虚無の眼光


「…………」

「くっ……」


 晴天に輝く陽は直上。

 早朝に幕を開けた台覧試合たいらんしあいは滞りなく進み、残るは準決勝のみ。

 公正館こうせいかんの相手は、エルミールが睨んだとおり長州の天然無心流てんねんむしんりゅう

 

 天然無心流が得意とするのは天下に名高い〝後の先〟を取る戦型。

 後の先、つまり相手の動きを見た上でより素早く、最速の一太刀を浴びせる剣術である。 


 その極意の前に春日かすが三郎さぶろうは惜しくも敗れ、中堅を務める奏汰かなたが敗れれば公正館はここで敗退となる大一番を迎えていた。


(思い出せ……! エルミールが教えてくれたことを……新九郎しんくろうの動きを……!)


 木刀を構える奏汰の手に汗が滲む。

 だがそれは、奏汰と対峙する〝大柄な剣士〟もまた同様。


 この男の名は新藤平次郎しんどうへいじろう


 台覧試合に参加する五人すべてを〝皆伝者かいでんもの〟で揃えて臨んだ天然無心流一派にあって、自身の流派を開くことすら許されている、高弟こうてい中の高弟である。

 その巨躯に似合わぬ確かで繊細な技巧を持つ達人であり、ここまでの試合においても全勝を維持している。


「お主の立ち合いは見ていたが、剣においては素人のそれ……だがなかなかどうして。お主、戦慣いくさなれしておるな……!」


 隙の無い構えはそのままに、平次郎は鋭い眼光を奏汰に向ける。


 総合的に見て、〝双方の腕はほぼ互角〟。

 剣術では明らかに平次郎が勝っていたが、奏汰には誰も及ばぬ歴戦の戦闘経験がある。


 奏汰得意の攻めは元来受けを得意とする平次郎の剣さばきに流され、逆に平次郎の一撃は、奏汰の驚異的な危機察知能力によって致命に届かずにいた。


 見ている者も巻き込む息詰まる攻防に、試合場から全ての音が消える。


(エルミールは相手をよく見ろって言ってた……相手を見ること、相手の動きを感じること……相手の呼吸に合わせること……それは、受けも攻めも変わらない……)


 先にエルミールから指摘された奏汰の弱点。

 即ち、攻め手に傾きすぎた戦型のいびつさ。


 エルミールはこの二週間で、そのいびつさを改良することの意義を何度となく奏汰に伝えてきた。


 これまで奏汰が攻め手だけで勝利してこれたのは、奏汰が勇者の力という〝他者を圧倒する力〟を持っていたからに他ならない。

 たとえ力で及ばぬ相手と対峙しても、奏汰は〝新たな力に覚醒〟することで、ある意味〝強引に〟困難を乗り越えてきたのだ。だが――。


(けどそれじゃ駄目だ……! 俺が今まで死ななかったのは、ただ運が良かっただけ……。この世界を守るには……新九郎を守るには、それじゃ駄目なんだ!!)

 

 瞬間、奏汰の集中が極限に達する。


(今ならわかる……エルミールが言ってたのは、今〝この人がやってること〟だ。この人は、俺の全部を見てる……指先の動き、呼吸……髪の毛一本まで……なら、俺もこの人と同じように!!)


 対峙する相手の強さという意味では、平次郎の強さは奏汰がこれまで倒してきた魔王や邪神の足元にも及ばないだろう。


 しかし今、同じ剣士という土俵に立った奏汰は勝利のために持てる感覚の全てを動員し、眼前に立つ平次郎の全てを捉えようとその目を見開く。そして――!


「でぇえええあああああああああ――ッ!」

「――!!」 


 交錯。


 静寂が支配する試合場に平次郎の気合いが炸裂する。

 それまで頑なに〝後の先〟を維持していた平次郎が、初めて先に仕掛けたのだ。


「ぐ、ぬ……!?」

「見えた……っ」

 

 一拍の後。


 固唾を飲んで見守っていた観客たちの目に飛び込んできたのは、平次郎が放った木刀の〝握り手を片手で止め〟、自身の〝木刀のつか〟を平次郎の心の臓にぐいと押し当てる奏汰の姿だった。


「い、一本!! それまで!!」

「や……やった! 奏汰さんが勝ちましたよっ!!」

「お見事です、つるぎさん!」


 それと同時。

 一斉に漏れる感嘆のため息。


 不作法と知りつつも、新九郎は思わず身を乗り出して拳を握りしめる。

 そして敗れた春日と三郎も、大将として見守っていたエルミールも皆安堵の笑みを奏汰へと向けた。


「剣は不慣れと決めて先手を取ったが……此度の勝負、拙者の完敗だ」

「とても勉強になりました……ありがとうございます」


 起き上がりざま、平次郎は何かを掴んだ様子の奏汰の肩をぽんと叩き、試合場の反対へと戻っていった。


 あの交錯の瞬間。

 奏汰には確かに見えていた。

 研ぎ澄まされた平次郎の呼吸。その呼吸が静から動へと転じる瞬間が。


(これが相手を見るってことなのか……? まだぼんやりしてるけど、少しだけわかってきたかもしれない……)


 奏汰は去りゆく平次郎に深々と頭を下げると、これまでとは違う〝成長の手応え〟に自信を深めたのだった――。


 ――――――

 ――――

 ――


「つまらん……まっことつまらんぞ、時臣ときおみよ」

「…………」


 台覧試合会場の幕裏まくうら


 本来であれば、観覧用に設けられた舞台に座っているはずの無条親王むじょうしんのうは、大きなあくびと共に傍に立つ大男――時臣に声をかけた。

 

「あの〝腐れ陰者ぼんくら将軍〟めが……まさか我が丹精込めてしたためたふみのみならず、こうして我が直々に下洛げらくしても姫と会わせぬとは……のう時臣よ、お主ちょいと出向いて、あの根暗将軍の首を持ってきてくれんかの?」

「……黙れ。そして口を慎め。将軍一人倒すことは容易くとも、幕府に連なる者全てが警戒を強めれば、俺たちの大願は振り出しに戻る。エルミールが我らの元に戻らぬと決めた以上、もはや一切の手抜かりは許容できん」

「つまらん……ああ、つまらん。お主は本当につまらん男ぞ……このような時、カルマでもおれば〝からかいがい〟もあろうが……」


 舞台裏に敷かれた〝分厚い京布団〟にごろりと寝そべり、無条は心底つまらないとばかりに幕間からわずかに覗く試合場へと目を向ける。が……彼の黒い瞳には〝なにも映っていない〟。


 彼自身が何度も口にするように、無条にとって台覧試合など、なんの意味も興味もない催しのようであった。


「くだらんのう……今さら〝現世のお遊び剣術〟など見てなにが楽しいのやら……これならば、まだ歌舞伎踊かぶきおどりに浄瑠璃舞じょうるりまいの方が楽しめるであろうに……ん?」

「どうした?」


 だがその時だった。

 それまで一切の景色を映していなかった無条の瞳が、一つの光景をはっきりと映し出す。それは――。


「どやーーーー!!」

「ぐわーーーー!?」

「あれは……? あの者の姿……それに、あの者の魂魄こんぱくから立ち上るかぐわしい香りは……?」


 無条の虚無に関心の光を灯した存在。


 それはその顔を〝ふざけたひょっとこ面〟で隠し、艶やかな黒髪をなびかせて舞うように戦う一人の剣士、徳乃新九郎とくのしんくろうの姿だった――。



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