至る場所


 天道回神流てんどうかいしんりゅう


 それは平安の世に鬼が現れて以降、千年に渡り武士もののふ総代そうだいたちの間で受け継がれし〝鬼斬りの剣術〟。


 天道回神流には平氏、源氏、北条氏、足利氏といった名だたる名家ごとに様々な分派が存在し、家晴いえはる新九郎しんくろうが修める闘法とうほうもその一派である。


 しかしここまで日の本全土に広がっていながら、天道回神流の開祖やその誕生の経緯は全くの謎に包まれており、誕生から千年が経過した徳川の世にあっては、もはや使い手すら、〝ただ鬼と戦うための剣〟以上の意義を持たなくなって久しかった――。 


「付き合わせてすまねぇな、つるぎ……だがこれも吉乃よしののためだ……悪いが、お前も一肌脱いでくれ」

「わかりました……新九郎のためなら、俺もお手伝いします」

「父上……奏汰かなたさん……」


 夕暮れの江戸城。

 江戸城内にある人気のない練兵場れんぺいじょうで、聖剣リーンリーンを構えた奏汰と二刀を携えた家晴が対峙する。


「十年前……俺とエリスは〝二人の勇者〟と戦った……一人はとんでもねぇ剣気をまとった大男……もう一人も、一目でただ者じゃねぇとわかる青い髪の女だった……」

「二人の勇者……その人たちが、母上を……」


 離れで新九郎の話を聞いた家晴の行動は早かった。

 家晴はしばし新九郎の語った内容を吟味ぎんみした上で、離れに寺社奉行の夕弦を呼び、すぐさまいくつかの指示を与えた。


 それが終わると自らは奏汰と新九郎を伴って練兵場へと赴き、己の力不足を痛感している新九郎に最後の指南を行うべく、なぜか彼女ではなく奏汰を稽古の相手として指名したのだ。


「あの時、へまをしたのは俺だ……エリスは相手取った勇者の女を紙一重で倒した。だが俺は……あの男に手も足も出なかった……」


 家晴は対峙する奏汰をじっと見据えたまま、二刀を静かに構える。

 その鋭い眼にはたしかに奏汰が映っているが、家晴がその瞳で真に射貫いている存在は〝奏汰ではない〟。


「あの男は〝強すぎた〟……俺を助けに入ったエリスも、あいつにはまったく歯が立たなかった……城は吹き飛んで、大勢死んだ……」

静流しずるさん以外にも、まだそんな奴がいるのか……」

「だがそれでもあいつは……エリスは諦めなかった……死にかけた俺と、逃げ惑う城内の奴ら……そして吉乃を守ってあの男と戦い、そして死んだ……お前らの話が本当なら、そこで真皇しんおうとかいう闇に飲まれたんだろう……」

「母上……っ」


 燃えさかる江戸城と、血に染まる大地。

 そして新九郎を胸に抱いたまま、徐々に遠ざかる母の言葉。

 それは間違いなく、新九郎が静流との邂逅かいこうで取り戻した、母の最後の記憶だった。


「エリスをやられて……激怒した俺は奴を退かせたが……そこまでだった……俺は、最後までエリスに守られっぱなしだった……」


 十年前の夜。

 二人の勇者による江戸城襲撃。

 

 その夜、家晴は最愛の妻を失い、剣士としての矜持きょうじを砕かれ、民を守る武士の頭領としての誇りも失った。


 彼に残されたのは、まだ幼い新九郎だけ。

 最愛の妻が命をかけて守り抜いた、二人の絆の証だけだった。


 それは、あまりにも深い挫折と絶望。


 家晴にとって、最愛のエリスセナを失うということは、天から日輪が奪われるのと同義だった。しかし――。


「十年だ……! 俺はこの十年……エリスを殺したあの男を叩き切ることだけを考えて生きてきた……! 吉乃……あいつが残してくれた、お前だけは……今度こそ絶対に守るためにだ……!!」

「父上……そこまで、僕と母上を……っ」


 刹那、奏汰と対峙する家晴の剣気が変わる。

 すでに奏汰はリーンリーンを握っている。それはつまり、奏汰はいつでも七つの力を行使可能ということだ。しかし――。


「この十年……俺は自分の剣を徹底的に鍛え直してきた……そして、とうに消えちまった天道回神流の本当の意義に辿り着いた……つるぎ……俺はお前の力がどんなものなのかまでは知らねぇ……だが遠慮するな。お前の全てでもって、俺の剣を止めてみろ……」

