救いの真実


「さあさあ、今夜はお祭でとても賑やかですけれど、クロムさんはもうお休みの時間ですよ」

「こ、子供扱いしないでくれたまえっ! 私は一人でちゃんと寝れるし、かわやにだっていけるのだからねっ!」

「ふふ、そうでしたそうでした。クロムさんは、とっても偉い子ですよ」

「ぬぬぬ……」


 時はわずかにさかのぼる。

 ここは新橋しんばしの外れに位置する月海院つきみいん

 綺麗に並べられた布団でルナに寄り添われたクロムは、口では色々といいつつも、まんざらではない様子で頬を赤らめた。


 山王祭さんのうまつりは夜を徹して行われる大祭だ。

 外では今も祭りの喧噪けんそうや花火の音が響いていたが、ルナの言うとおり、すでにわらべは寝る時間である。

 わらべにとって睡眠がいかに大切かをルナに諭されながら、クロムはその内で周囲の気配に神経を尖らせてた。


(教団が動くとしたら、間違いなく今夜だ……奏汰かなたならきっと、どんな邪悪を相手にしても〝世界の滅び〟は防ぐだろう。だけど奏汰は、全ての命を救えるわけじゃない……)


 クロムは知っている。

 百の異世界を救った奏汰が、それぞれの世界でどれだけの命を〝救うことができなかった〟かを――。


 諸悪の根源が仕掛けた恐るべき災厄さいやく

 人知の及ばぬ自然災害。

 人と魔による絶滅戦争。

 蔓延まんえんする貧困や疫病。


 いかに超勇者とはいえ、それら全てからあまねく命を守りきることなど不可能なのだ。ゆえに――。


(だからルナは私が守るんだ……! 自分の命を……大切なものを守るのは、その世界に生きる一人一人の役目だ……それは、人も神も変わらない!!)


 それこそがクロムの覚悟。

 奏汰が心を許し、奏汰と心から信頼し合う神の気概。


 クロムは薄明かりの中で横になるルナをじっと見つめ、何があっても対応できるように神経を張り詰めさせていた。

 

