故郷の灯
「うんまぁあああああああああい!!」
日が暮れた江戸の町。
ぼんやりと光る提灯に照らされた一件の飯屋から、喜びに満ちた
「そうでしょうそうでしょう! こちらの〝神田どぜう屋〟は、僕いち推しのお店なんです。江戸広しといえども、どじょうをここまでおいしく揚げるのはこのお店だけですよ!」
「天ぷらもそうだけど、こっちの味噌汁もすごくおいしいよ! 今まで行った異世界のどんな料理よりうまいっ!」
「そんなに喜んでくれるたぁ、俺らまで嬉しくなるねぇ!」
「飯と汁物はおかわりできるからね」
飯屋の奥に用意された座敷に座り、奏汰は振る舞われたどじょうの天ぷらを満足そうにほうばる。
卵黄で解きほぐされた
「そんなに喜んでくれるなんて、僕も連れてきたかいがありました。どうぞ遠慮せず、どんどん食べてくださいね!」
「ほれほれ、見てばっかりいねぇで。
「そうでしたっ。それでは早速……うまーーーーっ! やっぱり神田屋の天ぷらは絶品ですねぇ!!」
朝からほとんどなにも口にしていなかったこともあり、二人は鬼退治の褒美と同心に渡された報賞金を使い、神田上水沿いにある飯屋で遅めの夕食を取っていた。
神田どぜう屋なるこの店は、江戸北方でも評判の飯屋である。
中でも店の目と鼻の先を流れる神田上水で採れたどじょうを使った天ぷらは、少々値は張るものの一度口にしたら忘れられないと人気だった。
「どじょうなんて初めて食べたけど、こんなにおいしかったんだな……この米だって、すごく久しぶりでさ……うぅ、なんだか泣けてきた……っ」
「お、おいおい……泣くほどうまかったのか?」
「なんだか知らないけど、色々わけありみたいだね……」
「奏汰さん……」
その目尻に涙を浮かべ、奏汰は米一粒まで味わうようにして目の前の料理をすべて平らげる。
彼の事情を知る
「
「俺を……?」
「おうよ。どじょうくらい捕れんだろ?」
そんな奏汰の様子に、神田屋の店主である〝
この十次郎なる店主。齢は今年で三十を数えるが、料理の腕はこれでもまだまだ半人前の身。
しかし半年ほど前、先代店主だった父が鬼に襲われて亡くなり、なんの準備もないままに店を継がねばならなかった苦労人である。
「そいつはいい! なんたってアンタは、昨夜の鬼からあたしらを守ってくれた腕自慢なんだろう? うちに居着いてくれれば、それだけで商売繁盛間違いなしさね」
十次郎の言葉に、女将の〝おひま〟も同意した。
彼女は十次郎から数えて七つは歳が下だが、夫が見習いの時分から大恋愛の末に結ばれた器量よしだ。
未熟な腕で慌ただしく店を継いだ十次郎を力強く支える様は、いったいどちらが店主かわからぬほどと町でも評判だった。
「い、いえ! お二人のお気持ちは嬉しいのですが……奏汰さんのことは、僕が面倒を見るようにと同心様から仰せつかっておりますので!」
「なんでぇ、きゅうり侍のおめぇにそんなことできんのか?」
「だいたいあんた、私らがいくら聞いても、どこに住んでるか教えてくれないじゃないのさ?」
「それは、えーっと……と、とにかく! 奏汰さんのことは江戸一番の天才美少年剣士であるこの僕に! お任せ下さいっ!」
奏汰を店で預かろうという十次郎とおひまの提案を、新九郎は丁重に断わった。
元より、今の奏汰は同心から江戸市中での行動を許されただけで、まったくの自由の身というわけではない。
言いつけを守らねば、同心とてかばいきれぬ事態に発展することも十分にあり得たのだ。
「はぁ……相変わらずこの子は、顔と口だけはいっちょ前なんだから。それで毎度毎度危ない目に遭ってんだから、いつかころっと死にやしないか気が気じゃないよ」
「あんたもだぞ
「ありがとうございます、旦那さん、女将さん。頂いたお料理もすごく美味しかった……本当に、ご馳走様でした」
「僕もご馳走様でした!」
そう言って、奏汰は座敷の上で深々と頭を下げた。
それは、奏汰が江戸に来て初めて口にした豪勢な食事。
そして、江戸の世に生きる人々から受ける優しさ。
異世界勇者として過酷な戦いをくぐり抜けてきた奏汰が、久方ぶりに感じる故郷のぬくもり。
慣れ親しんだ味。
慣れ親しんだ風の匂い。
奏汰の時代とは似ても似つかぬにも関わらず、なぜか懐かしさを感じる江戸の町並み。
その全てが故郷に帰れずに落胆していた奏汰を支え、その心にじんわりと染み入っていった。
「なあ剣さん。もし新坊が頼りにならねぇってなったら、いつでもうちに来てくんな。そん時はまた、腹一杯うまいどじょうを食わせてやるからよ」
「あんたなら、いつだって大歓迎だからね」
「……はい、必ずまた来ます!」
座敷の上で深々と頭を下げる奏汰に、十次郎とおひまは満面の笑みを浮かべ、深く頷いたのだった。
――――――
――――
――
「ぷはぁ~! 食べた食べた、食べましたぁ! もう食べられませーーーーんっ!」
「はは! たしかにちょっと食べ過ぎちゃったな」
神田屋を出た二人は街道沿いから外れ、神田上水沿いの長屋街に向かって歩いていた。
賑やかな表通りから離れた細い路地ははっきりと暗く、夜空に輝く月の光が並んで歩く二人の影を地に映した。
「ところで、もうすぐ新九郎の家につくんだよな?」
「ま、まあ……そうですね。はい……」
「けど、昼間はすごく嫌がってただろ? 同心様は俺から目を離すなって言ってたけど……やっぱり、新九郎の迷惑にならないようにどっかそこら辺で寝るよ」
「……いいえ」
やがて――盛り場の
あちらこちらから虫の鳴き声が響く奥まった通りで、新九郎は意を決したように立ち止まった。
「さっきからずっと考えていたんですけど……どう考えても、僕の大切な恩人である奏汰さんに、そんなことはさせられません」
「新九郎……?」
突然足を止めた新九郎を、奏汰は不思議そうに見つめる。
一方の新九郎は、思い詰めた様子で澄んだ深緑の瞳を奏汰に向けた。
「奏汰さんっ! 実は僕……奏汰さんにお話ししなければならないことがありまして……っ!」
なにやら重大な覚悟をした様子の新九郎が、その細い体を前のめりにして口を開いた。だが――。
「みーつけた」
「ひゃわーーーーっ!?」
「っ!」
新九郎が話の内容を言葉にするよりも早く、それまで二人以外に人気のなかった通りに、聞き覚えのない男の声が響いたのだ。
「あんたは……?」
「い、いきなりなんなんですか貴方はっ!? びっくりしすぎて、心の臓が口から飛び出すかと思いましたよっ!?」
「にしし。ごめんごめん、別に驚かせる気はなかったんよ。ちょいとそっちの〝勇者の子〟に用があってね」
現れた声の主。それは二人を見下ろす屋根の上にいた。
だがその男の風体はあまりにも面妖。
さらには赤茶けた長い髪が頭部を覆う面からこぼれ、ざんばらに流れていた。そして――。
「俺はカルマってんだ。アンタと同じ、〝異世界帰りの勇者〟だよん」
そう名乗った男は青く輝く月を背にへらりと笑うと、仮面の奥に光る目をじっと奏汰へと向けた――。
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