同心屋敷にて
「――お願いですから、僕の話を聞いて下さいよ!」
立ち並ぶ武家宅の中でも一際立派な平屋の前に、
「てめぇはすっこんでろ!」
「面妖な格好をしおって、まさかそれで〝かぶいて〟おるつもりではあるまいな?」
「鬼の仲間じゃねぇってんなら、密入の
「困ったな……なんて説明すればいいんだ?」
哀れ御用となった
「ご、ごめんなさい奏汰さん。僕のせいでこんな……」
「気にするなって。任せたのは俺だし、まだ別に酷いこともされてないしさ」
「ふん……お主の処遇はこれから決まる。同心様がお戻りになられれば、すぐにでも断が下されよう」
そしてそんな奏汰をぐるりと囲むのは、この地域の警護を担う同心からお役目を預かる者。
俗に言う〝岡っ引き〟や、〝御用聞き〟と呼ばれる者たちだ。
「旦那の帰りを待つまでもねぇ、おいらたちでこいつを与力様のとこに突き出しましょうや!」
そう言って奏汰を縛る縄を持つのは、ひときわ体格の良い大男だ。
名を
「ならぬ! 我らにそのような権限はない。同心がお戻りになるまで、こやつをこの場に留め置くことこそが
血気にはやる為三郎を制し、小粋な
こちらは名を
「ってことは、おれらはここでこいつと
そして最後にもう一人。
伸助の横であくびと共に首をすくめる三白眼の小男。名は
巨漢の為三郎とは正反対の
「みなさん待って下さい! この方は僕を助けてくれた命の恩人なんです。誓って鬼の仲間なんかじゃありませんって!」
「〝きゅうり侍〟のおめぇが言うことなんざ、信じられるかい。相変わらずひょろひょろしやがって、ちゃんと飯食えてるんか?」
「まったくだ。お主は常日頃から適当なことばかり抜かしおるからな」
「鬼でも唐人でもねぇってんなら、なんなんだよ?」
「ええ!? えーっと、それは……なんなんでしょう!?」
「きゅ、きゅうり侍……」
武家屋敷の門前で三人の岡っ引きに囲まれ、言葉につまる新九郎。
奏汰本人ですら満足に現状を説明できないのだから、それを新九郎が説明できるはずもなし。
またそのやりとりの最中に晒された、江戸での新九郎のあまりにもあんまりな評判とあわせ、奏汰はなんとも言えない微妙な表情でため息をついた。
「――戻ったぞ。いったいなにを騒いでいる」
そうして互いに待つしかなくなった頃。
簡素な作りの
「待ってましたぜ旦那ぁ!」
「きゅうり侍の新九郎と、これなる怪しき男が武家地へと足を踏み入れようとしておりましたゆえ。我らで捕らえ、留めおいた次第」
「ふむ……お調子者の新九郎が、また厄介ごとを呼び寄せたわけだな」
「ど、同心様! たしかに普段はそうですけど、今度ばかりはそうじゃないんですって!」
その立ち姿は質実剛健。
丁寧に仕立てられた
「お前、名はなんという?」
「
「剣か。たしかに江戸では聞かぬ名だな」
義幸の出自は古く、鎌倉から続く木曽氏の直系と言われる。
だがこの頃すでに木曽氏の系図は怪しく、大した意味をなしていなかった。
下級役人とはいえ同心として彼が江戸でお役を与えられたのも、家柄ではなく彼自身の持つ優れた才覚と人柄ゆえのこと。
そんな彼の姿を見た三人の岡っ引きと新九郎は、共に義幸に言い分を申し上げ、奏汰の処遇についての判断を求めた。
「なるほど、わかったぞ。
「かぶきもの?」
「おおかた、お前の見慣れぬ装いをかぶき座の者と勘違いしたのであろう。こうして見れば、みなの言う話にも合点がいく」
新九郎から事情を聞いた義幸は、納得した様子で頷いた。そして――。
「――縄を解いてやれ」
「えっ!?」
「同心様!」
「なんと!?」
「いいんですかい!?」
義幸の言葉に、三人の岡っ引きと新九郎は同時に驚きの声を上げた。
「俺が出向いていた神田回りは、今やこの者の話で持ちきりだ。
「そ、そうなんですよ! 奏汰さんは、鬼にやられそうになっていた僕のことも助けてくれて……!」
「時に新九郎よ、お前も手柄を立てたそうではないか。相変わらずどうしようもない無鉄砲の考えなしだが、此度はなかなかに役に立ったようだな」
「え!? もしかして僕も噂になってるんですか!? ついにこの僕が江戸一番の有名人になる時が!?」
「あはは! 良かったな、新九郎!」
同心から命じられ、為三郎は唖然としたまま奏汰の縄を解く。
自由になった奏汰はぐるぐると確認するように肩を回すと、安堵する新九郎と顔を見合わせて笑みを浮かべた。
「だが、だからといってお前が〝根無しのよそ者〟であることに変わりはない。お上への報告も兼ね、まずは我らの聞き取りを受けてもらうぞ」
「わかりました。協力します」
「僕も一緒に説明しますっ!」
「よし。ならば伸助、お前は弥兵衛と為三郎をつれて神田上水に向かえ。鬼の
「はっ! すぐにとりかかりまする!」
義幸は奏汰と新九郎に屋敷に入るよう促すと、いまだ驚きもあらわに立ち尽くす伸助ら三人に素早く指示を下した。
「それと新九郎」
「なんでしょう?」
「お前には、この剣なる者の〝目付役〟を命じる。しばらくの間お前の家にこの者を留め置き、我らが良いと言うまで一刻たりとも目を離すな」
「は……?」
「俺が新九郎のところに?」
至極当然という義幸のその言葉に、新九郎の表情が固まる。
一方の奏汰はいまいち言葉の意味を飲み込めず、どういうことかと新九郎に目を向けたのだが――。
「はあああああああああああああああ!? ぼ、ぼぼぼぼぼぼ、僕と奏汰さんが同じ家で!? い、一刻も離れずに!? む、無理ですっ! そんなこと……ぼ、僕にはとてもっ!」
「なにを言うか。元はと言えば、お前が招き入れたよそ者であろう。お前も武士の端くれならば、拾った男の始末は己でつけよ」
「そんなああああああああああああああああ!?」
義幸の言いつけに、なぜだかその端正な顔を真っ赤に染めて狼狽える新九郎。
それを見た奏汰は、申し訳なさそうに自らの頭をかいた。
「そりゃ、いきなりそんなこと言われても困るよな……だったら、俺はそこらの道ばたで寝ようか?」
「あいやお待ちをっ! 嫌とか迷惑とか、そういうわけではなくてですね!? はわわ……ぼ、僕はいったいどうすれば!?」
「いつまでわめいておるのだ。さっさと来ぬか!」
「ぴええええええっ!」
こうして。珍獣のごとき叫び声を上げながら連行される新九郎と共に、奏汰は木曽同心の屋敷で一通りの取り調べを受けたのであった――。
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