決戦の幕間


「あーあ……やっぱり僕も最後まで試合に出たかったですよ~っ!」

「だめ」

新九郎しんくろうはずっと大活躍だったもんな。結局、一度も危ないところなんてなかったし」

「本当にここまでありがとうございました。あとは私たちに任せて、徳乃とくのさんはゆっくり休んでいて下さい」


 薄氷はくひょうの歩みながら、公正館こうせいかんは見事台覧試合たいらんしあいの決勝へと駒を進めた。


 日は間もなく夕暮れを迎える。


 公正館の面々が控える陣幕のさらに裏では、緋華の物と同じ濡羽色ぬればいろの胴着を着た新九郎と、新九郎と全く同じ髪型となり、〝ひっとこ面で顔を覆った緋華ひばな〟が大一番における〝互いの入れ替え〟を済ませていた。


「わたしと新九郎は背もほとんど同じ。二刀の扱いも問題ない」

姉様ねえさまはそんじょそこらの剣士よりずーっと強いですから! なにも心配しなくて大丈夫ですよ!」


 決勝の大舞台。


 それは主賓である無条親王むじょうしんのうを始め、試合に参加した全ての者からの注目を浴びる一戦となる。

 少々危険な賭けではあったが、そもそも参加者が緋華に入れ替わっていれば、なにがあろうと新九郎の正体がばれることもない。

 新九郎も〝緋華が愛用する首巻き〟で顔の下半分を隠し、後はこのまま幕裏で待機する算段となっていた。


「ですが、緋華さんは本日初めての立ち合いになります。くれぐれも無理だけはしないようにしてくださいね」

「侮らないで。たしかにわたしの剣は新九郎には劣る……けどあなたよりはずっと上」

「でしたらなおさらこの目で見るのが楽しみです! 私も緋華さんの剣から勉強させて頂きますね!」

「むぅ……またきらきらして……」


 緋華得意の氷柱つららの如き対応を満面の笑みで返され、緋華は不満げに唸る。

 実際、カルマの後押しと緋華との交流を経たエルミールの笑顔は以前より明るくなり、本来の彼が持っていた晴れやかな素直さも日々高まるばかりだった。


「よし、俺たちもそろそろ戻ろう。あとはやるだけだ」

「ですね! 試合には出られなくても、僕も最後まで全力で応援しますからっ!」


 入れ替えを終えた四人は、そのまま春日かすが三郎さぶろうを待たせる本来の陣幕内へと戻る。

 だがそこで四人を待っていたのは、実に〝意外な来訪者〟だった。


「ちっ……戻ったか」

「貴方は……赤龍館せきりゅうかん宗像むなかたさんですね。どうしてここに?」

「おお、太助たすけっ! やっと戻ってきやがった!」

「どうしたもこうしたもないわよっ! さっき、いきなりこいつらがここに来て……」


 自陣に戻った奏汰かなたたちを待っていたのは、かつて公正館を襲った赤龍館の宗像と、鷹のような眼光を持つ〝初老の男〟だった。


「ぬかったわ……お主らのようなままごと道場が、よもやここまでやるとは……!」

「なによ!? そんなことを言いにわざわざ来たの!? そう焦らなくたって、すぐに白黒つけてやるわよ!」

「出しゃばるな宗像……すまぬ、山上やまのうえ殿。先日は私を含め、我ら赤龍館一門の増長が公正館に多大な迷惑をかけた。赤龍館を代表して、師範であるこの千堂斎せんどうさいが謝罪する」


 突然の赤龍館の来訪に、場は一触即発の様相を見せる。

 しかしそれを制したのは宗像と共にやってきた初老の男、赤龍館の総師範――千堂斎であった。


 千堂斎はおもむろに宗像の前に出ると、平伏こそしないまでも、はっきりと腰を曲げて公正館の面々に頭を下げたのだ。


「まさか、謝りにきたのか……?」

「ええっ!? い、いきなりどうしちゃったんですか!?」

「我ら武門にとって、武の誇りと体面は決して無視できぬ大事おおごと。だが今ならば、ここに我ら以外の耳目じもくはない……頭を下げるには適当であろう……。なにをしておる宗像、お主も頭を下げぬか!」