「奏汰さんの全部の力って……! いくら父上でも、それは……っ!」


 奏汰の力をよく知る新九郎は、父の言葉に思わず異を唱える。

 しかし新九郎と違い直に家晴と対峙する奏汰は、その言葉が〝決して冗談やはったりではない〟ことをひしひしと感じていた。


(なんだこれ……俺が何をやっても、〝斬られるイメージ〟ばっかり浮かんでくる……っ)


 奏汰の額に、一筋の汗が流れる。


 奏汰は決して剣の達人ではない。

 だが経験した戦場の数においては、家晴ですら奏汰には及ばないだろう。

 そんな戦闘の達人である奏汰の脳内に、次々と家晴との戦いの流れが浮かび上がり、そのことごとくが〝奏汰の敗北〟を示していた。

 

「よく見ておけ吉乃……〝天の道を廻り、ついには神へと至らん〟……天道回神流の使い手が〝真に斬るべき相手〟……それは――!!」

「来る――!!」


 刹那。

 踏み込んだ家晴と同時に奏汰も飛び込む。

 

 聖剣リーンリーンに灯る色は〝青〟。


 青の力で音速の五十倍もの速度に達した奏汰の姿が消滅し、練兵場にはあくまで常人である家晴と新九郎の姿のみが残される。だが――!


「――!?」

「えっ!?」


 一閃。


 次の瞬間、聖剣リーンリーンが甲高い音を立てて宙を舞う。

 やがてリーンリーンは練兵場の床に突き刺さり、驚愕に目を見開く奏汰の首筋には、踏み込んだ家晴の刃がぴたりと止められていた。


「くっ……! まいっ、た……」

「か、奏汰さんが……負けた……!?」

「なるほどな……マジもんの勇者相手にこいつを試すのは〝俺も初めて〟だったが……どうやら使い物にはなりそうだ……感謝するぞ、つるぎ……」


 奏汰の首から刃を引き、家晴は僅かな鞘擦さやずれの音と共に二刀を収める。

 張り詰めた空気が弛緩しかんし、奏汰はどっと息を吐いて片膝をつく。

 それを見た新九郎は、たまらず奏汰に駆け寄ってその身を支えた。


「大丈夫ですか、奏汰さんっ!?」

「なんとか……けど、今の将軍様の剣は……っ」

「これが、俺の至った天道回神流の極致……やいば終型ついけい。俺たち天道回神流の使い手が、真に斬るべきは鬼じゃねぇ……〝異世界から来た勇者ども〟だ……」


 勇者を斬る剣。

 家晴の発した言葉に新九郎は絶句し、実際にその剣を受けた奏汰は納得した表情で俯く。


「天道回神流は……その極致に至った者に、勇者の力に抗する絶技を授ける……少なくとも俺は、それを信じて今日まで鍛錬を重ねてきた……」


 それがいかなる原理かは奏汰にもわからない。

 だが家晴の言葉どおり、奏汰の青の力は家晴の剣に〝斬られていた〟。


 交錯の瞬間。家晴は二条の刃で勇者の力そのものを切り裂き、返す刃で奏汰の致命を間合いに収めて見せた。

 もしこれが真剣勝負であれば、奏汰は〝治癒の緑〟を行使することも出来ず、家晴の剣の前に死んでいただろう。


「俺は奴を殺すためだけにこの剣に至った……だが吉乃、天道回神流の使い手が至る極致は使い手ごとに異なる……お前がどんな終型に至るのか……それはお前自身が決めろ……これが、俺がお前に授ける最後の剣だ……」

「僕が至る……僕の、終型……」


 超常を殺す人の剣と、鬼の元凶たる異世界勇者を殺す天の剣。

 この天と人の二刀一刃こそ、天道回神流の真の意義。


 武士の総代に伝わる護国の剣術――天道回神流とは、世を襲う〝超常の理不尽〟から、〝ただの人〟が願いを守るために生み出した、反抗の剣術だったのだ。


「いいか吉乃……絶対にお前の幸せを諦めるんじゃねぇ……! お前がこれからもそいつと一緒にいてぇのなら……自分の力を……自分の剣を信じろ……! 大切なものをなくしてから気付くような、俺と同じへまをするんじゃねぇ……」

「将軍様……」

「ち、父上ぇえええ……っ! ありがとうございます……っ!」


 奏汰を支え、万感の想いで家晴を見上げる新九郎。

 そしてそんな二人の姿を、家晴はまるで〝かつての自分たち〟を重ねるかのように見つめ、どこまでも優しく微笑むのであった――。


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