許せない


『クハハハハハ!! 彼岸ひがん様に率いられた数万の鬼が持つ邪気を結界へとぶつけ、微塵に打ち砕く……そうなればもはや幕府も、たとえ将軍だろうと我の邪魔をすることは出来ぬ!!』

「あの鬼……なんて剣気けんき……!!」

主膳しゅぜん……長谷部はせべじいが追ってた、作事奉行さくじぶぎょう……鬼に、なった……?」

「ね、姉様ねえさま……っ! 動いちゃ駄目です!!」


 日枝神社ひえじんじゃ前で決死の戦いを続ける新九郎しんくろう緋華ひばなの前に現れたのは、八つの腕にそれぞれ異なる武器を構えた豪壮ごうそうな体躯を持つ異形の鬼。

 それは彼岸ひがんの力によって鬼へと墜した作事奉行……秋津洲主膳あきつしましゅぜんのなれの果て。


 先の高見櫓たかみやぐらにおける長谷部老麾下はせべろうきかの手勢による主膳捕縛は失敗に終わった。

 百を超える町方まちかたを散々に打ち負かした主膳は、その勢いのままに、こうして日枝神社を守護する者たちの元に下りてきたのだ。


『全ては彼岸様の奇跡の力よ……元より、腐りきった今の幕府ではこの国を守り治めることなどできぬ。彼岸様への信仰を支柱に、再びこの国を〝真の皇〟による神国しんこくに戻す。邪魔する者は、みな血祭りにあげてくれようぞ!!』

「天下の作事奉行が……民にこんな仕打ちをするなんて……!!」


 濁った笑い声を上げ、狂暴な咆哮ほうこうを放つ主膳。

 新九郎は傷ついた緋華を抱え、そのあまりにも身勝手な物言いにぎりと奥歯を噛みしめる。


『ふん……江戸に巣くう愚かな寄生虫など、神の国の民として相応しくないわ!! 江戸も日の本も、そこに住むゴミどもも、なにもかもを浄化し、選ばれし者のみが残ればそれでいいのだッ!!』

「っ……!! そう、ですか……っ」


 今も続く絶望の災厄。

 その炎の中で高笑いを上げる主膳に、新九郎は緋華の身をそっと横たえ、うつむいたまたゆらりと立ち上がる。


「だめ……吉乃よしの。あの鬼はまずい……今のあなたじゃ……」

「姉様は動かないで下さい……あの鬼は、僕が斬ります……!」


 鬼と化した主膳の力は、先に緋華を打ち抜いた一撃で十分に理解出来た。とてもではないが、新九郎一人で勝てる相手ではない。

 しかし新九郎を止めようとした緋華は、振り返った新九郎の有無を言わせぬ瞳に圧倒され、それ以上言葉を継ぐことができない。


「吉乃……あなた……」

「許せないんです……! この町を、みんなを、そして姉様を……!! 僕の大好きなものを全部めちゃくちゃにして、いい気になっているあの〝鬼〟を……僕は絶対に許せないッ!!」

『クク……鬼神となった我を斬ろうとは。また大きく出たものだな』

「――お待ち下さい。主膳様が出るまでもございません。ここは我ら影鬼衆えいきしゅうにお任せを」


 鬼気迫る怒気どきを露わにする新九郎を前に、主膳に従う影鬼衆の手勢が音もなく現れる。

 町方との戦いでその総勢は減っていたが、逆に残るは影鬼衆でも歴戦の手練れのみである。


『よかろう、見事あの小僧を八つ裂きにしてみせい』

「御意!」

「そこな青二才……先は我ら同胞が不覚を取ったが、此度こたびはそうはいかぬ!」

「貴様の奇剣など、とうに見切っておるわ!」

 

 主膳の首肯しゅこうに、現れた影鬼衆は新九郎目がけ一斉に飛びかかる。

 その動きには、もはや油断も慢心もない。

 かつて新九郎の剣によって敗れた者からの伝聞でんぶんにより、目の前の美剣士が見かけ倒しでないことはすでに周知であったのだ。しかし――!!


