根を張るということ


「そこまで!! 今朝はこのくらいにしておきましょう」


 まだ陽が昇りきらぬ早朝。

 それまで威勢良く響いていた剣士たちのかけ声がぴたりと止む。


「ふぅ……朝からいい汗かいたぜ!」

「まっことそのとおり! 早起きは三文の徳とはよく言ったものよ!!」


 ここは神田上水かんだじょうすい沿いにある勇者屋そばの草原である。

 そこにはそれまで奏汰かなた新九郎しんくろうが寝食を共にしていたいおりはそのままに、真新しい木材の香りを漂わせた新築の平屋が居を構える。


 平屋の軒先には一枚板に〝勇者屋〟としたためられ、掲げられた旗には〝鬼除け鬼退治〟の文字が達筆で染め抜かれている。

 そしてそんな店の前では、総勢十名ほどの武家が袋竹刀ふくろしないを手に早朝稽古に励んでいたのだ。


「皆さんお疲れ様でしたーっ! お茶とおむすびを用意してますので、どうぞ召し上がって下さいね」

「かたじけない」

「ありがと、徳乃とくのさん」

「それにしてもみんな熱心だな。勇者屋の仕事だけじゃなくて、稽古まで一緒にやりたいなんて。お陰で俺たちも助かってるよ」


 稽古に励む者の中には、当然ながら奏汰と新九郎の姿もある。

 さらにはエルミールを初めとした公正館こうせいかんの面々に、灰褐色の胴着を着た赤龍館せきりゅうの門下たちも混ざっていた。


「礼を言うのは俺の方だ……試合では命を救われ、今はこうして我ら赤龍館の申し出を快く受け入れて頂いた……感謝してもしきれぬ」

「あれは宗像むなかたさんのせいじゃない。他の人がどう思っても、俺たちはわかってるから」


 赤龍館の面々を従えるのは、一際見事な体格の男――赤龍館の師範代である宗像一心むなかたいっしんである。

 宗像はかつての高慢な様子はどこへやら。

 神妙な表情で汗を拭うと、奏汰と新九郎に頭を下げた。


 台覧試合たいらんしあいで鬼と化し、会場を阿鼻叫喚あびきょうかんの渦に陥れた宗像。

 だがその場に居合わせた寺社奉行じしゃぶぎょう夕弦ゆうげんは、彼が何者か別の力によって鬼とされたことを見抜いていた。


 結果として、夕弦の計らいによって宗像は無罪放免。

 しかし試合場に居合わせた他の剣士や役人からの目は、そう単純な物ではなかった。


 もとより、日頃から謙虚とは呼べぬ振る舞いをしていた宗像である。

 特に彼が鬼と化した現場をその目で見た者からの風当たりは、今も相当に厳しい物となっていた。


「……故に、我が汚名をそそぐこれ以上無い場を与えてくれたつるぎ殿と徳乃殿……そして、山上やまのうえ殿には頭が上がらぬ。こんな俺に出来ることがあれば、どんなことでも力になるつもりだ」

「どうかそう気に病まず……ここでは赤龍館も公正館もありません。鬼から人々を守るため、共に頑張りましょう!」


 忸怩じくじたる思いと共に拳を握る宗像に、エルミールは何も気にすることはないと優しく彼の背に手を添えた。


 そしてそんな二人のやりとりを見守るのは、公正館と赤龍館を中心とした、江戸でも名だたるの剣術道場の門下たちだ。


 公正館からは師範のエルミールを筆頭に、皆伝の春日かすがと師範代の三郎さぶろうが。

 赤龍館からは宗像以下数名が早朝稽古に参加し、さらには台覧試合で奏汰と熱戦を演じた、天然無心流てんねんむしんりゅう新藤平次郎しんどうへいじろうまでもが何食わぬ顔で新九郎から握り飯を受け取っていた。


「平次郎さんは長州に帰らなくて良かったのか?」

「なぁに、拙者はとうに師より分派の許しを得ておるのでな。それにここにおれば拙者も鬼どもと切り結ぶ機会が増え、新流派創設にも箔が付くという寸法よ! かっかっか!!」

