予期せぬ来訪者


「そっちに行ったぞ、新九郎しんくろう!」

「がってんです、奏汰かなたさんっ!」


 夜の江戸。

 場所は日本橋近くの三番長屋。


 二人が江戸城で家晴いえはるとの会談に臨んでから数日後。

 元力士の岡っ引きである彦三郎ひこさぶろうより伝えられた鬼退治の任を果たすべく、奏汰と新九郎は、丑三つ時の江戸を疾風のように駆け回っていた。


 ――――――

 ――――

 ――


 江戸城での会談から三日が経った。

 あの日、家晴との話を終えた奏汰と新九郎は、寺社奉行じしゃぶぎょうである夕弦ゆうげんから、今現在わかっている異世界勇者たちの狙いについて聞かされた。


 山王祭さんのうまつりの夜に静流しずるが語った、勇者たちを闇に閉ざしている封印。


 その封印を成す結界が、江戸を中心とした関東に存在していること。


 その封印の基点は本来であれば五つ存在したが、千年という長き年月の間に勇者たちの襲撃で破壊され、残る結界は日枝神社ひえじんじゃを含めて三つだけであること。

 そしてその結界が破れれば、現世は滅びると伝承されていることを。


(静流さんやカルマの話から考えても、上代かみしろさんの話は本当のはずだ……つまり新九郎のお母さんを助けるには、その結界を壊さないまま、捕まってるみんなを助けないと駄目ってことか……)


 奏汰は鬼を追いながら、夕弦から聞かされた内容を改めで思い出す。

 幕府は、結界が封じている存在が〝数多の勇者たち〟であることは全く知らなかった。

 上代の家系に伝わる神力によって、改ざん前の記憶を保持しているという夕弦ですら、その事実は知らなかったのだ。

  

 そしていかに愛する妻を救うためとはいえ、それと引き替えに日の本全てを……この世界全ての命を犠牲に結界を破壊するなどということは、家晴も選ぶことはできなかった――。


「ふざけた話だ……エリスが生きてるかもしれねぇってのに……まともに動くことも出来ねぇ……!」

「それは今の俺も同じです。けど、これからは俺たちも協力できます。今まではみんなばらばらだったけど、これからは違う……だから、きっと出来るはずです!」


 去り際。

 二人を見送りに現れた家晴は奏汰だけを自らの前に呼び、奏汰と一対一の時間をとった。

 そしてそんな家晴の問いに、奏汰は迷わずその決意を伝えた。


「俺は絶対に諦めません……この国のみんなも、新九郎のお母さんも助けてあげたい……もちろん、新九郎だって!」

「言うじゃねぇか……お前を見てると、どうしてもあいつを思い出す……吉乃よしのがお前のそばにいるのも、そのせいなのかもな……」

「将軍様……」


 家晴が最愛の妻を助けたいと願うように、すでに奏汰にも、この世界と囚われた勇者たち双方を助けたいと願う理由がある。

 奏汰の決意を聞いた家晴は言葉少なに受け止め、頷いた。


「将軍だのなんだとの……堅苦しい呼び方は止めろ……俺はお前になら、義父おやじと呼ばれても嫌な気はしねぇ……」

「え……っ!? お、おとうさん……ですか!?」

「ああ……? なんだその顔は……まさかお前、本当にまだ吉乃に手を出してねぇのか……? てっきり、取り繕いの方便だと思ったが……」

「ちょ……! お、俺と新九郎はまだそんな関係じゃ……っ!!」

「本気か……? まったく……勇者ってのは、どいつもこいつも……」


 奏汰のその反応に家晴は呆れたようにため息をつく。

 しかしすぐに奏汰の肩にぽんと手を置くと、その剣呑けんのんな顔に穏やかな笑みを浮かべた。


「なら……さっさと伝えるんだな。こんな世の中だ……後悔だけは残すんじゃねぇぞ……」

「それは……」

「お前に吉乃を任せることに文句はねぇ……本当なら吉乃は俺が守ってやりたいが……あいつは〝城にいない方が安全なんでな〟……これからも、吉乃のことを頼む……」

「家晴様……」


 そう言って、将軍家晴は奏汰にぺこりと小さく頭を下げた。

 

