大火


「江戸のいたるところで鬼が現れただと!?」

「鬼の数は万を越える目算! その全てが、日枝神社ひえじんじゃを目指しているとのこと!!」

物見櫓ものみやぐらからの報によれば、江戸のみならず、遠方の村々からも火の手があがっているそうですぞ!!」

「これは、日の本存亡の危機でございまする!!」


 江戸城内。本丸御殿ほんまるごてん表広間おもてひろま

 山王祭さんのうまつりの最中に突如として勃発した江戸史上最悪最多の鬼の出現に、幕府の重鎮じゅうちんたちはまげすら満足に結わえぬままに招集。

 次々にもたらされる凶報きょうほうに追われていた。


「――おそらく、町奉行まちぶぎょう長谷部はせべ殿が言っていた流行神はやりがみ一派の企てであろう」

「しかし、まさかこれほどの規模とは……」

「その長谷部はどこにいるのだ!?」

「すでに手勢を引き連れ、謀反人むほんにんの捕縛に動いておる。座して手をこまねいていては、〝無能者〟のそしりは我らがこうむることになろうぞ」

「いかがいたしますか……鍋島なべしま殿!」

「…………」


 広間に集まった面々の上座かみざ

 事実上の幕府筆頭役人にして、大老を務める〝鍋島正典なべしままさのり〟に一同の視線が集まる。

 この鍋島正典こそ、現在の日の本における政策・外交・軍事全てを決定づける人物であり、与力よりきから町奉行まちぶぎょう、そして老中ろうじゅうを経て大老に上り詰めた叩き上げの切れ者である。

 

「鬼が向かうは日枝神社……であるならば、奴らの狙いは〝護国の大結界〟。そうであるな、寺社司じしゃつかさよ」

「さすがは天下の大老殿!! 何を隠そう、日枝神社は私どもを守る結界のかなめも要の要石かなめいし。万が一これを害されれば、もはや残る二つの結界では、この地に眠る〝王鬼おうおに〟をおさえきれませぬでしょうなぁ~~!!」


 問われた鍋島は隣に座る、眼鏡をかけた優男に確認を取る。

 問われた男はこの災厄においてもなぜか喜色満面、その目を輝かせて身を乗り出すと、鍋島に抱きつかんばかりの勢いで一気呵成いっきかせいに話しきる。

 この優男の名は〝上代夕弦かみしろゆうげん〟。

 町奉行や勘定奉行かんじょうぶぎょうと並ぶ幕府三大奉行の筆頭、寺社奉行じしゃぶぎょうを若くして務める男である。


「ならば、日枝神社へ進む鬼どもは引きつけて一網打尽に。年寄り連と戦えぬ武家者ぶけものは、民の守護にあたれ。これ以上の仔細しさいは追って下知げちする!! 急げ!!」 

「ははっ!!」


 この未曾有みぞうの災厄にあって、鍋島は即座に断を下す。

 とはいえ、それでも幕府の動きは後手に回りすぎていた。

 こうしている今も、城下では多くの民がその命を落している。

 その上、鬼と化した民が鬼から人に戻るかもわからないのだ。だが――。


「……馬廻うままわりと大番頭だいばんとうに出陣を伝えろ……俺も出る」

「っ!?」


 だがその時。

 打開の策を練る鍋島たちの前を、一人の武家が横切る。

 漆黒の着流しに二刀を携え、江戸城にいながら流れる黒髪を伸びるに任せた〝異様な風体〟のその男は、自らの言葉に驚愕の色を浮かべる面々に目もくれずに御殿を飛び出し、鎧兜よろいかぶとも身につけぬまま、ずんずんと歩いて行く。