「さっすが新藤さんっ! 〝武士道とは死ぬことと見つけたりー〟ってやつですねっ!! 死してしかばね拾うものなし!!」

「まだ死ぬつもりはないが!?」


 そう。なんと彼らは、自らの意思で〝勇者屋の鬼退治を手伝わせて欲しい〟と願い出た者達なのだ。


 戦乱の世が終わり、徳川太平の世となって二百年。


 日々己の剣を磨き続けながらも、鬼の神出鬼没さゆえにその剣を振るう機会を得られなかった剣士たちは、勇者屋の奉公人として共に鬼と戦うことを望んだ。


 無論、いかに熱意があろうと彼らだけで鬼と戦えるわけではない。

 しかし江戸はあまりにも広く、そこに住む全ての人々の命を二人だけで守り切ることは到底無理な話。


 勇者屋の名声が高まれば高まるほど。鬼と戦う者の存在が江戸を越えて広まれば広まるほど、幕府も把握していない鬼の報せは次々と勇者屋に舞い込んでくる。


 そんな中で多くの剣士たちが自ら協力を申し出てくれたことは、勇者屋にとってはまさに渡りに船であったのだ。


「かーっ! うめぇ! 相も変わらず、徳乃の作った握り飯は格別だぜ!」

「うむ。今日の握り飯の具は……佃煮つくだにだな。塩加減もちょうど良い」

「むぅ……剣の腕も別格で料理まで出来るなんて、ちょっと不公平すぎるんじゃないの?」

「なはははー! これでも毎日奏汰さんのためにお料理してますのでっ! 僕の料理の腕もうなぎ登りってやつですよ! どやーっ!」

「いつもありがとな、新九郎。明日は俺が用意するから」

「えへへ……じゃあ、明日は二人で一緒にしませんか? きっと二人ならあっという間ですっ!」


 新九郎に剣を指導できる者が誰一人としていないため、勇者屋での朝の彼女の務めは、もっぱら稽古を終えた剣士たちの朝食作りとなっていた。


つるぎが勇者屋の若旦那なら、さしずめ徳乃は勇者屋の若女将ってところか? まあ徳乃は男だがよ……男同士の仲ってのも悪くねぇからなぁ!」

「かっかっか! 違いない!!」


 真新しい勇者屋の縁側で、剣士たちは思い思いに新九郎の手料理と麦茶に手を伸ばす。


 今やどこからどう見ても夫婦めおと同然となった奏汰と新九郎の仲睦まじい姿に、無心流の平次郎と公正館の三郎は〝色々と察したように〟何度も頷いた。だが――。


「それは別にいいけど……なんていうか、徳乃さんってたまに私と同じ女なんじゃないかって思う時がちょいちょいあるのよね。特に最近……」

「ぶふぉっ!?」

「ぎっくーっ!?」


 だがそこで春日の発した一言に、奏汰と新九郎は共に仲良く茶を吹き出すことになる。


 実際、互いの思いを確かめ合った新九郎の相貌そうぼうは日々美しさを増すばかり。

 もはや彼女の何気ない仕草や物腰から、女性らしさを隠すことは相当に厳しくなりつつあった。


「な、なーに言ってるんですか春日さんっ! ぼ、ぼぼ、僕は江戸一番の天才美少年剣士ですよ!? その僕が実は天才美少女剣士でしたーなんて、あるわけないじゃないですか~! いやだなーあははー!」

「うーん。それはそうなんだけど、どーも怪しいのよね……」

「はわわっ!?」


 あからさまに疑いの目を向ける春日に、新九郎は逃れるようにして身を縮こませ、奏汰の背に隠れる。

 はっきり言えば、そのような仕草も怪しさの種なのであるが。


「おはよう。稽古は終わった?」

「おはようございます、緋華ひばなさん。そういえば今朝は稽古中にお姿が見えませんでしたが、どちらかに行かれていたんですか?」


 そしてその時。少年剣士存続の危機に陥る新九郎を救うかのようにして、濡羽色ぬればいろの道着に身を包んだ緋華がその場に現れる。


「さっき、奉行所からの使いが来てた。剣奏汰と新九郎……それに太助たすけ月海院つきみいんのクロム・デイズ・ワンシックス。この四人に登城とうじょう下知げち。時は今日、今すぐに」


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