還らざる日々に


「一本!! それまで!!」

「はぁ――! はぁ――! や、やった……!?」


 立会人の手が高々と上がり、木刀を取り落とした男が無念の表情でうなだれる。

 見事に男の手元を打ち据え勝利したのは、公正館こうせいかんの先鋒を務める春日かすがだ。


「やったっ! さすが春日さんですっ!」

「次は三郎さぶろうさんだな……この調子で頑張ろう」

「おうよ、春日ばかりに良い格好はさせないぜ!」


 ついに始まった台覧試合たいらんしあい

 市ヶ谷八幡宮いちがやはちまんぐう前の広場では合計六つの試合場が設けられ、日の本全土から集まった名だたる流派の剣士たちが、日々研鑽けんさんを積んだ剣の腕を競い合う。


 試合は先鋒・次鋒・中堅・副将・大将からなる〝星取り形式〟で行われる。勝ち抜き戦ではないため、毎試合全ての剣士が一度はその剣の冴えを皇族たちの前で披露するのだ。


 すでに公正館は初戦を突破し、現在は二試合目。

 順調に勝ち進めば、決勝の大一番で因縁の赤龍館せきりゅうかんと対峙する運びとなっていた。


「お疲れ、春日さん。怪我はない?」

「問題ないわ。太助たすけさんの門下として、私もあなたや徳乃とくのさんに負けてられないもの!」

「この二週間、春日さんは見違えるほどに上達しました。正面切っての立ち合いであれば、今の春日さんが後れを取ることはないはずです」

「ありがとう太助さん……っ。これも全部、太助さんの稽古のおかげよ」


 立ち合いを終え、戻ってきた春日を満面の笑みで迎える公正館一同。

 表だって勝利の喜びを表すことは〝不作法〟とされており、奏汰かなた新九郎しんくろうも、みな春日に向かって静かに頷くことで彼女の勝利を称えた。


「……私の見立てが確かなら、赤龍館はまず間違いなく決勝まで上がってきます。私たちが警戒すべきは次の三回戦から。以降は土佐の大川流おおかわりゅう、居合いで名高い長州の天然無心流てんねんむしんりゅうと当たることになるはずです」

「凄いな……そこまで調べてるなんて」

「私も〝つるぎさんと同じ〟です。この世界に落ちた後、私も〝勇者の力に頼らない強さ〟を求めました……ですから、江戸に腰を落ち着けるまでの四年間、この国で多くの剣を学んだのです。それに道場主をやるにしても、私の祖国の剣を皆さんに教えるわけにもいかないでしょう?」

「ははっ。たしかに、他の国の剣と刀って全然違うもんな」


 先鋒戦を終え、三郎の次鋒戦が始まる。

 道場破りの際は不覚を取った三郎だが、彼もまた確かな剣才に恵まれた男。その巨体から放たれる気迫に、三郎の対戦相手はすっかり萎縮してしまっていた。


「……つるぎさん、実は貴方に一つ確認したいことがあるんです」

「なんだ?」

「徳乃さんのことです」


 だがその時。それまでより声を小さくし、エルミールは隣に座る奏汰にのみ聞こえる音でそう口を開いた。

 奏汰はちらとエルミールの方に目を向けたが、エルミールはまっすぐに三郎の試合を見つめるままに、僅かに頷いて見せた。


つるぎさんは、これからも徳乃さんと共にありたいとお思いですよね?」

「え……?」

「このような時に申し訳ありません……ですが、お二人の現状を聞いて、どうしてもお伝えしなければと……」


 そこでエルミールは、やや俯きがちに奏汰に目を向けた。

 横目に見るエルミールの瞳には、はっきりと後悔の色が浮かんでいた。


「かつて……私には〝誰よりも大切だと慕う女性〟がいました。その方と私は生まれたときからいつも一緒で……私はその方と共にあることが当たり前だと……これからも永遠に二人で生きていくのだと、勝手に信じていました」


 エルミールの語りと共に、三郎がじりと前に出る。

 エルミールとは反対側の席で奏汰の隣に座る新九郎は、その両手をぎゅっと握りしめ、必死に三郎の勝利を懇願していた。


「しかし私は騎士で、その方は国の女王でした……やがてその方は祖国を守るために隣国の王族と結婚することになり、私は異世界に召喚されて引き離され……十年が経ちました」


 エルミールの語った過去。

 それは言うまでもなく、今の奏汰と新九郎を自身と女王とに重ねての言葉だ。

 

 高貴な一族として生を受けた思い人。

 かたや己はなんの権威も持たぬ一個の人。


 思い人の背負う重責としがらみ。

 そして二人が結ばれることを許さぬ世の習わしが、互いの間には大きく横たわっていた。


「もし私が思いを伝えていればどうなったのかと……考えなかった日はありません。そして、十年の歳月が経とうとも……私は必ず祖国に戻り、あの方の支えになりたいと今でも思っています。それがたとえ、あの方にとっての〝一番として〟でなくとも……」

「…………」


 女王シェレンが婚姻を決めた当時、エルミールは十二歳だった。


 恋の意味もまだはっきりとはわからず、ましてや想い人は国を背負う女王である。

 自らの想いを伝え、想い人と同等に大切に思う祖国と仲間達の命運を犠牲にして我欲に走ることは、英雄とは言え一人の少年だったエルミールには到底なしえない決断だった。


「けど貴方と徳乃さんは違います。父君にも認められ、徳乃さん自身もしがらみに縛られることを良しとしていません。それにもう、つるぎさんは、彼女のことを誰よりも大切だと心に決めている……そうでしょう?」

「……うん」

「なら、どうか悔いの無いように……決断というものは、日々流れていく〝当たり前の中にこそある〟……そして一度流れてしまえば、もう二度と戻ることはない……今は、そう思います」

「一本!! それまで!!」


 エルミールの言葉が終わると同時。

 気迫で圧倒し続けた三郎が、見事相手の木刀を弾き飛ばす。

 周囲から一斉に感嘆かんたんのため息が漏れ、三郎は満足げな表情で深々と一礼した。


「やった……! 三郎さんもやりましたよ、奏汰さんっ!」

「ああ! さすが三郎さん。師範代しはんだいは伊達じゃないな!」


〝間抜けなひょっとこ面〟に隠されていてもわかる。


 今にも飛び跳ねんばかりに拳を握る新九郎が、満面の笑みを浮かべて奏汰を見つめていることが。

 彼女のその微笑みに、奏汰が今日までどれほど癒やされてきたのかが――。


「よし、次は俺だな……行ってくる!」

「頑張って下さい、奏汰さんっ! 僕……全力で応援してますから!」

「頼んだわよ、つるぎさん!」


 立ち上がった奏汰は頷く三郎とすれ違いながら試合場へと向かう。

 最後に後ろを振り向けば、そこには新九郎を初めとした、この二週間共に汗を流した仲間たちが固唾かたずをのんで見守っていた。


「礼! 構え!!」


 立会人からの指示に従い、奏汰と対戦相手は共に上座かみざに一礼すると、改めて向き合い、互いに剣を構えた。


(エルミールの言うとおりだ……! 俺は絶対に、新九郎を他の奴に渡したくない……!! だったら、やることなんて決まってる……!!)


 エルミールに後押しされた新九郎への想い。

 立ち合いへの集中とともに、奏汰の心奥で〝もう一つの覚悟〟が定まっていた――。

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