「黙れ……!! 僕は、青二才じゃない……ッ!!」

「な!?」

「に!?」


 ごう――と。


 緋華を庇い、二刀を構えた新九郎の瞳に、淡く輝く〝浅緑せんりょくの光〟が灯る。

 それと同時。上中下の三段から新九郎へと斬りかかった影鬼衆は、その全てがまったく同時に――各々何が起きたのかもわからぬままに、氷雪の霜柱となって凍結した。


「僕は〝勇者屋の徳乃新九郎とくのしんくろう〟……!! 江戸を脅かす悪鬼羅刹あっきらせつ……お前は今、ここで斬る!!」

『クハハハハハッ!! ほざきおる!!』


 疾風がはしる。

 打ち倒した忍たちには目もくれず、加速した新九郎は一陣の風となって主膳の眼前に。構えた二刀をひるがえし、主膳の足首を切り落としにかかる。


小蠅こばえごときが、我にたかろうてか!』

「――!」


 しかし地面すれすれを這うような新九郎の一撃は空を切る。

 主膳はその巨体に見合わぬ身軽さで跳躍。

 空中で二つの剛弓を素早くつがえると、眼下の新九郎めがけ先に緋華を打ち抜いた魔弾を雨あられと叩き込んだ。


清流剣せいりゅうけん玉屑破輪ぎょくせつはりん!!」


 それを受けた新九郎は、すかさず手首をくるりと回して刀剣から広がる分厚い円状の氷雪を展開。

 降り注ぐ魔弾の勢いを殺すと、もう一方の刃に灼熱の炎を宿し、地響きを立てて着地した主膳めがけて怒涛の勢いで斬りかかった。


「はぁあああああああああああ――ッ!!」

小癪こしゃくな蠅が!!』


 それはまさに絶世の剣戟けんげき


 新九郎はその研ぎ澄まされた天剣で。

 主膳は八つもの腕による人外の武で。


 両者が激突する周囲の大地がまたたくまにえぐれ飛び、大気は波紋の炸裂を残して何度となく弾ける。


『我を斬れると思うてか、この生意気な青二才が!!』

「斬る――! 斬ってみせる――!!」


 主膳の八腕、そのそれぞれに握られた槍を、こんを、剣を、さいを。

 無限に繰り出される人外の連撃、それを新九郎は浅緑の瞳をひとときも閉じることなく見切り尽くし、ある時は水のように、ある時は稲妻のような身のこなしでしのぎ切る。


 だが対する主膳もまたさるもの。新九郎の刃は決して主膳の致命に届かず、彼女の放つ氷雪は容易く打ち砕かれ、炎は主膳の薄皮を焼くのみに留まった。


 元より、主膳は政務のみならず武芸百般も難なくこなす万能の才を持つ。新九郎と同様、この鬼もまた天の才と共に生を受けた男なのだ。

 そのような者が数百数千の兵を容易く滅ぼす力を得ればどうなるか――本来であれば、いかに天剣であろうと人が太刀打ちできる相手ではない。


 死と生が拮抗する剣刃けんじんの領域。

 いつ終わるともしれぬ必殺の応酬。


 やがて新九郎の放つ刃は主膳の巨躯に無数の裂傷を生み、大地を轟かす主膳の一撃は、新九郎の小柄な体に避けられぬ軋みを与え、二刀を持つ彼女の手に鮮血が滲んだ。だが――。


(こやつ……なぜ我が一撃をこうも受けられる!? このような小兵で、なぜ!?)


 先に焦りを見せたのは鬼と化した主膳だった。

 己の岩をも砕く一撃が。

 大地すら消し飛ばす一撃が、ことごとく目の前の華奢きゃしゃな剣士に弾かれ、いなされ、止められる。

 その異常な光景が、主膳の心に驚愕と恐怖を刻み始める。


「許さない……!! お前だけは、絶対に――!!」


 その力の源。

 それは怒り。


 新九郎が生を受けてよりここまで、かつて彼女がこれほどの怒りを覚えたことはない。


 大好きな江戸を燃やされ。

 大好きな人々を鬼とされ。

 大好きな姉を傷つけられた。

 

 目の前に立つこの鬼こそ、それらを成した首魁しゅかいの一角。

 ならばたった今抱くこの激しい怒り――眼前の醜悪なる悪鬼にぶつけずして何にぶつけるというのか?

