死線


『グオオオオオオオオオオオ!!』

「な、なんてでけぇ鬼だ!!」

「怯むな!! 町奉行まちぶぎょう殿と大目付おおめつけ殿より、日枝神社ひえじんじゃは必ずや死守せよとのお達しだ!! 長槍、三列!!」

「おおーーーーッ!!」


 日枝神社近傍ひえじんじゃきんぼう

 人から鬼に変わった者達は、その全てが一直線にこの地を目指して進撃していた。

 進行上にある家々は次々と破壊されていたが、幸いにも民は鬼の視界に入らねば逃げることは容易であった。しかし――。


「一陣!! 槍衾やりぶすまにて大鬼を四方より取り囲めい!!」

「けっども、こいつらみんな……元は町の奴らで!!」

躊躇ためらうな!! 躊躇えば死あるのみぞ!!」

「大鬼に刀は届かぬ! 槍、弓は大鬼を狙え! それ以外の者は、弓手に鬼を近づけるな!!」


 だがしかし。ここ日枝神社にて前線を張る者たちに〝逃げ場はない〟。

 町奉行の長谷部老はせべろうが率いた手勢は、総勢三百余騎。

 数は多いが正規の武士は半数以下であり、その殆どが普段は町民でもある岡っ引きたちであった。


「ちくしょう!! お前ら、どうして鬼になんてなっちまったんだよぉおおお!?」

「陣を乱すな!! 心乱せば死が近づくぞ!!」

「急報!! 謀反人むほんにんが鬼に変じ、反撃に転じたとのこと!! 町奉行殿が、急ぎ応援をよこせと!!」

「なんだと……!? しかし、我らにもそのような余力は……っ」


 すでに幕府も鬼の狙いが日枝神社であることには気付いていたが、雲霞うんかのごとく襲いかかる鬼を相手に、増援まで持ちこたえられる見込みは全くなかった。

 その上、長谷部老一派が踏み込んだ高見櫓たかみやぐらでは、鬼に変じた主膳しゅぜんが配下の影鬼衆えいきしゅうと共に町方まちかたに襲いかかるという事態に発展していたのだ。


「ぎゃあああああッ!?」

「た、助けてくれえええええ!!」


 四方を鬼と炎に囲まれ、江戸を襲った災厄の中心点に馳せ参じた者たちの運命は風前の灯火。誰もがこのまま死を待つばかりであるかに見えた。しかし――。


清流剣せいりゅうけん――八方蝉氷はっぽうせみこおり!!」


 だがその時。

 絶命の死地にある一団の周囲に、季節外れの豪雪が舞い散る。


 そしてその吹雪の中を流麗苛烈りゅうれいかれつな動きで走り抜けるのは、浅緑せんりょくの着流しに翼のように広げた二刀を振り抜いた若年じゃくねん剣客けんかく――勇者屋の徳乃新九郎とくのしんくろう

 新九郎しんくろうが駆け抜けた地面はまたたく間に凍り付き、足を取られた鬼の群れは倒れ、哀れ氷漬けの憂き目となる。


「お、鬼がみんな凍っちまった!?」

「おめぇまさか……江戸一番の青二才っちゅう……?」

「加勢します!! ここは僕に任せて、みなさんはあちらを!!」


 もはや、お約束となった名乗りを上げる余裕などない。

 奏汰かなたと別れ、その胸にきしむような悔しさを宿したまま。

 それでも新九郎は刃を振り抜き、助けた者たちをちらと一瞥いちべつしただけですぐさま次の鬼へと斬りかかる。


『ガアアアアアアアアアアア!!』

(斬れない……!! この鬼を斬るわけにはいかない……!! この人たちは、静流しずるさんに鬼にされているだけ……それを斬るなんて、僕にはできないっ!!)


 それは、新九郎が初めて身を投じた本当の戦場いくさばだった。

 逃げ惑う人々。

 限りなく現れる鬼。

 鬼の群れに立ち向かう武家者たち。

 火の粉舞い散る絶望の戦場で新九郎は今の己が持つ全てを燃やし、鬼へと変えられた者の命すら拾いあげ、一人でも多くの人々を救うべくその剣を振るった。


「はぁあああああああああああ――!!」


 五体、十体、二十体と。

 新九郎は次々と鬼を氷柱に封じ、あるいはその動きを止めて無力化していく。

 その鬼気迫る戦い振りに、それまで決死の抵抗を続けていた武家たちは思わず息を呑んだ。


「信じられねぇ……あれがきゅうり侍の新九郎だってのか!?」

「だが、先日の神田ではあの者が鬼の群れを倒したと――!」


 その剣はまさに絶人の域。

 常人ではたとえ何年かかろうとも到達できぬ天の剣。

 今の新九郎は間違いなく江戸一番の……否、日の本でも五指に入るであろう剣の冴えを見せていた。だのに――。


(〝守れない〟……!! このままじゃ、どう頑張ってもみんなを守れない……!! どうしたら……どうしたらいいんですか、奏汰さん……っ!!)


 その心にあるのは焦り。

 

 守れない。

 防ぎきれない。

 

 どんなに刃を振るおうと、どんなに集中を研ぎ澄ませようと。

 このままでは、やがて迫り来る鬼の群れに押し潰される。


(やっぱり、今の僕じゃ駄目なんですか……!? もしも、僕が奏汰さんみたいに強かったら……奏汰さんだったら……!!)