 頭を下げる。


 それは、将軍として定められた人物が〝生涯行ってはならない所作〟。

 そういった意義や背景を知らぬ異世界人の奏汰でも、家晴がどのような思いで頭を下げたのかは、手に取るように理解出来た――。


 ――

 ――――

 ――――――


つるぎっ! 新坊しんぼうっ! 明りはどっちに向けりゃいい!?」

弥兵衛やへえさんたちは街道の見張りをお願いします! ここから別の場所に逃げられる方がまずい!」

「うむ、剣の言うとおりだな。弥兵衛、彦三郎。俺たちは表通りへの道を閉じるぞ!」

「おうさ!」


 暗く狭い長屋街の道。

 しかし今、そこにはいくつもの提灯ちょうちんが掲げられ、すばしっこい鬼を追う奏汰と新九郎の助けとなっている。


 三番長屋を取り囲む岡っ引きたちは陣頭指揮を執る伸助しんすけの指示で街道への道を封鎖。

 残された奏汰と新九郎は、いよいよ正体不明の鬼を捉えるべく、鬼の気配を追った。


「けどこの鬼、本当に小さくてすばしっこくて……それに、さっきから逃げてばっかりで襲っても来ないし、本当に鬼なんでしょうかっ!?」

「まだはっきりとは見てないけど、鬼なのは間違いない……それに、俺が戦ってきた魔物の中には色んな奴がいた。小さくても油断しないようにな!」

「なるほど……って、見つけたぁああ!? 見つけましたよ奏汰さんっ!! へんなナメクジみたいな……水まんじゅうみたいな!?」

「ナメクジ……? 水まんじゅう?」


 その時。新九郎の前に暗闇から鬼らしき影が飛び出す。

 その姿は不定形の楕円であり、まるで水のしずくがそのまま宙に浮いているよう。

 水滴の中には漁られた残飯のかすが取り込まれており、一見すると生物なのかも怪しい外見をしていた。


「ぴえっ!? な、なんかすっごく気持ち悪い感じですけど……鬼とわかれば容赦はしません! 成敗しますっ!!」

「いや……待て新九郎! そいつに剣はまずい!」

「たぁああああああああ――!!」


 奏汰の制止と新九郎の斬撃、それはほぼ同時だった。


 そして奏汰の不安は的中。

 飛び込んだ新九郎の刃が水滴の鬼に触れようとした瞬間、鬼はその身を一瞬にして巨大化させ、目の前の新九郎を飲み込みにかかったのだ。


「ひゃわーーーーっ!? な、なんですかこれーーーー!?」

「新九郎!!」


 不定形の鬼の正体。それは異世界においては〝ガードスライム〟と呼ばれる〝専守防衛の異世界怪物〟。


 実はこの時、すでにクロムの調査によって、江戸に現れる鬼が〝異世界のモンスター〟であることは確認がとれていた。

 家晴の命で鬼の機密を語って聞かせた夕弦の話でも、家晴に輿入れしたエリスセナがそう断言していたらしい。

 無論、奏汰も鬼の外見からその可能性には気付いていたが、確たる証拠が得られたのは山王祭の後になってからだったのだ。


 ガードスライムは、その不気味な外見とは裏腹にその性質は大人しい。

 しかし一度攻撃を受ければ、突如としてその流体の体を膨張させて反撃を行う、異世界においては侮りがたい難敵とされていた。


 一度ガードスライムに取り込まれれば、新九郎の刃で脱出することは不可能。奏汰は即座に青の力を発動し、新九郎の救出に飛び込んだ。しかし――。


「――危ないところでしたね。お怪我はありませんか?」

「あ……あれ?」


 しかし奏汰が青の力を発動する寸前。

 新九郎に襲いかかろうとしたガードスライムが木っ端微塵に砕け散る。

 砕けたスライムの破片は一拍を終えて青い炎に包まれて消滅。

 跡形もなく消え去った。


「大丈夫か新九郎っ!?」

「は、はいっ。こちらの方が助けてくれて……」

「ああ、見てた。だけど、今の力は……」


 砕け、燃える青い炎の先。

 現れたのは、濃紺のうこんの着流しをまとう小柄な青年。


 しかし〝青年が行使した力〟を見た奏汰は警戒を強め、新九郎と青年の間に割って入るようにして油断なく構えた。


「さすがですね。私が何者なのか……すでに気付いているようだ」


 着流しの青年はその手に握る一振りの刀を流れるように鞘に収めると、自らに敵意がないことを示して両手を広げる。 


「そう警戒しないで下さい。今日は戦いに来たのではありません、貴方たちとお話しをしに来たのです。私の名はエルミール・トゥオルク……かつては、神判しんぱんの勇者と呼ばれていた者です」


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