「ぐぬぬ……っ! なぜ、俺がこいつらに頭を……!!」


 師範の厳しい一喝に、宗像は苦虫を噛みつぶしたような表情で同じく頭を下げた。

 しばし呆気にとられていた一同だったが、やがて千堂斎の意図を汲んだエルミールが口を開く。


「頭を上げて下さい、千堂斎様。江戸での武門のならわしは私たちも心得ております。だからこそ私たち公正館も、こうして貴方がたの申し出を受け、ここまでやってきたのですから」

「全ては私の不出来……私は赤龍館を、名実共に日の本一の道場にすべく日々教えを説いてきた。今日まで公正館を目の敵としたのも、同じ市ヶ谷いちがやの剣として、決して後れを取れぬという血気と体面ゆえのこと……」


 現れた千堂斎の語る武の理念。

 それは現代人である奏汰から見ると〝やや遠い〟、文政ぶんせいの世を生きる武士の理念だった。


 江戸後期において、道場や流派は実技と同じかそれ以上に体面……つまり〝名を売ることこそが至上〟とされていた。


 中でも赤龍館は上級武家の親族のみで構成された名門中の名門。

 公正館のような〝町民剣術〟より格下と認知されることは、即ち流派存続の危機をもたらすことと同義であった。しかし――。


「だが、貴殿ら公正館がこの晴れ舞台で大一番まで上がり、いざ刃を交えるとなった時、私は己の不明を痛感した次第……神前と皇族のお歴々に奉納する我らの研鑽を私怨で汚すことは、武門の端くれとして何よりも恥ずべき事と……」


 そう。〝由緒と名〟によって支えられてきた武の名門赤龍館にとって、皇族と幕府の重鎮が見守る〝台覧試合の重み〟は公正館の比ではない。


 その重みを背負う千堂斎にとって、公正館との大一番が自分たちの〝下らぬ私怨で台無しとなる〟ことは、何よりも避けなければならない事態だったのだ。


「此度はすべて、公正館を見くびっていた我らの落ち度……貴殿らは見事ここまで勝ち進み、十分にその武を示された。我らへの恨み辛みは重々承知……しかし何とぞ、今だけは我らへの恨みを一度水に流し、互いに市ヶ谷に根を張る武門として、神前に恥じぬ剣を交えて頂けないだろうか……」

「……三郎さんと春日さんはそれで構いませんか?」

「わ、私!? 私は……試合の間だけなら、まあ……」

「俺は構わねぇぜ……そこにいる宗像にやられた怪我は、つるぎに治して貰ったしな。あの赤龍館が頭を下げてんだ……俺たちも度量ってもんを見せねぇとな」

「なら、私もお二人と同じです。決勝ではお互い心ゆくまで剣を交えましょう、千堂斎様」

「かたじけない……!」


 あまりにも予想外の展開ではあったが、こうして公正館と赤龍館は双方納得の上で、大一番での正々堂々の勝負を誓った。


「なるほどな……俺にはよくわからないけど、あの人にとって〝この試合をちゃんと戦う〟っていうのは、すごく大事なことなんだな……」

「たとえどのような考えであれ、互いに敬意を持って技を競い合えるならそれが一番です……これで私たちの問題が解決したわけではありませんが、今は赤龍館の皆さんから申し出てくれたことを喜びましょう!」


 立ち去る千堂斎と宗像を見送り、エルミールは満足と安堵の笑みを浮かべて頷く。だが――。


「おのれ……! くだらぬままごと剣術が、このままでは済まさぬぞ……っ!」


 だがその去り際――陣幕の切れ間から見えた宗像の眼光は、いさぎよい千堂斎の言葉とは裏腹に、暗く激しい〝怒りと屈辱〟に燃えていたのであった――。

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