「ルナ……君のことは、必ず私が守る」

「あらあら、うふふ……ありがとうございますね。それなら、まずはちゃんとお休みして、健康でいなくてはいけませんよ」

「なっ……わ、私は本気で君を……!!」


 微笑むルナに自らの言葉が冗談と受け取られたと感じたクロムは、すぐさま身を乗り出して抗議の声を上げる。だが――。


「――っ!? ルナ、明りを消すんだ!」

「え?」

「これは、勇者の力……? いや、そんなはずはない……ここまで〝巨大な力〟が勇者のものなんて……絶対に考えられない!!」


 瞬間。クロムの小さな体に震えが走る。

 日枝神社ひえじんじゃの方角を中心として、江戸中……いや、この国全土に強大な力が放射状に広がり、恐るべき何かを呼び覚ましたのだ。


「鬼だあああああああ! 鬼が出たぞおおおおおおお!」

「た、助けてくれえええええ!」

「鬼だって……!?」


 外から聞こえる祭りの歓声が悲鳴へと変わる。

 障子戸しょうじどにうつる祭りの光に、この世の物とは思えぬ異形の影が次々と浮かぶ。

 そっと戸を開けて様子をうかがったクロムの視界に映ったのは、まさにこの世の地獄とも言える阿鼻叫喚あびきょうかんの渦だった。


「うちの婆様が、いきなり鬼になっちまったああああああ!!」

「いやあああああああ! 坊やが、坊やがあああああああ!!」

「これはまさか、人が鬼になっているというのですか……っ? どうしてそんなことが……っ?」

「これが彼岸ひがんの狙いか……なんて容赦のない……!!」


 人が鬼に変わる。

 それまで笑い合っていた家族が、恋人が、友が。

 突如として人の姿を失い、醜い鬼へと変わる。


 鬼へと変じた者達はみな、この三年の間に黒示救世教こくじきゅうせいきょうの救いを受けた者たちだ。


 その数――総勢三万人。


 すでに彼岸の奇跡が終わり、目覚めぬ体となっていた者も。

 救いを謳歌おうかし、何事もなく平穏な日々を送っていた者も。


 日の本中に広がっていたその全てが一斉に鬼となり、目に見えるもの何もかも破壊しながら、一直線に〝日枝神社めがけて進軍を開始した〟のである――。


 ――――――

 ――――

 ――


「みんなに何をした?」

「わかりませんか? 私がこれまで救済と称して力を与えた者すべて……我がしもべとして鬼に変えたのですよ」

「う、嘘でしょう……!? なんてむごいことを……っ!!」


 天上に放たれた光芒こうぼう

 その光が収まった時。

 そこには、もはやそれまでの気弱な少女の姿はなかった。


 壮麗そうれいな法衣をまとい、顔には蒼白の狐面。

 そしてその手に神々しい錫杖しゃくじょうの聖剣――〝アステリズ星群ム〟を掲げた天恵てんけいの勇者が立っているだけだった。


「みんなを元に戻せ……今ならまだ間に合う」

「ふふ……この期に及んでまだそんなことを口走るとは。本当に甘いお方ですねぇ……?」


 勇者の象徴たる聖剣を召喚した彼岸に対し、奏汰は丸腰のまま最後の説得を試みる。

 しかし彼岸は狐面の下でくつくつと笑うと、掲げた錫杖に明確な殺意を宿した力を一瞬で収束させた。


「っ!」

「ひえっ!?」


 錫杖から放たれた閃光。

 その狙いは新九郎しんくろう

 しかしその光は、即座に〝紫色の輝き〟を灯した奏汰の拳によって止められた。


「か、奏汰さん……血がっ!?」


 新九郎の眼前。彼岸の閃光を弾いた奏汰の手の甲から白煙が上がり、鮮血が滴る。

 奏汰は絶対防御の力である〝不壊ふえの紫〟を発動していた。

 にも関わらず傷を負ったと言うことは、聖剣を持つ彼岸の力が、丸腰の奏汰を〝明確に上回っている〟ことを意味していた。


「……どうしてもやるつもりなのか」

「元より、引き返すつもりなど毛頭もうとうございません……お二人が私の邪魔をされるというのなら、迷いなく息の根を止めて差し上げましょう」

「そうか……」


 揺るがぬ彼岸の決意。

 それを受けた奏汰は、新九郎を残して前に出る。


「ま、待って下さい奏汰さん! 僕も一緒に……!!」

「駄目だ……この人は、この前のカルマとは〝格が違う〟」

「……っ!」


 一緒に戦うと。

 自分も奏汰の力になると。


 そう口に出そうとした新九郎を、奏汰は語気を強めて制した。

 それは、新九郎が初めて突きつけられた奏汰からの拒絶。


 自分は守られてばかりだと。

 だからもっと強くなりたいと。

 そう決意した矢先の、明確な〝戦力外通告〟だった。


「か、格が違うって……それでも、僕にもなにか……!!」

「新九郎は町のみんなを守ってくれ……新九郎なら、きっとみんなを助けられる」


 奏汰は新九郎を振り向かなかった。

 いや、振り向くことが出来なかったのだ。

 

 射貫くように彼岸を見つめる奏汰の姿に、新九郎は今の己では絶対に踏み込めぬ力の差を、その天剣ゆえに理解する。


「わかり、ました……っ!」

 

 奏汰の言葉になおも新九郎は何かを言おうと口を開き……ぎりと奥歯を食いしばってその言葉を飲み込んだ。


静流しずるさんを頼みます……みんなのことは、勇者屋の天才美少年剣士であるこの僕にお任せをっ!!」

「頼む……絶対に死ぬなよ」

「奏汰さんも……っ!」


 別れの時。

 最後まで振り向かなかった奏汰に背を向け、新九郎はその胸中に痛みすら感じるほどの〝悔しさ〟を抱えて走り出した。


(くやしい、くやしい……くやしいっ!! 今の僕じゃ、奏汰さんの邪魔になる……っ! 今の僕じゃ……奏汰さんと一緒に戦えない……っ! 今の、僕じゃ……っ)

 

 しかしそれでも新九郎は走った。


 自らの弱さなど百も承知。

 自らの甘さなど百も承知。

 しかしそれでも、自分には鬼と戦う力があるのだと。

 大切な命を守る力があるのだと。

 他ならぬ奏汰から、その役目を任されたのだと。


 悔しさと無力感にきしむ心を必死に鼓舞こぶし、新九郎は燃えさかる町めがけて一直線に駆け抜けていった。 


「賢明です。私としても、徳乃とくの様がいてはやり辛かったもので……」

「静流さん……俺には、君にどんな理由があるのかはわからない。だけど――!!」


 刹那。奏汰はその手を江戸の夜空に向けた。


「来い! リーンリーン!!」


 黒煙昇る江戸の空に光がはしる。

 漆黒の夜空から降り注いだ光の柱は、奏汰の眼前で瞬時に鈍色にびいろの長剣へと収束。

 閃光から現れた己が聖剣を掴み取り、奏汰はこの地を覆う全ての闇を切り裂くようにして、勇気の刃を振り払った。


「たとえどんな理由があろうと……俺は絶対に君を止める!!」

「どうぞ、やってごらんなさい。できるものならねぇ――!!」

 

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