震わせるような時臣の声。

 その言葉には、眼前で背を向ける小柄な青年――エルミールへの牽制の思惑が見て取れた。


「結界に綻びが生じた今、残された我らの力で一息に結界を打ち壊し、囚われた同士たちを救い、闇に飲まれた彼岸も早々に救い出す……今さら奴らの元に赴くよりも、余程手っ取り早いと思わぬか?」

「それを見極めるために行くのです。全ての物事には表裏があるもの……我々だけの見解で、一方的に事を進めることを良しとは思いません」

「フッ……やはりお前は、どこまでも王道をくのだな」

「無理を言って申し訳ありません。ですが、これが私のやり方ですから」


 半ば強制じみた時臣の声が不意に緩む。

 エルミールは口元に笑みを浮かべて振り向くと、時臣に己の右手をまっすぐに差し出した。


「そう心配しなくても、きっと彼らの事情を聞くだけで戻ってくることになります。静流さんが彼らの中に何を見たのかはわかりませんけれど……それだけで〝この地獄をなんとかできるのなら〟、すでに解決しているでしょうから……」

「そうだな……」


 差し出されたエルミールの手を、時臣は力強く握り返すと、仮面の下に覗く瞳で互いの決意を確認し合う。


 だがその時――時臣のまとう派手な着流しの袖から見えた太い腕に、〝深々とえぐれた無残な古傷〟があることにエルミールは気付いた。


「それは……随分と酷い古傷ですね。貴方ほどの使い手が、そこまでの傷を負うなんて……」

「この傷のことならば、さほど昔のことでもない……このマヨイガにいる限り〝老いることのない俺たち〟にとっては、時の流れなど些細なことだがな」


 傷痕を指摘された時臣は剣呑けんのんな笑みを浮かべ、自ら袖をまくってその傷の全貌を露わにする。


 見ればそこには、〝二条の刀傷〟がまるで蛇のように絡み合って太い腕を駆け上り、時臣の心の臓寸前で途絶えていた。


「さほど昔ではない……? なら、貴方にそこまでの傷をつけた相手は〝まだ生きている〟のですか?」

「ああ、生きている。以前相まみえた際は思わぬ邪魔が入ったが……あの男とは、いずれ決着をつけたいと思っているところだ」

「そうですか……なら、私も気を引き締めていかねばなりませんね」

「そうしろ。たとえどこにいようと、俺たちは同じ志を持つ同志だ……俺もここで、お前が無事に戻ってくるのを待つとしよう」

「ええ、必ずまた……」


 そう話す二人の声が、雅楽の音色にのってマヨイガの中に木霊こだまする。


 頷き、再び背を向けて去って行くエルミールの姿を、時臣はその漆黒の面の下からじっと……いつまでも見つめていたのであった。

 

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