 新九郎はその剣才ゆえに、己が限界とそれを越える鬼の圧力を正確に感じ取っていた。

 このままではやがて自分も力尽き、江戸を守り切ることなどできないと、そう手に取るように理解していたのだ。


雷業らいごう――紫縄独楽しじょうこま

「っ!?」


 だがしかし。

 新九郎が戦う場所とは別方向で、突如として幾筋もの雷鳴がとどろいた。

 降り注ぐ無数の雷は次々と大鬼小鬼のへだてなく打ち抜き、またたく間に鬼の群れを打ち倒していく。


「おまたせ……他にもいっぱい助けてたから、遅くなった」

姉様ねえさまっ!?」 


 現れた雷鳴。それは新九郎の側仕そばつか隠密おんみつにして、彼女が生まれた時から共にあった掛け替えのない姉――緋華ひばな


「で、でも……この鬼も元は、みんな町の人たちで……!!」

「たぶん平気……あなたが殺さないのなら、わたしもそうするから……」

「はうぅ……!? ね、姉様ぁああ……っ!!」


 緋華は漆黒の忍び装束に口元を覆う長い首巻きをはためかせると、その身に朱色しゅいろの雷光をまとい、今にも泣き出しそうな顔の新九郎を安心させようと微笑んだ。


「大丈夫……吉乃よしのは強い。それでも足りないのなら……わたしが一緒にやればいいだけ」

「……はいっ!」

 

 その緋華の笑みが、折れかけていた新九郎の心を再び燃え上がらせる。

 新九郎は思わず浮かんだ喜びの涙を振り払うと、最愛の姉の思いに応えるように力強く頷いた。


「やるよ……吉乃」

「承知です……姉様っ!!」


 再び群がる大鬼の群れに緋華は音もなく跳躍。

 新九郎は再び二刀を握りしめて疾走する。


万雷ばんらい――神針鳶落しんしんとびおとし


 疾駆する新九郎の道を切り開くように、緋華の放つ無数のクナイめがけて朱色の雷光がのたうちながら絡みつく。

 緋華の雷は飛び込んだ新九郎の行く手を阻む鬼をなぎ倒し、大鬼すら一撃で昏倒こんとうさせた。


『ガアアアアアアアアアア!!』

「――!!」


 だがしかし、落雷の間隙かんげきを駆け抜ける新九郎の前に、緋華の雷にすら怯まぬ〝巨躯の鬼〟が立ち塞がる。

 その鋼のような肉体と威圧感は、かつての新九郎であれば一目で腰を抜かし、泣き叫んでいたであろう豪壮ごうそうさだった。


「約束したんです……っ!! 奏汰さんと強くなるって……二人で一緒に強くなるって!!」


 しかしすでに新九郎は前を向いていた。

 人は突然強くなったりはしない。 

 死地は彼女の成長を待ちはしない。


 だがそれでも……自分は前に進むことができると。

 たとえ一人では難しくとも、誰かと共になら進むことができると。


「いざ――!! 清流剣奥義せいりゅうけんおうぎ!!」


 その心に奏汰との約束を宿し、立ち塞がる剛力の鬼めがけ新九郎はさらに加速。

 構えた二刀から氷柱の尾を引いて、渾身こんしんの力をもって高々と飛翔した。


「――終雪しゅうせつ龗神おかのかみ――!!」


 一閃。

 顕現けんげんするは氷雪の龍。


 新九郎の二刀が天に導いた氷柱の道。

 それはそのまま荒ぶる二叉ふたまたの首を持つ氷龍と化し、小山ほどもある大鬼を喰らうようにして絡め取った。


「今はまだ弱くても……奏汰さんと一緒に戦えなくてもっ! 明日こそ……明後日こそ、その次の日こそ!! 僕はいつか必ず……もっともっと強くなってみせますっ!!」

 

 それはまさしく、一人の剣士としての新九郎の覚悟と決意。

 

 江戸を焼き尽くす炎。

 その炎をかき消すように、覚悟の氷雪が舞う。

 大鬼を封じ、着地した新九郎は迷いを振り払うように残心。

 すぐさま次の鬼へときびすを返そうとした。


「危ない、吉乃!!」

「えっ?」


 だがその瞬間。一条の閃光が新九郎を背後から襲った。

 間一髪、新九郎は咄嗟とっさに飛び込んだ緋華によってはね飛ばされ、ごろごろと地面を転がって倒れ込む。

 しかし地面から顔を起こした新九郎は、そばで鮮血を流し倒れる緋華の姿を見た。


「う……っ」

「姉様!?」

『ククク……長谷部どもを蹴散らし、次は残りのはえでも片付けてやろうと思うたが……』

「鬼……!?」


 現れたのは、巨大な〝八本の腕を持つ異形の鬼〟だった。

 鬼は日枝神社の木々をなぎ倒して地響きと共に歩み寄ると、傷ついた緋華を抱える新九郎を見て醜悪な笑みを浮かべた。


『ほう……貴様は金五郎かねごろうを倒した徳乃とくのとかいう剣客けんかくだな? ちょうどいい、雑魚では肩慣らしにもならぬと思っていたところよ』

「この鬼……僕を知ってる?」

「我こそは鬼神、秋津洲主膳あきつしましゅぜん……偉大なる彼岸ひがん様の手によって、この地を平らげる剛力を授かった者なり!!」


 現れたのは、鬼と化した秋津洲主膳。


 新九郎は知るよしもないが、かつて作事奉行さくじぶぎょうだったこの高慢な男は、鬼となった今もまた得意げにそう名乗りを上げ、手負いの緋華と新九郎に一歩一歩近づいていく。


『日枝神社の結界は間もなく墜ちよう……そうなれば、次はいよいよ家晴いえはるの首。だがその前に、鬼すら屠るという貴様でこの肉体の肩慣らしをさせてもらおうか……!!』


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