「と、殿!? どちらに行かれるのですか!?」

「お待ち下さい上様っ!! 城外は危のうございます!!」

「今そこにいるのは誰だ……? 刀も持たぬ、俺の民だろう……」


 殿と。


 なだたる幕府の役人たちにそう呼ばれた青年は、その鋭い三白眼さんぱくがんを燃える城下に向けた。


「門を開けろ……鬼に連なる者は、一人残らず俺が斬る……」


 彼の名は徳川家晴とくがわいえはる

 新九郎しんくろうの実の父にして、すべての武家の頭領たる征夷大将軍せいいたいしょうぐん――その人であった。


 ――――――

 ――――

 ――


「――ようやくだ。ついに我らの大願、彼岸ひがん様の手による真の浄化……偽りの支配者たる徳川幕府を倒し、この国を本来のあるべき姿に戻す戦いが始まったのだ……!!」


 場所は変わり、江戸市中。

 山王祭にわく江戸の町を悠々ゆうゆうと見おろす、日枝神社そばに設置された上覧じょうらん用の櫓舞台やぐらぶたい

 毎年、山王祭を監督する幕府の上級役人が控えるこの舞台は、祭りの全てを高台から一望できる特等席であった。


「助けてくれえええええええ!! 俺のおっかあが、鬼になっちまったあああああ!!」

「あっちもこっちも鬼だらけじゃあ! この世の終わりじゃああああ!!」

「ククク……くずどもが逃げ惑う様がよく見えおるわ」


 しかし今。そこから見えるのは喜びと歓声に包まれた人々の姿ではない。

 次々と現れた鬼の群れが、容赦なく周囲の人々に襲いかかっていたのだ。


「しかし思えば哀れな者どもよ……彼岸様の奇跡にすがった結果、まさか〝己が鬼と化す〟などと……露とも思っていなかったであろうからのう……」


 人が鬼と化す。

 かつて、追い込まれた金貸しの金五郎かねごろうが見せた悪夢の変異。


 山王祭に乗じて突如発生したそれの規模は、もはや金五郎の時とは比べるべくもない。

 日の本全土へと一斉に広がったその力は、またたく間に世の全てを恐怖のどん底に叩き落としたのだ。


「愚かな民に、愚かな施政者が支配する国など滅びて当然……今日をもって日の本は、神に選ばれし〝我が君〟と、神の遣いたる彼岸様を双頭そうとうとした神国として生まれ変わるのだ!!」


 絶望の光景に笑みを漏らす一人の武家――幕府下三奉行の一角、作事奉行さくじぶぎょうを務める秋津洲主膳あきつしましゅぜんは、この破滅をこそ待っていたとその横顔に笑みを浮かべた。


「秋津洲様……我ら影鬼衆えいきしゅう、すでに万事整っております」

「よかろう。ならば我らも参るとしようぞ……彼岸様が作りし機に乗じ、我らが大敵……徳川家晴の首を獲る!!」


 主膳は集まった影鬼衆を従え、阿鼻叫喚あびきょうかんの渦と化した江戸市中へと歩みを進めようとした。しかし――。


「御用!! 御用だ!!」

「謀反人がいたぞ!!」

「大人しくお縄につけい!!」

「ほう……」


 だがしかし、混乱に乗じて動いたのは主膳だけではなかった。

 この悪夢のような騒乱においても一切の指揮を乱さず、己に与えられた責務を忠実に遂行した選りすぐりの旗本はたもと……そして岡っ引きたちが、北町奉行きたまちぶぎょう長谷部四郎三郎右衛門之助はせべしろうさぶろううえもんのすけを旗印とし、主膳のいる上覧櫓じょうらんやぐらに一斉になだれこんできたのだ。


「まったく、随分と派手にやってくれたのう……」

「これはこれは……誰かと思えば北町奉行の長谷部殿ではございませぬか。まさか、このような事態においても私めを優先なされるとは……この主膳、恐悦至極きょうえつしごくにございまするぞ……」

「作事奉行、秋津洲主膳……お主を幕府反逆の徒として成敗しにまいった。ここまでの惨事を招いた上で、よもや申し開きはなかろうな?」


 すでに、やぐらは百を超える武士によって包囲されている。

 しかもそれだけではない。

 迫り来る鬼の群れから人々を守るため、数多の武士や、長谷部老の指示であらかじめ槍刀の所持を許可されていた町民たちが、日枝神社の周囲で決死の抵抗を開始していたのだ。


「まさか、お主らがここまでやるとはのう……さしもの儂も考えが及ばんかった。だがだとしても、儂らもそれなりに備えはしておったのでな」

「ご慧眼けいがん、まずはお見事と言っておきましょうか……今日まで細心の注意を払って事を進めて参ったつもりでしたが」

「それだけに残念じゃよ……お主ほどの武士ならば、真っ当な道でもその才を生かせておったろうにのう……」

「クク……何を言うかと思えば、元より私に幕府への忠義など毛ほどもございませんよ」


 しかし主膳はこの期に及んでなお笑みを浮かべ、大仰な身振りで現れた長谷部老一派に両手を広げて見せた。


「作事奉行殿! 貴殿の企てももはやこれまで、いさぎよくお縄につかれ、せめて武門のほまれを全うなされよ!!」

「武門の誉れだと……? くく、くくくく……!! アハハハハハハハハハハハ!! 同心ごとき〝木っ端役人〟が……これはまた面白いことを申すものだ!!」


 長谷部老の前に、刀の柄に手をかけた町廻同心まちまわりどうしん木曽義幸きそよしゆきが進み出る。

 また義幸の左右には、同じく刀を持った伸助しんすけ、巨漢の彦三朗ひこさぶろう、短刀を構えた小兵こひょう弥兵衛やへえが油断なく控えていた。


「そして長谷部様、貴方は一つ大きな思い違いをしておりますな……今さら腐った幕府が何をしようと、我らを止めることなど出来ぬのですよ!!」


 刹那。主膳の美しい顔が醜く歪み、その身にまとう壮麗そうれい紋付もんつはかまが散り散りに破れ、熊か狒々ひひかと見まがうばかりの体毛がその身から伸びる。


 さらには肥大化した筋肉によって膨張した主膳の体から、丸太のような〝八本の腕〟が生え、いかなる妖術によるものか、その八本の腕には大小様々な形状の槍刀――そして巨大な剛弓が構えられていた。


「この大馬鹿もんが……! とうに地の底まで墜ちきっていやがったか……!」

『クククク……!! クハハハハハハハハ!! 我らの歩みは今もって万事順調であるッ!! ここにいる貴様らも、江戸の民も、なにもかも殺して殺して殺し尽くし……そのしかばねの上に、我らの新たな神国を築きあげるのだ――!!』

 

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