 

 燃え上がる灼熱の怒りは新九郎が本来持っていた力を限界まで引き出し、その力を真の天剣へと引き上げていたのだ。


陽炎剣ようえんけん――! 光炎天狗こうえんあまきつね!!」 

『があッ!?』


 ついに新九郎の剣が拮抗を破る。

 焦りから乱れた主膳の八腕をかいくぐった新九郎は、主膳の懐に潜り込んで高速旋回。舞い踊るように広げた二刀に炎が奔り、鬼神が誇る鋼のような胸板を抉り飛ばす。


『ガアアアッ!? な、ん……だとおおおッ!?』

「勝機――!!」


 荒れ狂う炎龍と化した新九郎の刃。

 主膳はたたらを踏んで後方へと逃れる。


『おのれぇぇえええ!! 彼岸様から授かった高貴なる身に、よくも!!』


 その醜い顔に憤怒を宿し、しかし主膳は即座に体勢を立て直すと、冷静に〝新九郎から距離を取る〟。

 至近での戦いで分が悪いのならば、そこで戦わなければよいのだ。

 剣での勝負にこだわるなど、下らぬ馬鹿のすることと。

 作事奉行まで上り詰めた高慢で冷徹な男は、常にそうやって己の願望を果たしてきた。


小童こわっぱが……!! 我が剛弓にて、そのしかばねを晒せいッ!!』

「逃がさな――……っ?」


 だがしかし。逃げる主膳を追う新九郎の足が突如として速度を失う。

 視界がぶれて赤く染まり、それまで一度も乱れることのなかった呼吸が激しく乱れる。


「ぐ……っ!? がっ――はぁ――……っ!?」

『ほう……!? どうやら、とうに〝限界だった〟というわけか……ククク!』


 限界。


 その言葉が、もはや立っているのもやっとという新九郎の耳に響く。

 激しい怒りは、たしかに新九郎に十全の力を与えた。

 だがいかに怒ろうとも、怒りは〝限界を超えた力〟を人に与えるわけではない。

 痛みを消し、疲労を消し……平時には用いぬ力と感覚を総動員しているだけ。そしてその度を超えた消費は、新九郎の身に今度こそ逃れられぬ限界をもたらしたのだ。


『クハハハハ!! 己の分をわきまえぬ小童が、所詮人の力などその程度……神の力を得た我にかなうはずもない!!』

「く、そぉ……っ」


 よろめく新九郎めがけ、主膳はその手に持つ八つの武器を連結させ、巨大な〝剛長弓ごうながゆみ〟へとまたたく間に組み上げる。

 その身に宿る膨大な邪気が矢となって剛弓に流れ込み、その一矢で山すら消し飛ばす光の魔弾を形成する。


しまいだ。彼岸様より授かりし奇跡の御業みわざ……受けるがいい!!』


 勝利を確信し、その笑みを深める主膳。

 主膳は目の前で今にも倒れようとする新九郎めがけ、つがえた矢を放とうと構えた。


点雷てんらい――……っ。夜光蛍やこうほたる

『ぐぬッ!?』

 

 だがその時、主膳の巨大な背を〝一条の雷光〟が叩く。

 思わず振り返った主膳の視界に、深手を負いながらも立つ緋華が映る。そして――!


「斬って、吉乃……っ! あなたならできる――!!」 

「ねえ、さま――……!!」

『まさか――!?』


 緋華は叫び、その声を受けた新九郎の瞳に再び光が灯る。

 歯を食いしばり、流れる鮮血の尾を引いて天剣の少女が眼前の悪鬼めがけて駆ける。

 それに気付いた主膳も即座に振り向き、体勢を崩しながらも収束した魔弾を新九郎へ叩きつけた。


『この……死に損ないどもがァアアアアアアアアアッ!!』

天道回神流てんどうかいしんりゅう、奥義――!」


 刹那。

 新九郎と主膳。

 双方から閃光が奔る。


「――紅蓮流華火ぐれんながれはなび!!」


 その射線上、全てを飲み込む魔の光弾。

 しかし新九郎はかまわず、光の渦めがけ二刀それぞれに氷雪と業火を宿し、己自身を刃と化して飛び込んだ。


『ば――……!?』


 その光が収まった時。

 前を向く主膳の視界に、新九郎の姿はなかった。

 

「――成敗」


 その声は背後から。

 しかしもはや主膳には、三度目の振り向きは許されなかった。


『ば、か……な……ッ!!』


 次の瞬間。

 その半身を吹き上がる業火に焼かれ、残る半身を凝結する氷柱に押し潰され、己を〝鬼神とかたる外道〟は跡形もなく消滅した。


「っ……」


 だが主膳の消滅を見届けた新九郎にも、とうに残心する力は残されていない。

 鬼の一撃を渾身の奥義で切り抜けた新九郎は片膝を突き、その足元にいくつもの血のしずくが落ちていく。


「だめ、だ……まだ、僕は……かなたさんと……やく、そく……――」


 ずたずたの着流しを鮮血で染め、その身を傷だらけとした新九郎はそれでも二刀を必死に握りしめたまま――ついに意識を失ってばたりと倒れた――。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る